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第1話 「祈りの間より」

 静寂をたたえるフレアルナ神殿の最奥、朝の光が差し込む祈りの間。


 そこにひとり、明るい栗色の髪の少女が膝をついていた。両手を胸元で組み、静かに瞳を伏せて祈る姿は、まるでこの世界のあらゆる穢れを一身に引き受けることを自ら選んだ者のようで。


 やがて、その髪が淡い風もない空気の中、ふわりと揺れ――

 銀の光を帯びはじめた。


 その瞳もまた、やわらかなハシバミ色から、透き通るような深い海の青へと変わってゆく。


 ――御方の降臨だ。


 背後で控えていた神殿騎士団長オスカー・フォン・フラウンホーファーは、すぐにその兆しを察知し、音もなく片膝をついた。


 光に包まれる少女――いや、いまやその身に神を宿す“器”――の口元がゆっくりと開かれる。


 「……オスカー、いるか?」


 「お傍に」


 透明な声に応じて、オスカーは静かにうなずいた。


 次に放たれた言葉は、しかし、まったく予想外のものだった。


 「マーシアがな、また王宮での“侍女ごっこ”をやりたいらしい」


 「…………は?」


 瞬時に眉がわずかに動いたが、それを顔には出さず、オスカーは聞き返す。


 「それで、そなたに――また王宮の廊下を歩いてほしいのだと申しておる」


 「廊下……を、歩くのですか」


 「うむ。そなたが歩くと、なぜか祭りになるらしいぞ。

  王宮中の侍女たちがざわめき、窓の奥からこっそり覗き見ては頬を染めるそうな。

  マーシアはな、その様子を眺めて楽しんでおるらしい」


 「…………」


 「歩くだけだ。やってくれるな?」


 しばしの沈黙ののち、オスカーはすっと背筋を伸ばした。


 「……御方さまのご下命とあれば」


 ただ、その眉間には、どうにも言い表せぬ複雑な色が浮かんでいた。



*  *  *



神殿の石畳に、騎士たちの足音が静かに響く。

マーシアの左右には、ワルキューレの中から選抜された二人の護衛――ユーリとクラリモンドが控えていた。


「また“お忍び”かい、御方さま」


軽口めいたユーリの言葉に、マーシアはくすっと笑う。

それは、聖女という重たい称号を背負う少女が見せる、数少ない柔らかな表情だった。


「出立の準備は整っております」


クラリモンドが一礼すると、神殿の高位司祭が玉座の奥から現れ、

形式ばった口調で言い渡した。


「聖女マーシア殿に、王宮への“慰安任務”を命ずる」


どこか腫れ物に触るような空気が広がった。

これは命令であって、祈りではない――

そんなことは、三人とも分かっていた。




*  *  *



 王宮の西棟――公爵家専用の居館の前で、馬車が静かに止まった。


 陽射しはやわらかく、空気にほのかに秋の気配が混じっている。


 「……着きましたよ、御方様」


 クラリモンドがそう声をかけると、マーシアはそっとうなずいた。あくまで今の彼女は“侍女マリーエル”としての名義で滞在する。にもかかわらず、門衛たちは皆どこか神妙な顔つきで頭を垂れた。


 「王宮は、変わりませんね……」


 懐かしさに揺れる声を落としつつ、マーシアは目を細めた。


 歩みを進めた先――そこに、主であるニコラウス公爵が、ひょいと手を振りながら顔を出す。


 「マーシア、こっちこっち! 迎えに来たよ!」


 変わらない笑顔に、マーシアも思わず口元をほころばせた。


 「ただいま戻りました、公爵さま」


 「“さま”はいらないって言ってるのに〜。今回は特に、ね? せっかくの慰安旅行なんだから」


 その声に、背後のクラリモンドとユーリが同時に一瞬だけ眉を動かす。が、口には出さず、荷を受け取り静かに後ろに控えた。


 そして、通された部屋を見て――マーシアは、言葉を失った。


 「……え、あの、ここが……?」


 まるで王妃のために用意されたような寝室。天蓋つきのベッドは、三人で並んで寝てもまだ余りある広さ。壁には繊細な花の刺繍が施され、淡い藍と金のカーテンが風に揺れている。


 「以前はね、ベッド二つを無理やりくっつけて、三人で雑魚寝してたでしょう? あれはあれで楽しかったけど、今回はもっとちゃんと準備しておいたんだよ」


 「ニコさま……これ、前の公爵夫人のお部屋では?」


 「そう。ぼくの母上が使っていた寝室を改装したの。ちょっと広すぎたかな?」


 「い、いえ、そんな……! こんな立派なお部屋、わたしには……」


 「侍女なんて名義、今はただの飾りでしょ? ぼくは、マーシアがここで少しでも笑ってくれたら、それでいいんだ」


 その言葉に、マーシアは胸に何かあたたかなものが宿るのを感じた。


 クラリモンドがそっと言う。


 「この寝室なら、御方もようやく、しっかり眠っていただけるかと」


 「ええ。たくさん歩いて、たくさん祈って……御方は、いつもお疲れですから」


 ユーリの声には、ひそやかな決意がにじんでいた。


 マーシアはベッドの端にそっと腰を下ろすと、きゅ、とカーテンを指先で摘み、窓辺を見つめた。


 「……ありがとうございます」


 その瞳はやわらかく、けれどほんの少し、涙の光を含んでいた。



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