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Sworoid(ソーロイド)  作者: Mick and Randol
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第1章 楓 その肆

「ありがとう! 行ってみる!」




 楓の声は震えていたが、確かに“決意”の熱を帯びていた。




 かすかに残る天井の配線の明かりだけを頼りに、彼女は足を踏み出す。


床は斜めに傾き、破損した座席の金属が骨のように突き出している。


破片の一つ一つが鋭く、まるで侵入者を拒む罠のようだった。


 それでも楓は止まらなかった。




 ――その先に“彼”がいるのなら。




 前方の壁は衝撃で歪み、厚みのある鋼鉄の骨格すらねじ曲がっていた。


配線が垂れ下がり、焼け焦げた鉄の匂いが鼻を刺す。


空気には、まだ生臭い血と焦げの混ざった“死の匂い”が残っていた。




 「……っ」




 一歩、足を踏み出すごとに、靴の底でガラスが砕ける音がする。


だが、彼女の視線はまっすぐ、前方の壁の向こうに向けられていた。


 ――その時。




 「――触ってはダメ!!」




 背後から、鋭く悲鳴のような声が響いた。




 振り返るまでもなく、風澪の声だとわかった。


警告というより、直感的な恐怖の叫び。


楓の手は、瓦礫に触れる寸前でピタリと止まった。




 「……な、なに?」




 「……そこ、さっきまで何もなかったのに……今、線がざわざわしてる。……“逆流”してるの……!」




 楓の背筋が凍った。




 “逆流”――それが何を意味するのかはわからない。


けれど、身体の奥が警鐘を鳴らしていた。全身が粟立つような感覚。




 (そこに、“何か”がいる――)




 風澪の言葉が頭をよぎる中、耳を澄ます。息を殺して、瓦礫の下に耳を近づけた。




 「……かえ、で……」




 かすかに、掠れた声が届いた。




 「……楓……!」




 今度は、はっきりと。




 楓の心臓が跳ね上がる。震えるように、その名を呼ばれた瞬間、胸の奥から何かが溢れそうになる。


信じたかった。願っていたその声を、今確かに“聞いた”。




 「颯真……!? 本当に、先輩なの?」




 けれど――




 (……おかしい)




 さっきまで、そこには何もなかったはずだ。風澪の“索敵”が外れるとは考えにくい。


 声は確かに彼のもの。だが、これは彼の記憶を使って囁く“何か”の可能性だってある――。




 「……ほんとに……颯真先輩……なの?」




 震える手を伸ばす。けれど、ギリギリのところで止めた。


指先が瓦礫の冷たい金属に触れそうになって、硬直する。




 (信じたい。でも、怖い)




 「――お願い、触らないで!」




 風澪の声が再び響くが、その刹那――楓の身体は、反射的に動いていた。




 (たとえ違っていたとしても……私には、この“声”が、先輩にしか思えない)




