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アマテラス

「アマテラスを信仰する“東の国”とは――邪馬台国のことではないのか?」


自分の声がわずかに上ずっていた。

胸の鼓動が、内側から首筋まで響いているのが分かる。


邪馬台国。それは日本史の中でも最大の謎だ。

中国の史書『魏志倭人伝』には確かにその名が記されているのに、

日本の史書――『日本書紀』や『古事記』には、一切の記録がない。

百数十年の空白。まるで意図的に削り取られたような沈黙が、年表の一角にぽっかりと穴を開けている。


それは後のヤマト王権に繋がるのか、それとも歴史の彼方で滅び、影も形も残さなかったのか。

そして、その信仰の中心にいたのが、太陽神――天照大神。

アマテラスを祀る国が、もし邪馬台国だったとしたら……

ヤマトの源流は、まさにこの地から始まったことになる。


私はアシカビの答えを待った。

喉の奥が乾き、息がうまく吸えない。


「邪馬台国……とな。聞いたこともないな」


「!」


血の気が引いた。

「い、いや、発音が違うのかもしれない」


頭の中で文字が走る。

『魏志倭人伝』では本来“邪馬壹國”。

“壹”は“い”とも“と”とも読める。

つまり“ヤマトの国”あるいは“ヤマイの国”。


「その東の国は、ヤマトとか……ヤマイとか呼ばれていないか」


「ふむ、ヤマトという国が東にあるとは聞いたことがある」


「ヤマト!」


やはり繋がっているのか――。

心の中で血が沸き立つ。


しかしアシカビはすぐに続けた。

「だが、奴らは自らの国を“ひたかみのくに”と呼ぶぞ」


「……え?」


「ひたかみのくに……」

その響きが、火花のように脳裏を弾いた。


「まさか――日高見国のことか!」



「うむ。知っておるのか?」


「あ、ああ……」


だが次の瞬間、頭の中で警鐘が鳴った。

ありえない。


私は額を押さえた。アシカビが怪訝そうにこちらを見ている。


『日本書紀』の一節が浮かんだ。


――東に美しい土地あり。名を日高見国という。広く平らで、肥沃で、人民は多く、また荒ぶる人(蝦夷)がおり、必ずや王化に従わぬであろう。


蝦夷。

当時、東北に暮らしていた縄文系の人々。

彼らは長くヤマトと戦い、やがて敗れて和人に同化した。


その蝦夷が、ヤマトの神アマテラスを祀るなど――あり得るはずがない。

蝦夷には蝦夷の信仰があり、山や風や火といった自然こそが彼らの神だった。


「だいたい、ここは宮崎だぞ!」


思わず声が上ずる。

「東北の国が、こんな南まで来るなんて、理屈に合わない!」


アシカビが目を細める。

ユキヒコがそっと袖を引いた。

「お父さん、落ち着いて」


私は荒くなった呼吸を整えようとした。

頭の中で地図が広がる。

所在地論争は、九州北部説か畿内説に集約されていた。

吉野ヶ里、纏向――どちらも紀元二四〇年前後には大きな国の痕跡が残っている。


それらを差し置いて、東北の国が宮崎の日向に遠征してくる?

理屈が、崩れる。


鹿光め。

「予言者」だの「使命」だの言っていたが、結局この知識は何の役にも立たない。

私が信じてきた歴史は、ここでは砂上の楼閣にすぎないのか。



「じゃあ――卑弥呼は? 卑弥呼はどこにいる?」


アシカビの眉が動いた。

「この時代、倭を束ねているのは邪馬台国。そしてそこの女王が、卑弥呼というのか?」


「そうだ。その卑弥呼は……」


アシカビは顎で背後を示した。

「ヒミコなら、ほれ」


振り向くと、カヤ姫がそこに立っていた。

「えええええっ!? カヤ姫が“卑弥子”!?」


カヤ姫が目を丸くし、ユキヒコが吹き出しそうな顔をしている。


――ということは、ここが邪馬台国?

馬鹿げている。

こんな小さな集落が“国”の中枢であるはずがない。


それに、『魏志倭人伝』の記述では、卑弥呼はすでに高齢。

どう考えても辻褄が合わない。


「呼んだか?」


カヤ姫が笑顔で近づいてくる。

アシカビが肩を揺らして笑った。

「タカシに“そなたがヒミコだ”と言ったら、たいそう驚いてのう」


「ええ!? カヤ姫が卑弥呼だったの!?」

「どういうことやっちゃ?」


私は両手を振った。

「違う違う。“姫で巫女”――つまり“姫巫女ひめみこ”。ヒミコって意味だ。

あの邪馬台国の女王・卑弥呼とは別人だよ」


アシカビがうなずく。

「うむ。カヤはこの村では、ワシの妹の姫であり、この村の祭祀を取り仕切る巫女でもある」


「……ならば、王は?」


「王?」


「ああ。このヒムカの国の“王”は誰だ?」


私の声に、アシカビは一瞬黙り、やがて首を振った。


「――いないのだ」


「いない?」


「この日向の地には、“王”がいない」


焚き火の煙が立ち上り、その向こうで彼の顔が滲んだ。


王がいない。

つまり、この国にはまだ統一の権力が存在しないということだ。

連合か、氏族制か。あるいは、祭祀と武力が分かれたままの時代。


ならば――“王の器”は、これから作られる。


胸の奥で、鹿光の声がよみがえる。


――この息子を王へと導き、育てるがよい。


私は無意識にユキヒコの横顔を見た。

焚き火の音が遠のき、夜空の星が近づいてくる。


王がいない国に、王を置く。

その言葉の意味が、初めて現実味を帯びた。


そして同時に悟った。

それが、私の“予言者”としての使命――

この土地に、未来を刻むということなのだ。


胸の奥が熱くなり、焚き火の光が滲んだ。


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