「お父さんっ!! 死なないで! お願いだよ!」
「お父さんっ!! 死なないで! お願いだよ!」
ユキヒコの叫びが、森の奥へ吸い込まれていく。
焚き火の炎が揺れ、夜の風が肌を撫でた。
父の胸は、かすかに上下している。だが、その呼吸は浅い。
「お父さん……」
涙が頬を伝い、地面に落ちたそのとき――
ガサガサッ。
背後で、草をかき分ける音。
ユキヒコの全身がこわばる。
(……何かいる)
槍を握りしめ、藪の方を睨んだ。
闇の奥から、湿った風が吹きつける。
「誰だっ……!」
声が震える。
火の粉が舞い、影がざわめく。
闇の向こうから、手が現れた。
そして――人の気配。
◇
木の影から三人の姿が現れた。
仮面をつけた少女と、二人の男。
一人はずんぐりとした丸い体型で、肩幅が広く、まるで小熊のよう。
もう一人は長身で、背筋が真っ直ぐに伸び、手に槍を携えている。
その佇まいは、夜気の中に浮かぶ彫像のようだった。
(……古代人!)
ユキヒコの喉が鳴る。
父の前に立ちふさがり、槍を構えた。
「ど、どうするつもりだ!」
少女は黙って彼を見つめていた。
焚き火の光に、仮面の輪郭がゆらめく。
そして、静かに仮面へ手をかけた。
「……!」
ぱさりと音を立てて、仮面が外される。
現れたのは、月明かりの中で光る少女の素顔。
褐色の肌、深い瞳。
美しさよりも、神聖さのような静けさをまとっていた。
ユキヒコは息を呑んだ。
その瞬間、背後から荒い息。
長身の男が素早く動き、ユキヒコの槍を掴み上げた。
「うわっ!」
槍が奪われる。
そのまま力任せに抱き上げられ、ユキヒコの足が宙に浮く。
「離せっ!」
必死にもがくが、腕の力が岩のように固い。
◇
少女と子熊のような男が父のそばにしゃがみ込む。
ユキヒコは叫んだ。
「な、何するんだ! お父さんに触るな!」
少女は答えず、腰の剣を抜いた。
焚き火の光を受け、刃が赤く染まる。
「やめろおおおおお!!!」
ユキヒコの叫びが夜に響く。
だが少女は迷いのない手つきで剣を焚き火に差し入れた。
鉄の匂いが漂う。
刃が真っ赤に焼ける。
ユキヒコは息を止めた。
(……何をする気だ?)
少女は、焼けた剣を父の腕の上にかざした。
長身の男がその腕を押さえる。
ブツリ、と肉の焼ける音。
少女の頬に血と膿が飛び散る。
「うっ……!」
父の体が跳ねた。
「シボレ」
子熊のような男が力任せにタカシの傷口を中心に腕をひねる。
いわゆる雑巾しぼりだ。
ボトボトと傷口から、さらに大量の血と膿が搾り取られる。
ユキヒコは混乱のあまり声を失った。
(な、何を……!?)
だが次の瞬間、少女は短く叫んだ。
「アラエ!」
今度は丸っこい男が瓢箪を取り出し、水を注ぐ。
傷口が染みるのか、父が苦しそうにうめいた。
「ぐうう……!」
それでも――呼吸が戻った。
「お父さん!」
ユキヒコが駆け寄る。
◇
ぼやけた視界の中で、私は目を開けた。
仮面の者たちが見える。
(な、なんだ……アカリ? 夢か? 現実か?)
記憶が交錯する。
東京。病室。夜のアパート。
だが今、目の前には……古代の火。
(そうだ。私は猿に噛まれ……)
「ユキヒコ……!」
「お父さん!」
「……彼らは?」
「わからない。でも、多分お父さんを助けてくれたんだと思う」
私は頷き、息を整えた。
少女が竹の筒を取り出し、長身の男から小袋を受け取った。
中から、小さな丸薬がこぼれる。
◇
――丸薬。
その歴史は古い。
複数の薬草を組み合わせ、すり潰し、丸めて天日で乾かす。
縄文の時代にも、薬を携行するための知恵がすでに存在していたという。
◇
少女が丸薬を掌に載せ、言った。
「コリャ――ユルメチ、ノマセッゾ」
ずんぐりした男と長身の男が頷く。
意味は分からない。
だが、その目の優しさが伝わった。
ユキヒコは父の手を握った。
「……お父さん、きっと大丈夫だよ」
私は、ゆっくりとまぶたを閉じた。
森の匂いと、土の温もりが、意識の奥へ溶けていく。
◇
タカシは死にませんでした