 その想いが、恐怖を凌駕した。




 瓦礫に手をかける。


指先が奇妙に削れた金属片に触れた瞬間、ぞわりとした感覚が走った。


熱とも電流ともつかぬ震え――何かが“共鳴”するような、不穏な振動。




 それでも、楓は力を込めて押しのけた。




 歪んだ鉄骨が、悲鳴のような音を立てながら崩れる。その奥に――




 確かに、“彼”がいた。




 「……先輩っ……!」




 制服は裂け、血と煤にまみれていた。片腕で胸元を庇うようにして、うつ伏せに倒れている。




 すぐさま彼のそばに駆け寄り、楓は耳を近づけた。




 微かに、けれど確かに――呼吸があった。




 胸元に手を添える。トクン、トクン、と命の鼓動が、掌にじんわりと伝わってくる。




 「……生きてる……!」




 楓の視界が、涙で歪んだ。




 崩れかけた車両の隅から、なんとか這い出すようにして、彼の身体を壁際まで運ぶ。


埃と血にまみれながら、冷たい床に彼をそっと寝かせた。




 「大丈夫……もう、大丈夫だからね……」




 震える指で、頬にかかった髪を払う。


微かに、彼の喉がうなった。――反応があった。


 その時、背後から風澪の声が震えて届く。




 「……どうして……?」




 振り向くと、風澪は口元を抑え、呆然と立ち尽くしていた。




 「さっきまで、彼の“線”が見えなかったの……禍々しい漆黒の塊の中に、ただ銀の炎だけが揺れてた。まるで、この世界の存在じゃない、異物みたいに」




 彼女は膝をつき、震える指で空をなぞる。




 「でも今は、ちゃんと“人間”の線がある。呼吸の線、鼓動の線、感情の軌跡……全部視えるの。まるで、最初から“人間”だったみたいに」




 楓はそっと、風澪の手を握った。




 「ありがとう、風澪ちゃんがいてくれて本当に良かった……」




 「……ううん。私も、楓ちゃんがいてくれてよかった」




 ふたりの間に、静かな沈黙が訪れる。




 そして――風澪の瞳が、ふっと翳った。




 「でもね、楓ちゃん。この世界、もう“普通”じゃない」




 その目は、まるで未来の絶望を見つめているようだった。




 「これから、もっと見たくないものが増えていく。怖いよ。すごく怖い……それでも、進むの?」




 楓は、頷いた。




 その瞳には、涙ではなく――確かな“覚悟”が宿っていた。




楓は、ゆっくりともう一度頷いた。




「先輩がいる。風澪ちゃんもいる。


私だけじゃない、誰かのために――私が、動く。


それが……今、私がここにいる理由だから」




そして、そっと颯真の手を握った。




その温もりが、確かに“生きている”ことを伝えていた。




「……行かないと」




楓は小さく、誰にともなく呟いた。


あたたかいものが掌に残っている。


それは、確かに颯真の命の鼓動だった。




(このままじゃダメ。早く、助けを呼ばないと)




ここは、地下のトンネル内。


携帯は通じない。誰もいない。音もない。


あったのは、ほんのわずかな非常灯と、血と焼け焦げの匂いだけ。




(トンネルに入って、すぐに轟音が響いた……)




(だったら、出口は――近いはず)




楓は立ち上がり、瓦礫の中で少しでも呼吸しやすい場所を選んで、颯真をそっと横たえ直した。


その顔色は青白く、唇には血の滲みが残っていた。




「……待ってて。絶対、戻るから」




かすれた声でそう約束し、楓はゆっくりと後方――つまり、列車の最後尾へと向かって歩き出した。




列車内は静かだった。




まるで、世界から切り離されたような沈黙。




踏み出すたび、足元でガラスが砕ける小さな音が響いた。




壁には焦げた布、天井には折れ曲がった手すり。




どこを見ても、事故の衝撃の爪痕が濃く残っていた。




後部へと進むにつれ、崩れた車両の姿があらわになる。




「……っ、ここは……」




そこは、瓦礫の山だった。




線路と列車が完全に折れ曲がり、トンネルの天井も部分的に崩れている。




鉄の骨組みが絡まり合い、まるで巨大な檻のように道を塞いでいた。




どこを見ても、“出口”に繋がる隙間などなかった。




「……無理、これじゃ……誰も、通れない……」




楓はその場に膝をついた。


目の奥がジンと熱を帯びる。


悔しい。どうすればいいのかわからない。




(――さっき、風澪ちゃんを助けたとき……私、何かを……使った?)




あのとき、鉄が溶けるように変形した。


手に走った熱。触れた瞬間の共鳴。




(今も……あれが、使えたら……)




楓はそっと手を瓦礫に伸ばした。




「お願い……あの時みたいに……もう一度……!」




祈るように指を添えたその瞬間――




……何も、起きなかった。




ただ、冷たい金属の感触だけが、指先に伝わってきた。


焦って、もう一度。


触れ方を変えて、力の入れ具合を変えて。




けれど、何度やっても――あの時のような熱も、共鳴も、何も感じなかった。




「……なんで……?」




声が、震えた。


さっきまでの自分は、夢だったのか。


あの力は、ただの幻想だったのか。


わからない。




(あの時の私は……誰かを助けたいって、必死だっただけで……)




目の奥に涙が滲む。


でも、今は泣いている暇なんかない。


誰かを責める時間もない。




「……わかった。じゃあ、行けるほうへ行く」




楓は立ち上がり、瓦礫を背にして、先頭車両側へと歩き出した。


先頭車両に近づくにつれ、焦げた鉄の臭いが濃くなっていく。


空気が重い。


酸素が足りない気さえする。


そして何より――血の匂いが濃い。




(誰かが……ここで……)




目を伏せ、呼吸を浅くして進む。


地面に散った血痕を避けながら、慎重に歩を進めた。


前方のガラスはすべて砕け、運転席は押し潰されて原型を留めていなかった。




(運転士さん……)




