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ニホンザル

清流の音が心地よく響いていた。

私は川辺にしゃがみこみ、岩の陰に手を差し入れた。


ぬるり、と指先に感触がある。

一気にすくい上げると、銀色の体が跳ねた。


「よし、今朝の分は確保……!」


水しぶきが光を弾く。

カゴの中に放り込むと、イワナがぴちぴちと跳ねた。


「すごい! めっちゃ上手じゃん」


ユキヒコが笑う。

カゴには八匹。数日前よりもずっと安定して獲れるようになっていた。


「だいぶカンを取り戻してきたな」


「お父さん、ちょっと不思議なところ見つけたんだ」


「ん?」



斜面を登りながら、ユキヒコが指をさした。


「ほら、ここ!」


地面の隙間から透明な水がこんこんと湧いている。


「……湧水か! 助かる!」


思わず声が出た。

「これなら煮沸しなくても飲める。天然の濾過水だ」


「やった! ペットボトルに入れて持って帰ろう!」


「まず飲むのが先だな」


二人で笑い合い、冷たい水をすくう。

口に含むと、喉の奥まで透き通るように冷たかった。


(……生きている)


久しぶりに、心からそう思った。


だが次の瞬間、視界の端に動く影。


「……!」


鹿だ。

川辺に四頭ほど、群れている。

茶色の背中が陽にきらめく。


「……鹿だ」


思わず呟く。

ユキヒコも息を飲んだ。


「今、あれを獲れれば……」


私はユキヒコから矢を受け取り、静かに弓を構えた。


「鹿光が怒らないかな? 鹿の神って言ってたし」


「知るもんか。こんな場所に置き去りにしたのはアイツだ」


弦を引き絞る。狙いを定め、息を止める。

しかし――


パッと、鹿たちが一斉に散った。


「……!」


藪の奥に消えていく影。

風が残り香だけを運んできた。


「……行っちゃった」


「……あいつら、弓を知ってたな。人間に狙われることに慣れている」


私は矢を下ろした。

手の中に残るのは、狩り損ねた重さだけ。



何度か試したが、獲物は逃げるばかりだった。

鳥を狙っても矢は外れ、枝に突き刺さる。


「……くそ。動かない的とは全然違う」

「足場も悪いし、風の流れも掴めない……」


「ねえ、もう帰ってイワナ食べようよ」


ユキヒコの言葉に、肩の力が抜けた。


「……そうするか」



帰り道。

山の斜面を歩いていると、目に柔らかな緑が入った。


「お、タラの芽だ。これは食える」


「お父さんって、なんでも詳しいね」


「田舎育ちだからな。これくらい――」


その時、背中のカゴが引かれた。


「ユキヒコ、引っ張るなって」


「え? 僕、引っ張ってないよ?」


「……は?」


振り向いた瞬間。


「キシャアアアアアッ!」


目の前に、牙をむいた日本猿がいた。

カゴにしがみつき、イワナを奪おうとしている。


「うわああああああああ!」


「うわっ! 猿だ!」


私はカゴを引っ張り返した。

だが次の瞬間、木々の上から複数の影が落ちてきた。


十匹近い猿たちが、枝を叩き、牙を見せ、取り囲む。


「ギャア! ギャア!」


音が地鳴りのように響く。


「くそ、こんな猿どもくらい――」


「ユキヒコ、槍で威嚇しろ!」


「う、うん!」


ユキヒコが震える手で槍を構える。

周囲では猿たちが地面を叩きながら、目を光らせていた。


「ゆっくり……後ずさりだ」


一歩ずつ下がる。

汗が頬を伝う。


――その瞬間。


一匹の猿が跳んだ。


鋭い叫び。

歯が腕に食い込む。


「ぎゃあああああああああ!」


血の匂い。痛みで視界が赤く染まる。


「お父さん!」


ユキヒコの叫び。

彼の顔が決意に変わる。


「お父さんを離せえっ!」


少年の体が飛び出した。

槍の先が一直線に突き出される。


ドスッ。


猿の背中に突き刺さる。


「ぎぃいいいいいっ!」


叫び声とともに、猿が地面に転がった。

辺りに血が散る。


「はぁ……はぁ……」


ユキヒコの肩が小刻みに震えていた。

だが、猿たちはまだ囲んでいる。

枝の上から光る無数の瞳。


(――終わっていない)


森の中の静寂が、次の暴発を待っているようだった。

猿に噛まれたことあります。

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