第3話 匂いと音を覚える
はじめまして。
本作は「料理×成長×捕食」をテーマにした異世界ファンタジーです。
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最初に気づいたのは、匂いだった。
目を閉じていても分かる。
朝だ。
湿った薪が燃える匂い。 少しだけ焦げた小麦の香り。 そして——弱すぎる火。
(……火力が足りない)
まだ瞼すら完全に開かない赤ん坊の身体で、俺はそんなことを考えていた。
自分でも呆れる。
だが、どうしようもない。
匂いが語りかけてくるのだ。
——もっと火を。 ——まだ温度が低い。 ——そのままじゃ水分が抜けない。
まるで料理が言葉を持ったみたいに。
◇
この頃になると、俺は一日の流れをほぼ把握していた。
朝。 父が起きるより先に、母が台所に立つ。
薪を組み、火打ち石で火を起こす。
だが毎回、火が安定するまで時間がかかる。
温度が揺れる。
それが匂いで分かる。
(熱が逃げてるな……空気の通り道が悪い)
前世の厨房なら、即座に組み直しているところだ。
だが俺は赤ん坊。
口出しなどできるはずもない。
「この子、もう起きたの?」
母がこちらを覗き込む。
俺はじっと台所を見ていた。
火を。 鍋を。 包丁を。
母は少し笑った。
「本当に台所が好きねえ」
違う。
好きなんじゃない。
あそこが——戦場なんだ。
◇
ある日の昼。
母がパンを焼いていた。
いや、正確には「焼こうとしていた」。
生地は悪くない。
だが。
(発酵、足りてないな)
匂いが若い。
甘さが立っていない。
このまま焼けば、重いパンになる。
俺は無意識に声を上げた。
「あー……!」
もちろん意味のある言葉にはならない。
だが、どうしても伝えたかった。
母は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
次の瞬間——パン生地が潰れた。
母が力を入れすぎたのだ。
ガスが抜ける。
(あー……終わった)
焼き上がったパンは、案の定固かった。
父が言う。
「……今日は噛み応えがあるな」
精一杯のフォローだろう。
母は苦笑した。
俺は思った。
——俺が焼けば、もっと美味くできる。
その瞬間。
胸の奥で何かが強く脈打った。
料理をしたい。
包丁を握りたい。
火を操りたい。
衝動だった。
前世よりも強い。
まるで身体の奥に、もう一人の料理人がいるみたいに。
(これが……捕食者の影響か?)
五感が、明らかに鋭い。
いや。
鋭いどころじゃない。
異常だ。
◇
それに気づいたのは、夕食の準備中だった。
まだ鍋の蓋は閉まっている。
なのに俺には分かる。
中身は豆のスープ。
塩が、足りない。
母が蓋を開ける。
味見をする。
そして——塩を足した。
(やっぱりな)
偶然?
いや。
違う。
翌日も。
その翌日も。
匂いだけで、味が分かる。
火加減が分かる。
水分量まで分かる。
俺は確信した。
——感覚が、人間のそれじゃない。
◇
数日後。
事件は起きた。
母が魔物肉を持ち帰ったのだ。
袋越しでも分かる。
強烈な鉄臭さ。
そして——微かな腐敗臭。
(これ、危ないぞ)
保存状態が悪い。
このまま調理すれば、腹を壊す可能性が高い。
俺は必死に声を上げた。
「ああああ!!」
手を伸ばす。
袋に向かって。
母が驚いた。
「どうしたの!?珍しいわね、こんなに暴れるなんて」
だが次の瞬間。
母の表情が変わる。
袋を開け、匂いを嗅ぎ——眉をひそめた。
「……これ、傷んでる?」
結局、その肉は捨てられた。
父が言う。
「危なかったな」
母は俺を見て笑った。
「この子、助けてくれたのかもね」
……偶然じゃない。
俺は、分かったんだ。
匂いで。
命の状態が。
◇
その夜。
俺は一つの結論に辿り着いた。
捕食者。
このスキルは、おそらく——
食うための力じゃない。
見極めるための力だ。
命を。
食材を。
そして——境界線を。
食べていい命か。
捨てるべき命か。
料理人が必ず向き合う問い。
それを、この世界は俺に突きつけている。
赤ん坊の身体では何もできない。
だが。
分かる。
感じる。
覚えられる。
なら十分だ。
今はまだ、刃を持てない。
だがいつか。
必ず、あの台所に立つ。
そして思う。
(この世界の料理、全部——俺が変える)
小さな拳を握る。
力は弱い。
だが意思は強い。
その時、視界の端で光が揺れた。
【捕食者:感覚補正(微)発生】
初めて見る表示だった。
思わず息を呑む。
やはりこの力は、少しずつ俺を作り替えている。
料理をする存在へと。
赤ん坊の俺は、静かに台所を見つめた。
火が揺れる。
湯気が立つ。
命が、形を変える。
——待っていろ。
もうすぐ、そこに行く。
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次回もお楽しみに。