その名も知らぬ誰かの命に、黙って目を閉じる。


何か使えるものはないかと、座席の下や棚、通路の隅をくまなく探してみる。


壊れた鞄、裂けた制服、折れた靴。


そのなかで、かろうじて無傷に近いスマートフォンを一台、拾うことができた。




「電源……つくかな……」




ボタンを押すと、幸いにも画面が点いた。


しかし、表示されたのは“圏外”のアイコン。


GPSも反応しない。




「……でも、充電はある……何かに、使えるかも……」




そして、もう一つ見つけたのは――転がっていたペットボトルの飲料。


炭酸飲料だった。蓋が閉まっている。未開封。




「助かった……」




楓は小さく笑った。




ようやく何かを手にできた、ほんの少しの“確かさ”。




ポケットにスマートフォンをしまい、飲み物を抱えて引き返す。


その背には、再び“暗闇”の静けさが降りていた。




(先輩を連れて、この場所を……必ず抜け出す)




歩くたび、少しずつ足が重くなっていく。


でも楓の胸の奥には、消えない炎のような想いが宿っていた。


先頭車両の運転席。


粉々に砕けたガラス越しに、ふと――何かが“光った”気がした。


ほんの、わずか。


一瞬だけ、視界の奥で“白い粒”が、闇に浮かんだ。




(……今、何か……)




楓は目を凝らす。


薄暗いトンネルの先、曲がった線路の向こう――


そこに確かに“明るい何か”が、存在していた。




「……外?」




違った。あれは自然光じゃない。




(人工の……照明?)




そう気づいた瞬間、楓の中に何かが跳ねた。




(誰かがいるのかも……!)




反射的にスマートフォンを握りしめる。


そして、すでに踏みならされた瓦礫の間を、慎重に進みはじめた。


音は、なかった。




ただ、足元でガラスの破片が割れる乾いた音が、微かに響いていた。


曲がった鉄のトンネルは、まるで巨大な怪物の食道のように続いていた。


湿った風が頬を撫で、焦げたような金属臭と血の匂いが、鼻腔を満たす。


それでも楓は、その“光”に向かって、歩を止めなかった。




(お願い……誰か、生きていて……)




やがて、トンネルの壁が不自然に裂けている箇所に辿り着いた。


鉄骨が爆発のように吹き飛ばされ、瓦礫が歪んだアーチのように重なっている。


その“裂け目”の向こうに――確かに、もう一つの列車があった。


壁の隙間から漏れる、非常灯の明かり。


それは、反対車線を走っていた車両のものだった。




「通れる……かも……!」




楓は、身をかがめて裂け目の下に潜り込む。


シャツの裾が引っかかり、瓦礫に擦れた膝が痛んだが、かまっている余裕はなかった。


ガン、と背中に金属の音が響いた。


一瞬、呼吸が止まる。


けれど、その先には確かに――別の空間が広がっていた。


反対側の列車内に足を踏み入れた瞬間、


足元に転がった小さな人形が、カラン、と乾いた音を立てた。




(……また……)




スマホのライトを点ける。


その光が、黒ずんだ血痕を照らす。


座席は破れ、壁は煤けていた。


割れた窓からはトンネルの漆黒がのぞいている。


楓の手が震えた。




(ここも……)




車両の中は、絶望そのものだった。


血に染まった制服、折れたリュック、砕けたメガネ。


“誰かがそこにいた”という痕跡ばかりが、静かに存在していた。




(……ダメ……もうここも、だれも……)




その時だった。




「……っ……ひくっ……や……やだ……」




――聞こえた。




わずかに、すすり泣くような声。


それは、座席の奥、トンネルの壁に近い方から、震えるように響いていた。




「……!」




楓の胸が跳ねた。




生きてる――!




(誰かが……!)




ライトを握る手に力が入る。


その声を頼りに、楓は慎重に通路を進んでいった。


周囲の静けさに、自分の呼吸がやけに大きく感じる。




「……だれか……いますか?」




声をかけるが、返事はない。




「怖がらないで……! 私は、助けに来ただけ……!」




再び、声が震えた。


奥へ、さらに奥へと進んでいく。


その先に、楓がまだ知らない“運命の出会い”が、確かに待っていた。




「……だれか、いますか……?」




スマホの光を掲げながら、楓は声のするほうへと歩を進めた。


車両は静まり返り、先ほどの泣き声がまるで幻だったかのように、空気の奥に消えていく。


けれど、楓は確かに聞いた。


すすり泣きのような、弱々しい――けれど生きている者の声を。




「怖がらないで。私……怪しい者じゃないから……」




誰に聞かせるでもなく、祈るようにそう呟きながら、座席の間をそっとすり抜けていく。


そして――




「……っ、あ……」




通路の先。座席の奥、窓際。


そこに、少女がいた。


制服姿の、同じくらいの年頃の女の子。


膝を抱え、頭をうずめるようにして座り込み、肩を震わせていた。


顔は見えない。


だがその震えは、確かに“啜り泣き”の動きだった。




「……よかった……!」




楓は胸を撫でおろし、ゆっくりと近づいていく。




「あなた、大丈夫? ケガは――」




「お前なんか……知らない……!」




突然、鋭い声が飛んできた。




「っ……!」




楓は思わず足を止めた。


少女は顔を上げないまま、かすれた叫び声を吐き出すように続けた。




「私に……近づかないで……」




(え……?)




