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第9話「朝の花とやわらかな光」

 朝の食卓は、ひさしぶりに穏やかな温度に包まれていた。


 ニコはもう熱も下がり、薄い上着を羽織っただけの姿で、マーシアの正面に座っていた。

 湯気の立つ紅茶と、小さな果物の皿。焼きたてのパンの香ばしい匂いが、窓の向こうの光と一緒に流れ込んでいる。


 「……昨日は、ごめんね。僕、ひとことも言えずに倒れてて」


 「いいえ。お元気になられて、よかったです」


 「マーシアが来てくれたって、あとでコンラートから聞いたんだ。……覚えてないの、惜しいくらいだよ」


 彼はいつもの調子でそう言ったが、声の底には、ほんの少しだけ照れの気配が混ざっていた。


 「熱が出ると、身体だけじゃなくて、心も弱くなるね」


 「……だからこそ、素直な気持ちが出るのかもしれません」


 そう言ったマーシアの声に、ニコはきょとんとして、それからふわりと笑った。


 「……たぶん、そうかもしれないね」



 朝食を終えたあと、ふたりで中庭に出た。

 澄んだ空気に朝露の香りが混じり、草の葉がほんのりと光を反射していた。


 「ねえ、見て」


 ニコが指さしたのは、庭の端にある花壇。

 そこには――紫の花が、ゆらりと風に揺れて咲いていた。


 「……アメジストセージが咲いたんですね」


 「うん。庭師さんが、昨日の夕方に“そろそろ咲きますよ”って教えてくれたんだ。

  なんだか、君のことを見てるみたいで、嬉しかった」


 「……どうしてですか?」


 「優しいのに、少しだけ遠くて、風に揺れてて、でもちゃんとそこにある感じ」


 マーシアは目を伏せて、小さく笑った。


 「私も、この花、好きです」


 「マーシアが好きなもの、いっぱいこの庭に増やしていこうよ」


 「……そんなことをしたら、この庭、花だらけになります」


 「それでいい。君の“好き”で埋まってる庭なんて、きっと素敵だ」


 冗談めいた言い方だったけれど、どこか本気に聞こえた。

 マーシアは、答えずに小さく頷いた。



 そのあと、ふたりはしばらく黙ったまま庭を歩いた。

 何かを語らなくても、言葉にならないものは、たくさんあった。


 咲いたばかりの花を眺めて、空の色を見上げて――

 マーシアは、ふと思った。


 (……きっと、この人も、自分を置いてきたことがある)


 その人がいま、自分の隣にいる。

 それだけで、今日は少しだけ、やさしい日だった。



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