第25話 旅立ちの朝
その朝は、いつもと同じように始まった。
窓から差し込む柔らかな光。
遠くで響く薪割りの音。
鳥のさえずり。
変わらない村の朝だった。
ただ一つだけ違うのは——明日この村から旅立つ。
準備は整っている。
それでも、どこか現実味が薄い。
レオンは静かに息を吐き、部屋の外へ出た。
朝の空気は少し冷たく、肺の奥まで澄んでいる。
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台所では母が朝食を用意していた。
「もう起きてたのね」
「ああ」
並べられた料理は、いつもと変わらない。
焼いたパン。
温かいスープ。
香草を混ぜた卵。
特別なものはない。
だが、その“いつも通り”が胸に残った。
「ちゃんと食べなさい。旅に出たら、こんなに規則正しく食べられないんだから」
少しだけ強い口調。
だがその目は、どこまでも優しかった。
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家を出ると、トーマが壁にもたれて待っていた。
「遅いぞ」
「いつも通りだ」
「まあな。……行くか」
二人は並んで歩き出した。
言葉は少ない。
だが沈黙は重くなかった。
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村の中をゆっくりと回る。
見慣れた道。
何度も駆け抜けた路地。
幼い頃、転んで膝を擦りむいた坂。
すべてがここにある。
井戸の前を通ると、顔なじみの老婆が手を振った。
「あらレオン、聞いたよ。村を出るんだって?」
「ああ」
「これ持っていきな」
差し出された布袋には、干し果物が詰まっていた。
「甘いものは元気が出るよ。道中で食べな」
「ありがとう、ばあちゃんも元気で」
レオンは深く頭を下げた。
受け取った重みが、妙に温かい。
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畑の前では農夫が笑う。
「大きな猪を一人で倒した時は驚いたぞ。あの時は村中がその話でもちきりだったからな」
トーマが肩を揺らして笑う。
「俺も腰抜かすかと思った」
「無茶はするなよ。……だが、お前なら大丈夫だろうな」
軽い調子の言葉。
だがそこには確かな信頼があった。
レオンは小さく頷いた。
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子供たちが駆け寄ってくる。
「レオン兄ちゃん、帰ってくるよな!?」
「約束はできない。でも、帰れる時は帰るから」
「絶対だぞ!」
差し出された小さな指に、自分の指を軽く合わせる。
それだけで、十分だった。
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広場ではミナが待っていた。
「本当に行くのね」
「ああ」
「寂しくなるわ。でも……外の世界を見てきて。ここじゃ見られない景色を」
隣でケイルが腕を組む。
「強くなって待ってる。その時は手合わせしてくれよ」
「望むところだ」
二人で笑った。
その笑顔を、レオンはきっと忘れない。
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気づけば日が傾いていた。
空が橙色に染まる。
村外れまで来たところで、トーマが足を止めた。
しばらく何も言わない。
風が草を揺らす音だけが流れる。
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「正直さ……ちょっと怖ぇ」
トーマがぽつりと言った。
「お前がいなくなるの」
レオンは黙って聞く。
「でも、お前が外に出るなら……俺も負けてられねぇ」
視線がぶつかる。
迷いのない目だった。
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「死ぬなよ」
「そっちこそ」
二人は拳を突き合わせた。
言葉はいらない。
それが誓いだった。
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家に戻ると、夕食の匂いが漂っていた。
テーブルには、少しだけ豪華な料理が並んでいる。
「食べなさい。冷めるわよ」
母がいつも通りに言う。
父は黙って席についた。
変わらない食卓。
それが何よりありがたかった。
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「街に着いたらまずギルドだな」
父が言う。
「ああ」
「焦るな。生き残ることを優先しろ」
短い言葉。
だが重い。
レオンは深く頷いた。
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その夜。
寝床に入り、目を閉じる。
だが眠りは浅かった。
しばらくして、小さな声が聞こえる。
母だった。
「……ごめんなさい」
泣いている。
声を殺しているが分かる。
「見送るときは笑っていたいの……だから、今だけ泣かせて……」
胸が締めつけられる。
父の低い声が返る。
「あいつは帰ってくる。俺たちの息子だ」
短い。
揺るがない声だった。
レオンは目を閉じたまま思う。
——絶対に帰ってこよう。
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朝。
扉を開けた瞬間、足が止まった。
村人たちが集まっていた。
誰も大声を出さない。
ただそこに立ち、見送っている。
母は笑っていた。
目が、少しだけ赤い。
だが何も言わない。
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トーマが前に出る。
再び拳を突き合わせる。
「頑張ろうぜ」
「ああ」
それだけで十分だった。
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村を見渡す。
生まれ育った場所。
守られていた場所。
そして——帰る場所。
「行ってきます」
静かな声だった。
だが確かに届いた。
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歩き出す。
一歩。
また一歩。
もう振り返らない。
だが村の気配は、背中に残り続けた。
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歩き出してどれくらい経っただろうか。
村の気配は、もう完全に消えていた。
振り返っても見えない。
あの場所は確かに存在しているのに、もう手の届かないところにあるように感じる。
胸の奥がわずかに軋む。
それでも足は止めない。
前へ進むと決めたのは、自分だ。
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街道に出ると、人の往来が少しずつ増えてきた。
荷を引くロバ。
大きな袋を背負った旅人。
剣を腰に下げた男。
知らない顔ばかりだ。
それだけで分かる。
世界はもう始まっている。
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やがて緩やかな丘を登りきった時だった。
レオンは思わず足を止める。
視線の先。
遠くの平原に、小さな影が見えた。
建物が集まり、煙が立ち上っている。
「あれは……」
目を細める。
村よりずっと大きい。
だが、話に聞く巨大都市ほどではない。
おそらく——中継町。
旅人と商人が行き交う、街道の拠点。
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しばらく眺める。
遠い。
だが確実に辿り着ける距離だ。
(まずは、あそこか……)
父の言葉を思い出す。
街へ向かうなら途中で馬車を拾え。
徒歩だけでは時間がかかりすぎる、と。
(あそこから馬車に乗ることになるな)
まだ見ぬ旅路を想像する。
知らない景色。
知らない人々。
胸の奥で、小さな高揚が灯る。
恐怖は——不思議と少なかった。
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不意に風が吹き、森の匂いを運んできた。
反射的に視線を向ける。
深い緑。
奥は暗い。
あの夜、月を削った影が脳裏をよぎる。
黄金の瞳。
若鳥の宵喰い。
胸の奥で、捕食者が静かに目を覚ます。
(次に会う時は——)
迷いはない。
狩る。
逃げる側ではない。
捕食者だ。
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レオンは視線を町へ戻す。
あそこに辿り着けば、旅は次の段階へ進む。
村ではない。
だが、まだ本当の大都市でもない。
世界の入口。
そんな予感がした。
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一歩踏み出す。
草を踏む音が、やけに大きく聞こえた。
もう守られる場所はない。
これからは、自分の足で進む。
自分の力で生きる。
少年は村を出た。
捕食者として、生きるために。
世界は広い。
そして——道は、まだ始まったばかりだった。
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