「お前たちなんかに……私を助けられるわけない……!」




低く、湿った声が空間に響く。


怒りではない。


怯えと、諦めと、否定――それらが混ざり合った、濁った叫びだった。


楓はゆっくりと手を伸ばす。


ほんの少しでいい、この子に触れて、今ここに“いる”ことを知らせたかった。




「ねぇ、私の声、聞こえる? 私は――」




「やめてってば!!」




少女は突如として、頭を上げた。


けれどその瞳は、楓のほうを向いていなかった。




「無理……無理なの……! 何度言われても、無理……!!」




そう叫びながら、彼女は壁に、床に、天井に――


あらゆる方向へ向けて、言葉を投げつけていた。




「“もうすぐ終わり”だって……“その時が来る”って……」




「私に何ができるの!? できるわけないじゃない……!」




楓の胸に冷たいものが走った。




(……まさか……この子……)




少女の目は楓を“すり抜けて”いた。


まるで、そこに楓という存在が“視えていない”かのように。




「どうして……」




そっと手を伸ばす。


少女の肩に触れようとした、その指先が届くより先に――




「近づかないで!!」




少女は突如、立ち上がって楓と逆の方向へ逃げ出した。


座席に肩をぶつけ、転びそうになりながら、闇の中を手探りで進んでいく。


その様子が、明らかに“視えていない”動きだった。




(私のことが……本当に見えてない……?)




混乱が、楓の中を駆け巡る。


少女は現実から、あるいは“何か”から逃げていた。


言葉は楓にではなく――何か“別の存在”に向けて放たれていた。




(じゃあ……誰がこの子に、そんな言葉を?)




その“誰か”が何者かもわからない。


けれど確実に、彼女は――心を折られていた。




「……待って」




楓は小さく呼びかけた。


でも、届くはずもなかった。


啜り泣く少女の背中は、再び暗闇の中に飲まれていく。


少女はふいに、叫び声をあげた。




「うるさいっ……やめてよ……やめてってば……!!」




目を見開いたまま、天井を仰ぎ、何か“見えない何か”に怯えながら、痙攣するように肩を震わせていた。




「もう無理……もうやだ……わたしは……っ」




言葉が喉の奥で詰まり、次の瞬間――


がくり、とその身体が崩れた。




「っ……!」




楓は慌てて駆け寄り、倒れた少女を抱きとめた。


ぐったりとして重みだけが生々しく腕に伝わってくる。


体温はあった。呼吸も、浅く不規則ながら続いている。




(気を失った……)




瞼は閉じ、表情は穏やかというにはあまりに痛々しい。


さっきまで恐怖に引き裂かれていた少女の面影が、まだ頬に残っている。




「……どうしよう……」




楓は声に出してそう言った。




(私一人じゃ抱えきれない。颯真先輩の所に……戻ろう)




