第22話 若鳥の宵喰い
隣村に着いた時、最初に感じたのは——静けさだった。
妙だ、とトーマが呟く。
「……煙がないな」
本来なら夕餉の時間。
どの家からも煙が上がるはずだった。
だが空は澄み切ったまま。
生活の匂いが、薄い。
---
村へ足を踏み入れる。
扉が半開きの家。
井戸に残された桶。
地面に転がる薪。
すべてが途中で止まっている。
まるで誰かが、日常の最中に切り取られたようだった。
「……気味悪いな」
声がやけに遠く響く。
---
生存者はいた。
だが少ない。
集会所に身を寄せ合い、怯えた目でこちらを見る。
年配の男が震える声で言った。
「夜だ……夜になると来る……」
「何が?」
トーマが問う。
男は首を振る。
「見えない……気づいたら……いなくなってる……」
空気が冷える。
レオンは何も言わない。
ただ耳を澄ます。
風の流れ。
空の広さ。
匂い。
捕食者の感覚が、静かに周囲をなぞる。
——いる。
まだ遠い。
だが、この空のどこかに。
---
夜。
村人と同じように見張りをこちらからも出し、全員が警戒していた。
焚き火が小さく揺れる。
月は高い。
視界は悪くない。
それなのに。
どこか、薄暗い。
---
ガタン、と音がした。
誰かが顔を上げる。
「今の……何だ?」
返事はない。
見張りの姿が見えない。
「おい?」
近づく。
そして見つけた。
血だった。
だが——思っていたより少ない。
争った跡もない。
ただ黒ずんだ滴が点々と続き、
途中で消えている。
「……嘘だろ」
トーマが膝をつき、血に触れる。
まだ乾いていない。
ついさっきだ。
レオンは視線を上げた。
何もない。
屋根の上にも。
木々の間にも。
だが理解する。
いないのではない。
上にいる。
背骨の奥が冷たくなった。
---
その時、村人の一人が叫んだ。
「見張りがいない!!」
扉が開く。
人が飛び出す。
「探せ!!」
混乱が広がる。
だが——
レオンの背筋を、ぞくりと何かが走った。
違う。
決定的に何かが違う。
---
月は出ている。
視界も悪くない。
それなのに暗い。
闇が一枚、多い。
(……遮られている?)
(夜目)が静かに働く。
闇の濃淡が見える。
そして気づく。
光が削られている。
月と自分たちの間に——何かがいる。
巨大な影。
風が遅れて頬を撫でた。
上空で空気が押しのけられている。
捕食者の本能が叫ぶ。
来る。
脳裏に母の顔が浮かんだ。
最初に魔物を食べた夜。
あの時手に入れた力。
(……母さん、助かったよ)
肺いっぱいに空気を吸い込む。
「伏せろ!!!!」
---
直後だった。
空が——落ちてきた。
音はない。
だが空気だけが絶叫している。
圧が降る。
骨が軋む。
そして。
ドンッ!!!!
地面が爆ぜた。
石が弾け、土が吹き上がる。
衝撃が身体を打ち、誰かが転がる。
「な、何だ今の!?」
理解が追いつかない。
見えない死ほど、人は混乱する。
---
月を横切る影。
翼が広がるたび、光がわずかに削れる。
完全な闇ではない。
羽がまだ光を飲み込みきれていない。
だが——巨大だった。
爪には血。
それが答えだった。
「化け物だ……」
誰かが震える。
怪鳥は鳴かない。
ただ旋回する。
狩人の静けさで。
---
「隊形組め!!固まるな!!」
トーマが叫ぶ。
だが経験が足りない。
動きが遅れる。
そこへ急降下。
「ぐあああ!!」
一人が吹き飛ぶ。
肩が裂け、骨が覗く。
壊滅。
その言葉が現実味を帯びる。
---
(速い……)
レオンは追わない。
読む。
風。
影。
軌道。
一定だ。
必ず月を背にする。
狩りの型がある。
---
来る。
次はトーマだ。
分かる。
(そこだ)
逃げない。
引きつける。
時間が伸びる。
世界が遅くなる。
跳ぶ。
刃が月光を裂いた。
狙いは一点。
黄金の瞳。
手応え。
柔らかい感触。
次の瞬間——
絶叫。
初めて怪鳥が声を上げた。
怒りが夜を震わせる。
---
怪鳥が高度を上げる。
血が月光に散る。
片目が潰れていた。
「やったのか……?」
「いや」
レオンは空を見上げる。
「まだだ」
---
怪鳥は旋回する。
怒り。
だが同時に理解している。
危険だと。
そして。
残った黄金の瞳が——レオンを捉えた。
背筋が凍る。
理解した。
覚えられた。
狩人に。
---
やがて怪鳥は一度大きく旋回し、夜の向こうへ消えた。
静寂が落ちる。
---
「灰牙狼なんて……比べ物にならねぇ……」
誰かが呟いた。
トーマが息を吐く。
「レオンがいなかったら……終わってた」
否定できる者はいない。
---
レオンは遠くの空を見上げる。
村人の老人が震える声で言った。
「あれは……宵喰いだ……」
夜を喰らうもの。
古くからそう呼ばれている。
だが。
レオンは確信していた。
あれはまだ若い。
若鳥の宵喰い。
そしていつか。
もっと恐ろしい存在として再び現れる。
片目の怪物となって。
自分を狩るために。
あるいは——
狩られるために。
宿敵が、生まれた夜だった。
---
ここまで読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」と思っていただけたら、ぜひブックマークをお願いします。
評価や感想もとても励みになります!




