第3話「姉妹の王宮案内」
アメリア・フォン・カレンベルクは、並んで歩く少女を静かに観察していた。
母は女官長、兄は近衛騎士団長。
自然と、王宮内の風聞にも敏くなる家柄だ。
耳にしたのは、「シュタウフェン公爵邸に時折だけ姿を現す謎の侍女」の噂。
しかも、王太子がその侍女に強い関心を寄せているという。
さらに、兄マクシムまでもが口にしたのだ。
「お前、見てきてくれよ。どんな子か、ちょっと気になるんだ」
兄が“気になる”という時は、たいてい面倒なことになる。
そう警戒しながらも、今日はこうして東屋のお茶会に参加し、案内役を買って出た。
王宮の中庭を、三人の令嬢が並んで歩く。
その中央にいるのが、マーシアという名の“侍女”。
(でも、この子……)
立ち居振る舞いは控えめで、姿勢は崩れない。
笑みは絶やさず、受け答えも柔らかい――けれど、なぜだろう。
感情の焦点が、どこか霞んでいるように見える。
すべてが、遠くで鳴っている鈴の音のようだ。
「ねえ、アメリア姉さま。あの子……ちょっと変わってない?」
リリィナがひそりと声を寄せてきた。
「どこが?」
「“慣れてない侍女”って感じじゃないの。むしろ、ぜんぶ知ってて隠してるみたいな……そういうの」
(……見抜くのは早いのね、リリィナ)
アメリアは小さく微笑んだだけで、返事はしなかった。
*
東の回廊を歩きながら、アメリアは何気ない調子で案内を続けていた。
「ここは王族の即位や儀式の際に使われる通路なの。朝のうちなら、神殿騎士団長のオスカー様が通られることもあるのだけれど」
「……そうなんですか」
マーシアは、にこやかに相槌を打つ。
だが、不思議だった。浮ついたところはないのに、存在感だけが風のように遠い。
それでいて、言葉の一つひとつには知性の香りがあった。
「この先は近衛騎士団の修練場につながっています。兄があちらにおりますので、最後に少し立ち寄りましょう。……まあ、兄に関しては多少、問題もありますが」
「問題、ですか?」
「ええ。出会えばすぐにわかります」
*
温室、図書館、礼拝堂。
マーシアはすべてに丁寧な関心を示した。
が、どこか“感情”という絵の具を薄く引いたまま、輪郭だけをなぞっているようだった。
それが、疲労か、距離感か、あるいは――
*
北棟の国政庁へ続く廊下。
普段は人通りもない静かな場所で、緋色の外套がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
「……ヴィクトワール殿下」
アメリアが思わず声を抑え、リリィナも立ち止まる。
マーシアの足も止まり、その表情がふっと揺れた。
王太子はまっすぐに彼女へ歩み寄り、他の存在など見えていないように語りかける。
「マーシア。来ていたのか」
「申し訳ありません。ご挨拶もせずに……」
「いや、いい。元気そうだな、それで十分だ」
「殿下も……お変わりなく」
「君が来ているなら、あとでニコの屋敷へ伺わせてもらうよ」
何のてらいもなく、まるでそれが当然であるかのように。
――“ただの侍女”に、あの目は向けられない。
王太子が去ったあとの廊下は、風の音ばかりが響いていた。
「アメリア姉さま……今のって」
「リリィナ」
アメリアは、そっと妹の言葉を制した。
「これはね、“気づいてはいけないこと”かもしれないの。だから、黙っておきましょう」
「……うん。わたしも、そう思う」
アメリアはマーシアの背に、そっと視線を向けた。
彼女は笑っていた。けれど、その笑みは、誰にも届いていない気がした。
(この子は――いったい、“誰”なのかしら)
*
「最後に、近衛騎士団の修練場に立ち寄りますわ。屋内のほうに兄がいるはずです」
屋内修練場の入口で手を振ると、マクシムがすぐに気づき、こちらへ歩いてくる。
アメリアは一瞬、心の中でため息をついた。
兄は家族想いで、面倒見もいい。……ただし、ひとつだけ、大きな問題がある。
「君が、噂の侍女さん? ……うわあ、かわいいなあ。なるほど、これは話題になるね。今度、よかったらお茶でもどう?」
そう、ナンパ癖が“たいへんに”ひどいのである。
「ちょっと、お兄さま。ちゃんと紹介させてください」
「おっと、そうだね。俺はマクシム・フォン・カレンベルク。ふたりの妹の兄で、近衛騎士団長をしてる。マーシアちゃん、神殿から来てるんだっけ? オスカーとも騎士学校の同期なんだよ」
「“ちゃん”呼びはやめてください!」
「アメリアは堅いなあ。どうせ神殿からの息抜きなんだし、ちょっとくらいこういうのがあった方が楽しいじゃないか」
「楽しいのはお兄さまだけです!」
そのやりとりに、マーシアがくすりと笑った。
「ふふっ……とても仲がよろしいのですね。マーシアと申します。どうぞ、よろしくお願い致します」
「こちらこそ、どうぞよろしく。予定ある? なければ送ってくよ」
「いえ、こちらが最後の予定でしたので、公爵さまのもとへ戻るところです」
「なら、決まりだね。ほら、お手をどうぞ、お姫様」
勝手にマーシアの手を取って歩き出す兄に、アメリアは頭を抱えた。
「お兄さまは、ほんとうに……! マーシアさん、嫌でしたら、つねっても構いませんからね!」
「えっ、つねるのは痛いだろ?」
「それくらいしないと、反省しないじゃないですか!」
マーシアの笑みが、ほんの少しだけ、今度は目元まで届いていた。