第4章「秋の風と小鳥」
午後の温室は、音という音が遠のいていた。
ガラスの向こうでは、黄葉の枝が細かく揺れている。
陽の光もすこしやわらぎ、足元の影はやや長くのびていた。
アメリアが、ティーポットをそっと傾ける。
銀の縁を持つカップに、琥珀色の液体が静かに注がれていく。
その向かいでは、マーシアがいつも通りの穏やかな微笑を浮かべていた。
「今日は風が気持ちいいですね」
ふと、そう口にしたのはマーシアだった。
「秋の風って、好きです」
リリィナが、パティシエ仕立てのクッキー缶を開けながら顔をあげる。
「春じゃなくて?」
「……春の風は、少しだけくすぐったい気がします。
冬の風は、静かだけど寂しくて。夏の風は、少し怒ってるみたい」
「うん、怒ってる。わかる気がする」
リリィナがこくこくと頷いて、ひときれ欠けたクッキーを手に取った。
「こう、ねえ聞いてよ!って顔して吹いてくるよね、夏の風」
「秋の風は、静かにしていると寄ってきてくれるような……そんな気がして」
そう言って、マーシアはテーブルの端に置かれた一輪の野花にそっと目を落とす。
「たぶん、風って、選んでくれてるんだと思うんです。
騒いでる人のとこには来ない。黙って待ってる人のとこにだけ、ふわっと」
その言葉に、アメリアはカップを持ったまま、ふっと目を細めた。
「……あなたって、ほんとうに不思議な方」
「そうですか?」
「ええ。でも、悪い意味じゃなくてね」
マーシアは、そのまま何も言わずに微笑んだ。
*
紅茶が冷めないうちにと、三人はしばらく菓子とお茶に集中していた。
静かな満足感がテーブルの上に漂っている。
そのとき、温室のドアがふわりと開いた。
風がひとつ、音も立てずに入ってきたようだった。
そして、それに合わせるように、小さな影が庭に舞い降りる。
「……すずめ?」
リリィナがそっとささやいた。
テラスの手すりに、小さな鳥が止まっていた。
茶と灰のまだら模様の羽。ふくふくと膨らんだ胸元。
そのすずめは、くちばしを小さく動かして、辺りをうかがっている。
マーシアは、席を立った。
テラスの近くまでゆっくりと歩いて行き、手を、そっと差し出す。
姉妹は息をのむ。
その動きは、あまりにも自然で、呼吸のようだった。
「……止まってくれるかな」
指先は震えず、風のように静かに、鳥に向かって開かれていた。
けれど、すずめは数秒とどまったのち、ふいっと身を返して飛び去った。
「逃げちゃった」
リリィナが少しだけ残念そうに言う。
でも、マーシアはその場で、ふっと肩の力を抜いた。
「……ええ。でも、ほんのちょっとだけ、近くまで来てくれました」
「すごいですよ。普通は寄ってきませんって」
「それに……ちょっとだけ、うらやましいわ」
アメリアの言葉に、マーシアがゆっくりと振り返る。
「すずめは、ちゃんと逃げられるんですね」
「……え?」
「わたしは……逃げるのが下手だったから」
その言葉は、風よりも静かに宙にとけていった。
でも、すぐに何かを加えることもなく、マーシアは椅子に戻って座った。
リリィナが、少しだけ強めにカップを置いた。
「じゃあ、わたしたちが、におい消ししておきますね」
「え?」
「すずめの代わりにはならないけど、“ここにいますよ”って印をね。
うるさいと風が寄ってこないって言ってましたよね?」
「……はい」
「だったら、“ちょっとうるさいほうが、ここにいるってわかるでしょ”って風に伝えるんです」
アメリアは苦笑を浮かべた。
それを見て、マーシアがほんの少し、頬をゆるませた。
その微笑みは、秋の風とよく似ていた。