迷っている暇はなかった。


風澪と颯真がいる車両へと戻るまで、楓は何度も足を止めかけた。


少女の身体は軽いのに、その存在が重かった。


まるで楓自身の中に、何か異質なものが染み込んでいくような――


そんな錯覚すら覚えるほどだった。


戻った先で、風澪は楓に消えそうな声で問いかけた、、、




「楓……! その子、誰……?」




「列車の反対側で……一人でいたの。何かに怯えてて、突然倒れて……」




「……楓、早く――その子から離れて、、、」




「え……?」




「お願い。すぐに」




楓はその言葉に戸惑いつつも、少女をゆっくりと床に下ろした。


その様子を、風澪は蒼ざめた顔でじっと“視ていた”。


そして、小さく震えた声で言った。




「――全部、繋がってる」




「……え?」




「この子……“全部の死体と繋がってる”の。線で。……何十本、何百本……」




風澪の唇が震え、顔が蒼ざめていく。




「見ようとなんてしてないのに……勝手に頭の中に流れ込んでくるの。視界の中に、ぐちゃぐちゃに伸びた“死者の線”があふれてて……その先が、全部この子に繋がってるの」




「待って、そんな……」




楓は少女を見つめた。


眠っているようにしか見えない。血の気は薄く、けれどちゃんと胸は上下していた。




「この子……生きてるよ。普通の、女の子じゃないの……?」




「だったら、どうして“死んだ人の線”が集まってくるの? 生きてるのに、全部の線がこの子の中に突き刺さってるのよ? そんなの、私、見たことない……!」




風澪の声は、恐怖に掠れていた。




「……しかもね、楓」




楓の喉が音を立てて鳴る。




「颯真先輩の線まで、この子と繋がってるの。直接。まるで……“同じもの”みたいに」




「っ……!」




まるで鼓動が一瞬止まったかのようだった。




「……どういうこと、風澪?」




「わからない……でも、颯真先輩から伸びてた線も、この子に真っ直ぐ繋がってた。


 それが何を意味してるのかは、私にも……」




風澪は言葉を詰まらせ、膝に手を置いて深く息をついた。




「でも一つだけ言える。この子、普通じゃない。私たちみたいな“視る者”でもない。


 なのに、死者と繋がりすぎてる」




(死者と繋がる……? 颯真先輩も?)




楓は、眠る颯真の顔を見た。


そして次に、少女の――名前も知らないその顔を。


どちらにも共通するものは見当たらない。


けれど、風澪の“見る力”は、嘘をつかない。




(……私たち、いったい何に巻き込まれてるの?)




この瞬間、楓の中にあった確信が崩れ始めていた。


颯真がただの被害者で終わるはずがない。


そして、今抱えた少女が“ただの生存者”であるはずも――なかった。




「……お願い、風澪。先輩のこと……頼める?」




楓の声に、風澪は目を細め、ゆっくりと頷いた。




「うん。大丈夫。私なら、この場を離れずに線を見張ってられる。


 でも楓、気をつけて。さっきより“線の密度”が濃くなってきてる。……何かが、近づいてきてるかもしれない」




楓は無言で頷いた。少女のこと、颯真の容体、そして風澪の不安。それらすべてを背負うようにして、彼女は再び立ち上がった。


目指すは――出口。


希望のような、祈りのような、ほとんど幻想に近い目的地だった。




非常口の残光が、かすかに緑の光を放っている。


地下鉄の暗がりの中、それはかろうじて“人が設けた道”の象徴だった。


楓は、壁に添ってゆっくりと進んでいく。




(助かるためには、まずは“外”に出なきゃ……)




それが、今の彼女にできる唯一のことだった。


歩きながら、楓の思考は自然と“さっき”のことに戻っていた。




(そういえば――)




ふと、立ち止まる。


自分の膝と肘に触れた。


今朝、エスカレーターで転倒して擦りむいた場所。


鮮やかに滲んでいた、血の色。


――それが、跡形もなく消えていた。




「……そんな、馬鹿な」




服の繊維すら切れていない。下にあったはずの傷は完全に消失していた。




(気を失ってる間に治療された……? いや、それなら痕くらい残るはず)




楓の呼吸が浅くなる。


――説明がつかない。


風澪を助けた時に発動した“熱”のような力。


掌に走った、あの奇妙な感触。


そして、風澪の“眼”。


少女の中にあった、視ようとせずとも頭に流れ込んでくるおぞましい線。


そして――颯真先輩。


あの人の中に、一瞬見えた“何か”――


思考が追いつかない。繋げようとしても全てが途切れ、断片ばかりが散らばる。




(私は、何を見てるの……?)




――その時。


視界の先に、緩やかにカーブを描くトンネルの先。


ぼんやりと“明かり”が灯っていた。




「駅……!」




駆け出す。




(人がいるかもしれない。まだ、誰か……!)




そして――ホームにたどり着く。


足を踏み入れた瞬間、楓の心臓が凍りついた。




「…………うそ」




そこは、絶望の静寂に支配されていた。


人がいる。


いや、“いた”。


ホームには、朝のラッシュ時に居るはずだった人々の死体が何十体と転がっていた。


しかし――




「……首が、ない……」




それはまるで、丁寧に切り取られたように“首から上”が存在しなかった。


見渡す限り、ただの一体も無事な者はいなかった。




(何これ……何が……)




理解が追いつかない。


死体を見慣れたわけじゃないのに。


なのに、心が静かすぎる自分に恐怖した。




(私は、こんな光景にもう“慣れて”しまったの……?)




その瞬間だった。


――スッ。


風が走るような音。


それは、楓の首筋をほんのわずかに掠めた。




「――っ!!」


思わずしゃがみ込む。


刃物。


それも、明らかに“本物の殺意”を帯びたものが、首をかすめた感触。




肌が薄く裂け、冷たい空気が触れた。



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