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ドングリクッキー

焚き火の火が、ゆっくりと赤を深めていく。

薪がはぜるたび、影が岩肌に揺れた。


「ふう……助かったな。大丈夫か、ユキヒコ」


「うん。お父さんの運転のおかげだよ!」


「いや、それはお前のスマホの気転があったからこそだ」


笑い合いながらも、どこか張り詰めた空気が残っている。

焚き火の火が、互いの顔を照らしていた。


「……でも、あれでよかったのかな」


「ん?」


「本当は、この時代の人たちと仲良くしなきゃ、僕たち生きていけないでしょう?」


その言葉に、胸の奥が少し痛んだ。


(あんな大胆な行動をしておいて、その上で思慮深い。

 十歳の子供が、ここまで考えているなんて)


私はそっと手を伸ばし、ユキヒコの頭を撫でた。


「でもな、下手したら殺されてたかもしれない。しょうがないよ。

 次に会ったとき、仲良くなればいいさ」


「……そうか。そうだよね」


ユキヒコは少し俯き、焚き火の炎を見つめた。

その横顔を見ていると、言葉よりも強い信頼が胸に広がる。


「しっかし、腹が減ったな。結局、イワナも食い損なってしまったし」


「おまんじゅうも今朝、全部食べちゃったしね」


「今からイワナ取りに行くか?」


「え、夜の森は危険だよ」


「だよな……」


そう言って、私は脇に置いていた袋を持ち上げた。


「それより、これを食べてみようと思うんだ」


「それって……あの人たちが置いていった……?」


頷く。


――あの三人が去る前、焚き火のそばに残していった籠と弓と槍。

そして、この布袋。


袋の口を開くと、黒ずんだ丸いものがぎっしりと詰まっていた。

焦げた匂い。穀物のような香り。


「きっと食べ物だ。食べてみるぞ」


「……」


私は手の震えを抑えながら、それを一つ口に運んだ。



カリッ、と音がした。


咀嚼する。

微かに苦い。だが、香ばしさがある。


「どう? おいしい?」


「……食べてみろ」


ユキヒコが慎重に一口かじる。


「……うん、なんか香ばしくておいしい。ちょっと苦いけど食べられる!」


私は微笑んで頷いた。


「これはおそらく、どんぐりクッキーだな」


「ドングリ? 木の実の?」


「ああ。縄文時代から食べられていた、保存食の一つだ」



――どんぐりクッキー。

どんぐりを水にさらしてアクを抜き、粉にして焼いた素朴な食べ物。

縄文遺跡からも、加工痕や炭化した粒子が見つかっている。


「苦いのはタンニンのせいだろう。でもちゃんとアク抜きされてる。

 塩か灰か、焙煎で工夫してるはずだ」


「ちゃんと味の工夫もしてあるんだね」


「だな。これで三日は飢えずに済む。……神の恵みだよ」


冗談のつもりで言ったのに、ユキヒコがくすっと笑った。


「違うよ。あの人たち、僕たちのことを神様だと思ったんだよ」


「じゃあ、これはお供物くもつってやつか」


笑いながらも、背筋に冷たいものが走る。

“神として見られる”ことが、どれだけ危険か――まだ知らなかった。



「だけど幸運にも、弓と矢と槍が手に入った。明日は狩りに挑戦しよう」


「狩り?」


「ああ。イワナやどんぐりクッキーだけじゃ、カロリーが足りない。

 どうしても肉が必要だ」


「じゃあ、明日から頑張ろうね」


「おう」


焚き火がパチリと音を立てる。

二人の影が、夜風に揺れた。



翌朝。


森に鳥の声が戻る。


私は弓を構え、ゆっくりと息を吐いた。

ツルを引き絞り、狙いを定める。


ビン、と乾いた音。

矢が木の幹に突き刺さる。


「お父さん、すごい! まだ一時間ぐらいなのに!」


「ハハ、自分でも驚きだよ。弓の性能がいいのかもしれないな」


ユキヒコも弓を引こうとするが、腕が震える。


「僕には固くて引けない……」


「子供には無理だ。お前は、こっちを持て」


私は槍を手渡した。


「この槍、意外と軽いね」


「うん……穂先は黒曜石こくようせきだ。古代の最高級素材だよ」



――黒曜石の槍。

縄文時代から使われた狩猟武器。

黒曜石は非常に鋭く、刃こぼれしやすいが切れ味は鉄に近い。

弥生後期になっても、九州などではこの石器文化が生き残っていた。



「黒曜石は火山の周辺で採れる天然のガラスだ。

 九州なら鹿児島あたりで見つかる。

 だが、これは明らかに縄文のスタイルだ。

 ……西暦240年のはずなのに、鉄器と共存してる。

 この時代、縄文と弥生が混在していたのかもしれない」


自分の口から出た言葉に、鳥肌が立つ。

生きた歴史が、今まさに目の前で動いている。


「よし。水汲みとイワナの補充をして、森に入ろう。

 もし獲物を見つけたら、狩りに挑戦するぞ」


「うん!」


私はカゴを背負い、弓を肩にかけた。


(この時、俺たちは“狩人になる”ことに高揚していた。

 だが、忘れていたんだ)



森の静寂の中で、獣たちの息づかいが響く。

熊。鹿。猿。猪。そして狼…


(この時代、人間は食物連鎖の頂点ではない。

 俺たちは――その事実を、まもなく思い知ることになる)





どんぐりクッキーは、子供の頃作って食べたことがあります。

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