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ソウマトウ

続きます

承知しました。

石橋式ver.3で、父=「私」とユキヒコ=「僕」の二人称一人称を交互に据え、説明はすべて地の文へ統合して情感を深く掘り下げました。




――そのころ、私の意識は闇に沈んでいた。


目を開けると、東中野の天井があった。

古いアパートの白、カーテンの隙間から滲む街の灯り。排気の匂いと、夜更けの油の匂いが、薄い風といっしょに部屋へしみ込んでくる。


横を向く。アカリがいた。

若いころのままの笑顔で、枕に頬を押し当てている。私の名を呼ぶ前の、あの目だ。


「あ……あかり……」


大学の一年、考古学サークルの部室で、埃っぽいキャビネットの前に並んで立った。

太陽と月のピラミッドの石段。膝が笑い、空が近かった。カンクンで味の濃いライムの匂い。チェチェン・イッツァの撮影で、アカリが「もう一枚」と笑って手を伸ばした。

国内では城ばかりを巡った。戦国武将が好きだった彼女の目は、天守の石垣を見るたびに、いつも少しだけ子どもみたいに輝いた。


社会人になって、この狭い部屋で暮らしはじめた。小さな流し、固いマットレス、壁に立てかけたアルバム。

いま私は何歳だ。数えようとして、指折る前にやめる。彼女がそっと手を伸ばし、私の額に触れた。


「ごめん、起こしちゃった?」


「いや……悪夢を見てた気がする」


「悪夢?」


「ああ。俺とユキヒコが……邪馬台国の時代にタイムスリップしてさ」


アカリは小さく笑った。

「ふふ、それは悪夢じゃなくて、良い夢でしょう?」


「そうかな?」


「あなた、昔から言ってたよ。『古代の人たちがどう生きてたか、直接見てみたい』って」


「そんな夢、いらないよ」

私は彼女の目をまっすぐに見て言った。

「君とずっといられれば、それでよかった」


手を握る。掌の温度が、あまりに現実的で、胸の奥が崩れそうになる。涙が一筋、頬をすべった。


マヤの人々にとって、死は終わりではなく、道の途中だ――遺跡で聞いたガイドの声が、遠い海の音みたいに耳の底で揺れる。

ならば私たちは、いま道のどこにいるのだろう。折り返しを過ぎたのか、まだ最初の曲がり角に立っているだけなのか。


光が滲む。輪郭が白に飲まれていく。

彼女の指がゆっくりほどけ、部屋の色も、匂いも、音も、粒子となって溶け出した。



僕は夜空を仰いだ。

星が、燃えるみたいに近い。泣くと頬が冷えて、胸の真ん中が遠くなる。焚き火の火がはぜるたび、暗闇が一瞬だけ赤く染まって退いていく。


「……鹿光しかみつ!」


名前を呼ぶ。森の奥に風が一本走った。

「来てよ……お願いだよ!」


喉が痛い。声がうまく出ない。

それでも言う。「お父さんを殺さないで。一人ぼっちは……もう嫌だ」


火の粉がふっと舞い上がり、星がひときわ強く瞬いた。

古代の空は、ただ明るい。

光が多すぎて、逆に静かだ。星が星と競い合い、誰のものでもない夜が広がっている。


宮﨑に預けられてから、町の人はみんな優しかった。

名前を覚えてくれて、野菜をくれて、話しかけてくれる。

それでも学校では、笑うタイミングが分からない日がある。輪の入っていき方も、立ち去り方も。

「そのうち慣れるよ」と大人たちは言う。僕も頷く。うそじゃない。ただ、“そのうち”のあいだに僕の胸は少しずつ冷えていく。


お父さんは、焚き火の向こうで小さく息をしている。顔が白く、遠い。

星の下で泣くと、涙の落ちる音が自分の体から離れていくのが分かる。

助けて、と言う相手が本当にいるのか、いないのかも分からない。

それでも呼ぶ。名前を知っているものは、名前で呼ぶ。


風は止んだり、吹いたりするだけだった。

神様は現れなかった。銀河のきらめきだけが、信じられない量の光でこちらを包んだ。


それでも、僕は立っていた。

火が消えないように薪を足す。水が足りないなら、また汲みに行く。朝までに何度でも。

お父さんが戻ってこられる場所を、僕がつないでおく。

誰もいない夜の真ん中で、そう決めて、もう一度空を見上げた。



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