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第8話「季節の熱と、静かな癒し」

 朝食の席に、ニコラウスの姿はなかった。


 欠席の知らせは、老家令の口から静かに告げられた。

 「今朝より、ニコさまは少々ご体調を崩されておりまして。

  季節の変わり目には、よくこうした熱を出されるのです。深刻なものではございません」


 それを聞いて、マーシアは少しだけ迷ったあと、小さく口を開いた。


 「……お見舞いに伺っても、よろしいでしょうか?」


 老家令は一瞬だけ目を細め、すぐに「はい」と頭を下げた。



 ニコの私室は、思っていたよりも静かだった。


 窓のカーテンは半分だけ閉じられ、光もやわらかい。

 寝台に横たわったニコは、氷嚢を頭にのせたまま、申し訳なさそうにこちらを見上げた。


 「ごめんね、マーシア。……僕、季節が変わる時期に、よく熱を出すんだ。

  病気っていうほどじゃないんだけど、体が言うことを聞かなくなるみたいで」


 「お邪魔でなければ、お話し相手になります」


 そう告げると、ニコは少しだけ目を見開いて、それから、ふっと表情を緩めた。


 「ありがとう。……本当に、ありがとう」



 しばらくのあいだ、雑談のようなことをしていた。


 けれど、それが途切れた沈黙のなか、ニコはぽつりと語り出した。


 「僕ね、小さいころに両親を亡くしたんだ。……王位継承に関する騒ぎで、暗殺された」


 マーシアは何も言わず、ただ頷く。


 「そのあとすぐに公爵位を継いで、まわりの大人たちから守られる立場になった。

  だから、誰も本当のことを言わない。誰が味方かも分からない。

  そうしてるうちに、なんとなく、誰の言葉も心に入ってこなくなったんだ」


 窓の外で、風が葉を揺らす音が聞こえた。


 「僕ね、愛想はいいほうだし、誰とでも笑って話せる。

  でも……ほんとは、ずっと自分から人を遠ざけてる。傷つくのが怖くて。

  わかってるんだ。自分で距離をとっておいて、『ひとりだ』なんて思ってるの、変だよね」


 マーシアは、少しだけ身体を寄せて言った。


 「……でも、今日、お顔を見にきたのは、私です」


 ニコは驚いたように瞬きして、それから、少しだけ目を伏せた。


 「……来てくれて、うれしい。君がここにいるとね、なんだか、ちゃんと呼吸ができる気がする。

  安心できるっていうか、……落ち着くんだ」


 「私も、です」


 その返事に、ニコがゆっくりと顔を上げる。


 マーシアは、やわらかく笑っていた。


 「ニコさまのまわりが穏やかなのは、きっと……ご自身が、周囲を気遣っておられるから。

  誰かを気遣うには、誰よりも傷ついていないと、できないことです」


 「……慰めてくれるの?」


 「違います。……わかる気がしたから、お話ししただけです」


 静かな空気が、ふたりのあいだに流れる。


 ニコは少し目を閉じて、「ありがとう」とだけ呟いた。


 そしてそのまま、眠りの中へ落ちていった。


 マーシアが席を立とうとしたとき、布の下から伸びた指先が、そっと彼女の手を探った。


 眠ったままの手が、彼女の指をゆるく握る。

 強くはなかった。ただ、離してほしくないと願うような、子どものような仕草だった。


 マーシアはその手を見下ろして、しばらく黙っていた。

 そして、そっと腰を戻し、彼の手を握り返さずに、ただ静かに添えたままにした。


 (このひとは、こんなふうに、誰にも言わずに……)


 なにも言わず、なにも求めず、それでもぬくもりを求めていたことに気づいて。

 彼女はただ、手を添えたまま、やわらかくまぶたを閉じた。



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