表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/98

第4章「秋の風と小鳥」

 午後の温室は、音という音が遠のいていた。

 ガラスの向こうでは、黄葉の枝が細かく揺れている。

 陽の光もすこしやわらぎ、足元の影はやや長くのびていた。


 アメリアが、ティーポットをそっと傾ける。

 銀の縁を持つカップに、琥珀色の液体が静かに注がれていく。

 その向かいでは、マーシアがいつも通りの穏やかな微笑を浮かべていた。


 「今日は風が気持ちいいですね」

 ふと、そう口にしたのはマーシアだった。


 「秋の風って、好きです」


 リリィナが、パティシエ仕立てのクッキー缶を開けながら顔をあげる。

 「春じゃなくて?」


 「……春の風は、少しだけくすぐったい気がします。

 冬の風は、静かだけど寂しくて。夏の風は、少し怒ってるみたい」


 「うん、怒ってる。わかる気がする」

 リリィナがこくこくと頷いて、ひときれ欠けたクッキーを手に取った。

 「こう、ねえ聞いてよ!って顔して吹いてくるよね、夏の風」


 「秋の風は、静かにしていると寄ってきてくれるような……そんな気がして」


 そう言って、マーシアはテーブルの端に置かれた一輪の野花にそっと目を落とす。


 「たぶん、風って、選んでくれてるんだと思うんです。

 騒いでる人のとこには来ない。黙って待ってる人のとこにだけ、ふわっと」


 その言葉に、アメリアはカップを持ったまま、ふっと目を細めた。


 「……あなたって、ほんとうに不思議な方」


 「そうですか?」


 「ええ。でも、悪い意味じゃなくてね」


 マーシアは、そのまま何も言わずに微笑んだ。



 紅茶が冷めないうちにと、三人はしばらく菓子とお茶に集中していた。

 静かな満足感がテーブルの上に漂っている。


 そのとき、温室のドアがふわりと開いた。

 風がひとつ、音も立てずに入ってきたようだった。

 そして、それに合わせるように、小さな影が庭に舞い降りる。


 「……すずめ?」


 リリィナがそっとささやいた。

 テラスの手すりに、小さな鳥が止まっていた。

 茶と灰のまだら模様の羽。ふくふくと膨らんだ胸元。

 そのすずめは、くちばしを小さく動かして、辺りをうかがっている。


 マーシアは、席を立った。


 テラスの近くまでゆっくりと歩いて行き、手を、そっと差し出す。


 姉妹は息をのむ。

 その動きは、あまりにも自然で、呼吸のようだった。


 「……止まってくれるかな」


 指先は震えず、風のように静かに、鳥に向かって開かれていた。


 けれど、すずめは数秒とどまったのち、ふいっと身を返して飛び去った。


 「逃げちゃった」


 リリィナが少しだけ残念そうに言う。

 でも、マーシアはその場で、ふっと肩の力を抜いた。


 「……ええ。でも、ほんのちょっとだけ、近くまで来てくれました」


 「すごいですよ。普通は寄ってきませんって」


 「それに……ちょっとだけ、うらやましいわ」


 アメリアの言葉に、マーシアがゆっくりと振り返る。


 「すずめは、ちゃんと逃げられるんですね」


 「……え?」


 「わたしは……逃げるのが下手だったから」


 その言葉は、風よりも静かに宙にとけていった。


 でも、すぐに何かを加えることもなく、マーシアは椅子に戻って座った。


 リリィナが、少しだけ強めにカップを置いた。


 「じゃあ、わたしたちが、におい消ししておきますね」


 「え?」


 「すずめの代わりにはならないけど、“ここにいますよ”って印をね。

 うるさいと風が寄ってこないって言ってましたよね?」


 「……はい」


 「だったら、“ちょっとうるさいほうが、ここにいるってわかるでしょ”って風に伝えるんです」


 アメリアは苦笑を浮かべた。

 それを見て、マーシアがほんの少し、頬をゆるませた。


 その微笑みは、秋の風とよく似ていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