第14話 非常鐘の夜
子供たちが村へ駆け込んできた瞬間、空気が変わった。
最初に気づいたのは、ミナの母親だった。
洗濯物を抱えたまま立ち尽くし、次の瞬間には駆け出している。
「ミナ!!」
泣きながら抱きしめる。
ミナも声を上げて泣いた。
その光景を見た村人たちが、次々と集まってくる。
ざわめきが広がる。
ただ事ではないと、誰もが理解していた。
ケイルの膝は血で滲んでいる。
トーマは肩で息をしている。
そして——レオンの顔色が、異様に白い。
父が振り返った。
ゆっくりと歩み寄る。
慌てない。
走らない。
その静けさが、逆に場を張り詰めさせた。
父の視線がレオンに落ちる。
「……見たな」
短い言葉。
だが問いではない。
確認だった。
レオンの喉が鳴る。
父が続ける。
「銀に近い毛並み。左目が潰れていたはずだ」
鼓動が強く跳ねた。
「……はい」
それだけで十分だった。
周囲の大人たちが息を呑む。
父は森の方へ目を向ける。
そして低く言った。
「間違いない。群れの主だ」
ガレスが眉を寄せる。
「早いな……もうここまで降りてきているか」
父の声はさらに落ちる。
「あれは長く生きている目だった」
一瞬、意味が分からない者もいた。
だが経験のある狩人たちは理解する。
数多の死線を越えてきた個体。
ただの魔物ではない。
父が静かに結論を置いた。
「——最悪の相手だ」
ざわめきが、音を失う。
恐怖は叫びよりも速く伝染する。
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母が駆け寄ってきた。
レオンの肩を掴み、乱暴なほど抱きしめる。
「無事でよかった……!」
声が震えている。
レオンは何も言えなかった。
あの黄金の瞳が、まだ脳裏に焼き付いている。
父が静かに言った。
「もう境界はない」
村人が顔を上げる。
父は森を見据えたまま続けた。
「川まで来ている。どこも安全じゃない」
誰かが叫ぶ。
「子供だけで行かせるな!」
「見回りを増やせ!」
「いや、もうそんな段階じゃないだろ!」
感情がぶつかり始める。
日常が、音を立てて崩れていく。
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その夜、村長の家に大人たちが集められた。
松明の火が揺れる。
影が壁を歪ませる。
レオンは中に入れてもらえなかった。
だが気になって仕方がない。
家の外に立つ。
扉越しに、怒声が漏れてくる。
「討つべきだ!!」
「相手は灰牙狼だぞ!」
「だからなんだ、このままじゃ家畜も子供もやられる!」
拳が机を叩く音。
荒い息遣い。
沈黙。
そして——ガレスの声。
低く、よく通る声だった。
「あれはもう様子見の動きじゃない」
一拍。
「——狩場を広げに来ている」
空気が凍るのが、外にいても分かった。
誰かがかすれた声で言う。
「……時間はどれくらいある」
「多くない」
ガレスは即答した。
「飢えた群れは止まらん。次は人間だ」
レオンの背中を汗が流れる。
次は人間。
その言葉の重さが、胸に落ちる。
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村長が重く口を開く。
「……討伐隊を編成する」
空気が凍る。
誰も反対しない。
もう分かっているのだ。
やるしかないと。
村長が続ける。
「問題は——誰が率いるかだ」
沈黙。
誰もすぐには口を開かない。
灰牙狼の群れ。
その主までいる。
生半可な覚悟では務まらない。
視線が、一人、また一人と動いていく。
そして自然に止まる。
父の上で。
言葉はない。
だが空気が語っていた。
——お前しかいない。
ガレスが小さく息を吐いた。
「異論はない」
誰も続かない。
必要がなかった。
沈黙こそが同意だった。
村長が父を見る。
「……引き受けてくれるか」
父はすぐには答えなかった。
ほんの一瞬だけ、目を閉じる。
守るべきものを思い浮かべたのかもしれない。
やがて目を開く。
迷いは消えていた。
「分かった。俺がやる」
その一言が落ちた瞬間。
村の重心が、静かに定まった。
ガレスが笑う。
「いい顔になったな、隊長」
父は短く答える。
「守るだけだ」
それは誇りでも、覚悟の誇示でもない。
ただの事実だった。
強者は、余計なことを言わない。
その夜から、村は父の背中を見るようになった。
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