第27話 十日の旅路
馬車が動き出したのは、まだ夜の名残が空に滲む頃だった。
バルクスの門がゆっくりと遠ざかる。
振り返ると、町はすぐに朝靄の中へ溶けていった。
次にあそこへ戻ることはあるのだろうか——そんな考えが一瞬よぎる。
だがレオンはすぐに視線を前へ戻した。
進むと決めたのだ。
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車輪が軋む。
一定の振動が体を揺らす。
最初は落ち着かなかったが、半刻もすれば慣れていた。
徒歩とは違う速さで景色が流れていく。
草原。
小川。
遠くの森。
世界は思っていたよりずっと広かった。
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荷台には六人の旅人がいた。
商人が二人。
行商の老婆。
無口な青年。
そして——革鎧の冒険者。
大剣は鞘に収まっているのに、それだけで圧がある。
(強い……)
視線だけで理解できる。
あの男は、死線を何度も越えてきた者の目をしていた。
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「坊主」
低い声が降る。
「どこまで行く」
「リーデルまで」
「一人旅か」
「ああ……冒険者になりたくて」
短い沈黙。
「……度胸は認める。だが油断するな。街道でも普通に死ぬぞ」
脅しではない。
ただの事実。
レオンは静かに頷いた。
こういう言葉は嫌いじゃない。
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二日目の昼。
初めての雨に降られた。
御者が油布を広げ、荷台を覆う。
雨粒が布を叩く音が続いた。
閉ざされた空間。
湿った匂い。
誰も口数が減る。
こうして、旅人は自然と距離を測るのだろう。
無理に踏み込まない。
だが孤立もしない。
馬車という小さな共同体。
それが妙に心地よかった。
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三日目。
事件は突然だった。
馬が小さく嘶く。
御者が舌打ちした。
「来るぞ」
前方の草原が揺れる。
現れたのは狼型の魔物。
五匹。
低く唸りながら間合いを詰めてくる。
空気が凍る。
だが——革鎧の冒険者が立ち上がった。
「止めるな。進め」
その声に迷いはない。
男は飛び降りる。
次の瞬間、地面を蹴った。
速い。
視線が追いつかない。
一閃。
魔物の首が宙を舞う。
二匹目。
三匹目。
剣の軌道がほとんど見えない。
残りは本能で理解したのだろう。
踵を返して逃げていく。
追わない。
男は血を払い、何事もなかったかのように戻ってきた。
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(これが、本物の冒険者……)
灰牙狼との戦いが脳裏をよぎる。
あれは死闘だった。
だがこの男にとっては、ただの仕事。
世界の高さを知る。
そして胸の奥で、小さな炎が灯る。
あそこへ行く。
必ず。
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四日目を過ぎた頃には、馬車の揺れにも完全に慣れていた。
夜は簡素な宿場で休む。
硬い寝台。
薄い毛布。
だが不満はない。
屋根があるだけで十分だと、旅に出て初めて知った。
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五日目の夕刻。
休憩地で鍋を借りた。
干し肉を刻み、香草を加える。
湯気が立ち、香りが広がる。
「ほう……いい匂いだ」
商人が顔を覗かせる。
「少し作りすぎた。よければ」
椀を差し出す。
一口。
男の目が丸くなった。
「坊主、料理人か?」
「少しだけ」
革鎧の冒険者も無言で受け取る。
口に運ぶ。
ほんのわずか、眉が動いた。
「……悪くない」
それだけ。
だが十分だった。
言葉の少ない評価ほど重い。
その夜、焚き火を囲む空気は少し柔らいだ。
料理には、人の距離を縮める力がある。
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七日目。
景色が変わり始めた。
行き交う馬車が増える。
装備の整った護衛。
商隊。
街が近い証拠だ。
御者が言った。
「この辺まで来ると盗賊も減る。衛兵の巡回があるからな」
文明の匂いがする。
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八日目の夜。
焚き火を見つめながら、御者がぽつりと呟く。
「明後日には見えるぞ」
「リーデルが?」
「ああ。初めて見る奴は大体足を止める」
自然と胸が高鳴った。
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そして十日目の朝。
馬車が丘を登る。
頂に差しかかった瞬間——
「ほらよ。あれだ」
視線の先。
レオンは息を呑んだ。
広がる建物の群れ。
高い外壁。
絶え間なく動く人と馬車。
バルクスとは比べ物にならない。
遠くからでも分かる。
ここには何千、何万という人が生きている。
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胸が強く脈打つ。
本当に来たのだ。
冒険者の街へ。
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門が近づく。
怒号。
笑い声。
金属音。
空気が濃い。
生きている匂いがする。
馬車が止まる。
「リーデルだ。降りな」
地面へ足をつける。
見上げる。
巨大な門。
その向こうに、新しい世界がある。
胸の奥で、捕食者が静かに息を潜めた。
ここは狩場になる。
そんな予感がした。
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