第23話 夜が去ったあとに残るもの
夜明けは、驚くほど静かに訪れた。
東の空が白み、淡い光がゆっくりと村を照らしていく。
怪鳥は戻ってきていない。
それだけは分かる。
だが——誰一人として安堵はしていなかった。
ただ嵐が通り過ぎた後のような、重たい空気だけが残っている。
まるで村そのものが、息を潜めているかのようだった。
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「……行くか」
トーマの声は低かった。
誰も返事をしない。
それでも全員が立ち上がる。
確認しなければならない。
何が起きたのかを。
そして、何を失ったのかを。
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最初に目に入ったのは、屋根だった。
分厚い木板が——まるで紙のように裂けている。
四本の爪痕。
深い。
鋭い。
人の力ではあり得ない。
「これ……本当に鳥か?」
誰かが呟く。
答える者はいない。
答えを知りたくなかった。
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地面も抉れていた。
急降下の衝撃。
昨夜、音もなく降ってきた死を思い出し、背筋が冷える。
レオンは視線を落とした。
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そして——血。
点々と続く赤黒い跡。
引きずられた形跡はない。
途中で消えている。
空へ。
「……連れていかれたんだ」
村人の震える声。
否定する者はいなかった。
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家の脇に、小さな靴が落ちていた。
片方だけ。
泥にまみれ、紐がほどけている。
持ち主は、もうここにはいない。
胸の奥が重く沈んだ。
トーマは何も言わず、それを拾い上げると家の前に揃えて置いた。
静かに。
それが弔いだった。
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やがて、泣き声が広がり始める。
堪えていたものが、朝の光に溶けたように。
誰も顔を上げられない。
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その時、レオンは動いた。第23話 夜が去ったあとに残るもの
「怪我人はどこだ?」
静かな声。
だが迷いがない。
集会所へ向かう。
肩を深く裂かれた青年が苦しそうに息をしていた。
「水を」
布を当て、血を拭う。
料理人として鍛えた手は、不思議なほど震えなかった。
「……助かるか?」
トーマが小さく聞く。
「死なせない」
短い言葉。
それだけで空気がわずかに変わる。
恐怖の中に、小さな芯が生まれる。
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炊き出しも始めた。
鍋から立ち上る湯気を見た時、何人かの顔がわずかに緩む。
食べるという行為は、生きる意志そのものだ。
椀を受け取った老婆が言った。
「昨日来てくれて、本当によかった……」
レオンはただ頷いた。
もし来ていなければ。
考えるまでもない。
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昼を過ぎる頃には、村にわずかな動きが戻っていた。
壊れた柵を直し、屋根に板を打ち付ける。
誰も口にしないが、全員が理解している。
——また来るかもしれない。
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「今晩の見張りを、3人一組で行う」
トーマの言葉に異論は出ない。
若い隊でも、今は守る側だった。
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夜。
見張りに立ったのは、トーマとレオン。
焚き火が静かに揺れる。
風は穏やかだ。
だが昨夜とは違う。
全員が空を意識していた。
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「……静かすぎるな」
「ああ」
それ以上は話さない。
言葉にすると、何かが来そうだった。
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ふと、レオンは空を見上げる。
夜目が闇を裂く。
星の間を——何かが横切った気がした。
だが遠すぎる。
確信が持てない。
「どうした?」
「……いや」
気のせいなら、それでいい。
そう思った。
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怪鳥は来なかった。
それでも誰も安堵しない。
ただ「生き延びた夜」が積み重なっただけだ。
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翌朝。
森の奥から複数の足音が近づいてきた。
重い。
規則正しい。
慣れた歩幅。
「来たぞ……!」
現れたのは、父たち本隊だった。
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父はレオンの姿を見つけると、まっすぐ歩いてくる。
「無事か」
「ああ」
それだけで十分だった。
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ガレスは何も言わず、周囲を見渡した。
裂けた屋根を見上げる。
指先で爪痕をなぞる。
地面にしゃがみ、抉れた土を軽く握る。
乾き具合を確かめ、ゆっくりと崩した。
視線が空へ向く。
だが結論は出さない。
まだ足りない。
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「どう見る?」
父が低く問う。
「判断材料が少ねぇな」
その時、トーマが前に出る。
「二日前の夜に、襲撃がありました。音もなく急降下してきて……一人が重傷です」
「姿は見えたか」
「月明かりの中で、かろうじて。完全に闇に溶けてるわけじゃなかったので」
ガレスの眉がわずかに動く。
視線がレオンへ移る。
「お前が目をやったって話は本当か?」
「ああ。軌道が読めた。必ず月を背にして降りてきた」
数秒の沈黙。
ガレスは再び屋根を見上げ——小さく息を吐いた。
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「……まだ若鳥だな」
空気が張り詰める。
「若鳥……?」
トーマが聞き返す。
ガレスは顎で空を示した。
「羽がまだ光を殺しきれてねぇ。だから月明かりの中で輪郭が残る」
一拍。
「完全に成熟した個体なら——まず見えねぇ」
誰も言葉を発せない。
「狩りも荒い。急降下の角度が単調だ。癖がある」
レオンを見る。
「だから読めた」
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「成体だったら……?」
掠れた声。
ガレスは即答した。
「目視すらできなかっただろうな。気づいた時には——持っていかれてる」
背筋が凍る。
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「だが妙だな……」
「何がだ」
「あの大きさで若鳥だ。普通ならもっと高い縄張りにいる」
一拍。
「追い出されたか、負けたか……どっちにしろ、ろくな話じゃねぇ」
父も森の奥を見る。
「縄張りが動いている……」
「ああ。森が静かすぎる時はな、大抵もっと厄介なのがいる」
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ガレスが最後にレオンを見る。
「若鳥とはいえ、空の捕食者の目を潰したんだ。大したもんだぞ」
父が静かに続ける。
「よく生き延びた」
そしてもう一言。
「お前はもう、守られる側じゃないな」
境界線を越えた音がした。
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「この件はギルドに報告する」
トーマが目を見開く。
「そこまでの魔物なのか?」
「ああ。村だけで抱える話じゃない」
世界に繋がる瞬間だった。
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レオンは空を見上げる。
片目の怪鳥。
まだ若い。
だがいずれ——もっと恐ろしい存在になる。
そしてきっと、また会う。
狩るか。狩られるか。
世界は、思っていたよりずっと広く、そして危険だった。
少年はもう知っている。
ここが入口に過ぎないことを。
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