第18話 銀狼、墜つ
限界は、静かに近づいていた。
討伐隊の呼吸が重い。
肩が上下し、肺が焼けるように痛む。
腕は鉛のように鈍り、指先の感覚さえ薄れてきていた。
牙狼の死体は確実に増えている。
だがそれ以上に——削られている。
時間は味方ではない。
父はそれを理解していた。
斧を振るう。
骨が砕ける。
灰色の体が崩れる。
だが刃を引き抜いた瞬間、横から影が跳んだ。
避けきれない。
牙が肩口を掠める。
熱い。
血が流れる。
それでも父は退かなかった。
「隊長!!」
「問題ない!」
短く言い放つ。
隊長が崩れれば、全員が死ぬ。
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その時だった。
森が、沈黙した。
牙狼たちが一斉に距離を取る。
唸り声すら消えた。
風が抜ける音だけが響く。
ガレスの喉が鳴る。
「……来るぞ」
重い足音。
一歩。
また一歩。
木々の奥から現れた影を見た瞬間——
空気が凍りついた。
銀。
灰ではない。
光を呑み込むような毛並み。
群れより二回り大きい体躯。
全身に刻まれた無数の古傷。
そして。
黄金の瞳。
感情のない、捕食者の目。
群れの主。
ただ立っているだけで、圧があった。
本能が叫ぶ。
——勝てない。
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父が一歩前へ出る。
斧を構える。
主の視線が絡む。
逃げ場はない。
次の瞬間。
消えた。
速い。
視界から消える速度。
父が反射で斧を振る。
空を切る。
横から衝撃。
巨体が叩きつけられる。
父の体が宙を舞った。
地面に転がる。
肺から空気が抜ける。
立てない。
強い。
理解を超えている。
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主は追撃しない。
ただ見ている。
値踏みするように。
父は歯を食いしばる。
斧を支えに立ち上がる。
足が震える。
「……なるほどな」
低く呟く。
「お前が壁か」
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ガレスが並ぶ。
「一人で受けるな。死ぬぞ」
「ああ」
二人が同時に踏み込む。
斧と剣が閃く。
火花が散る。
主の牙が空を裂く。
速い。
重い。
そして無駄がない。
剣が肩を掠める。
浅い。
だが——初めて血が滲んだ。
主の唸りが低く響く。
怒りではない。
興味だ。
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次の瞬間。
主の視線が父に固定された。
理解する。
指揮官を見ている。
統率を断てば勝てると知っている。
知性。
ただの獣ではない。
「隊長狙いだ!!」
ガレスが叫ぶ。
主が踏み込む。
速すぎる。
斧で受ける。
衝撃。
腕が痺れる。
次の牙が脇腹を裂いた。
血が溢れる。
それでも父は退かない。
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だが——
膝が落ちた。
地面に触れる。
音が消える。
討伐隊の顔から血の気が引く。
終わった。
誰もがそう思った。
主がゆっくりと歩み寄る。
逃げない。
確実に仕留める距離。
黄金の瞳が、死を告げていた。
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その時。
遠く——
森へ続く緩やかな斜面。
レオンは戦場を見下ろしていた。
父が膝をつく。
世界が揺れる。
呼吸が止まる。
その瞬間。
主が顔を上げた。
黄金の瞳。
遠いはずなのに。
本能が理解する。
——見つかった。
全身が総毛立つ。
捕食者の感覚が、未来を読む。
動く。
右だ。
「右だ!!」
叫んでいた。
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刹那。
父が反応する。
斧を振る。
主の牙が、ほんのわずかに逸れる。
ガレスの剣が深く食い込む。
血が噴き出す。
主が初めて体勢を崩した。
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父が立つ。
肺が悲鳴を上げる。
それでも踏み込む。
全身の力を斧に乗せる。
「終わらせるぞ……!!」
振り下ろす。
骨を断つ衝撃。
咆哮が森を震わせる。
だがまだ倒れない。
牙が肩に食い込む。
視界が赤く染まる。
それでも——
父は退かなかった。
もう一歩。
さらに踏み込む。
斧を振り抜く。
銀の巨体が揺れる。
膝が折れる。
そして。
地面を揺らし、崩れ落ちた。
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静寂。
誰も動かない。
やがて父が言う。
「……終わりだ」
群れが散る。
統率を失った獣の逃走。
戦いが終わったのだと、遅れて理解する。
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後にこの戦いは——
**「銀狼討伐」**と呼ばれることになる。
小さな村が、森の支配者を討った日として。
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だが。
ガレスが眉をひそめた。
「妙だな……」
銀狼の体には古傷が無数に走っている。
だがそのいくつかは——牙狼のものではない。
もっと深い。
もっと巨大な何かの爪痕。
「こいつ……森の奥から追われてきたのか?」
父は答えない。
ただ、暗い森の奥を見る。
底が見えない。
風が吹く。
木々が揺れる。
捕食者の本能が、静かに告げる。
——銀狼は、この森の頂ではない。
レオンはまだ知らない。
いずれ自分が、そのさらに奥へ踏み込むことになるとは。
本当の脅威は、まだ眠っている。
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