第2話 赤ん坊は観察する
はじめまして。
本作は「料理×成長×捕食」をテーマにした異世界ファンタジーです。
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目が覚める。
まず感じたのは、柔らかさだった。
背中に敷かれている布は粗いが、藁よりはずっとましだ。鼻をくすぐるのは乾いた草の匂いと、ほんのりとした木の香り。
そして次に——腹が減っていることに気づいた。
「おぎゃあああ!」
……いや、泣きたくて泣いているわけじゃない。
だが赤ん坊の身体は容赦がない。空腹になると勝手に喉が震え、肺が空気を押し出し、大音量の泣き声を生み出す。
(なるほど。これは厄介だな……)
理性と身体がまったく噛み合っていない。
前世では徹夜で仕込みをしても平気だったのに、今は腹が減っただけで行動不能だ。
やがて足音が近づき、視界に女性の顔が現れる。
まだ若い。 栗色の髪を後ろで束ね、少し疲れた目をしているが、優しさが滲んでいた。
——母親、だろう。
「はいはい、ごめんね。すぐにあげるから」
抱き上げられる。
その瞬間、強い安心感に包まれた。
(……これも本能か)
人間の赤ん坊とは、よくできている。
理屈ではなく、感覚で守られるように作られている。
温かい。
心臓の音が聞こえる。
一定のリズムが、妙に心地いい。
差し出された母乳を反射的に飲みながら、俺は思考を巡らせていた。
——まずは情報収集だ。
料理人にとって最も重要なのは、素材の理解。
そして今、俺が理解すべき素材は——この世界そのものだった。
◇
数日が過ぎ、いくつかのことが分かってきた。
まず言語。
やはり自動翻訳のような補正がかかっている。
会話は完全に理解できるし、頭の中では自然に日本語として処理されている。
(転生特典ってやつか?)
でなければ説明がつかない。
次に、この家について。
決して裕福ではないが、極端に貧しいわけでもない。
木造の小さな家。 部屋は二つ。 台所は土間に近い構造で、かまどのような設備がある。
火は薪。
ガスも電気もない。
(温度管理、大変そうだな……)
料理人の視点が抜けない自分に、少し笑う。
父親は無口な男だった。
日に焼けた腕。 固い手。
肉体労働者なのは間違いない。
朝早く出て、夕方に戻る。
母が言っていた。
「最近、森の魔物が増えてるらしいのよ」
魔物。
さらっと恐ろしい単語が出てきたが、どうやらこの世界では珍しくない存在らしい。
(ファンタジー確定だな)
少しだけ、胸が高鳴る。
だが浮かれてはいられない。
魔物がいる世界は、つまり——死が近い世界だ。
◇
そして。
最も興味深かったのは——食事だった。
ある日の夕食。
母が鍋を運んでくる。
湯気の向こうに見えたのは、茶色い煮込み。
香草の匂いが強い。
その奥に、わずかな鉄臭さ。
(血抜きが甘いな)
父が言う。
「今日は魔物肉か」
「安かったのよ」
どうやら市場では、魔物肉は安価な食材らしい。
理由は簡単。
固い。 臭い。 危険。
三拍子揃っている。
母は長時間煮込んでいた。
だが、それでも臭みは消えきっていない。
(下処理が足りない……)
塩水に漬けるだけでも違う。 血管を切ってしっかり抜けば、もっと良くなる。
火加減も強すぎる。
タンパク質が締まりすぎているはずだ。
だが。
父は何も言わず食べている。
母も、味見をして満足そうに頷いた。
——つまり。
これが、この世界の基準。
(料理のレベルが……低い)
思わず確信する。
この世界、料理を舐めている。
同時に理解した。
これは大きな武器になる。
料理の価値が低い世界で、本物の料理を出せばどうなる?
答えは簡単だ。
——圧倒できる。
◇
その時、視界の端に淡い光が揺れた。
意識を集中する。
すると表示が現れる。
【固有スキル:《捕食者》】
まだ詳細は変わらない。
つまり。
——魔物を調理して食べるまで、本格的には動かない。
(焦るな)
料理人が最初に学ぶこと。
それは「待つ」ことだ。
素材が来るまで。 火が入るまで。 味が馴染むまで。
焦った料理は、必ず失敗する。
今は赤ん坊。
できることは少ない。
だが——観察はできる。
母の包丁の持ち方。 切り方。 鍋の振り方。
全部、頭に刻み込む。
やがて気づいた。
俺は匂いに異様に敏感だった。
隣の部屋にあっても、スープの塩気が分かる。
パンの発酵具合まで感じ取れる。
(前世の経験……だけじゃないな)
おそらく捕食者の影響。
五感が強化されている。
料理人としては、これ以上ない才能だ。
◇
ある夜。
父と母が、小声で話していた。
「この子、よく周りを見るわよね」
「賢い子なんだろう」
俺は内心で苦笑した。
中身は三十路だ。
賢くて当然である。
だが同時に思う。
——この二人は、俺の親だ。
守られている。
それを実感した瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。
前世では、家族らしい家族はいなかった。
仕事ばかりの人生だったからだ。
(悪くないな……こういうのも)
だが、いつまでも守られる側ではいられない。
この世界は危険だ。
魔物がいる。
そして俺は——捕食者だ。
いずれ戦うことになるだろう。
ならば。
まずは知ることだ。
世界を。 食材を。 命の流れを。
料理人として。
◇
ふと、台所から湯気が立ち上るのが見えた。
鍋だ。
火の揺らぎ。
油が弾ける微かな音。
胸が高鳴る。
あそこに立ちたい。
包丁を握りたい。
味を整えたい。
衝動だった。
料理人としての、本能。
だが——今はまだ無理だ。
この小さな手では、包丁すら持てない。
だから、待つ。
その日まで。
やがて、母がこちらを見て笑った。
「この子、本当に台所が好きね」
違う。
俺は——あそこで生きる。
心の中で、静かに呟く。
(見てろよ、この世界)
料理の本当の力を、教えてやる。
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