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Sworoid(ソーロイド)  作者: Mick and Randol
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第1章 楓 その弐

一本遅れてやって来た電車に乗り込むと、車内にはまだ空席がいくつか残っていた。

楓と颯真は並んで腰を下ろした。

車内の冷房が、熱を帯びた身体に心地よく当たる。

けれど、楓の心はまるで真夏の午後のアスファルトのように、じりじりと焼けついていた。


 ガタン――。


 電車がわずかに揺れた。

そのたびに、楓の指先は膝の上でぴくりと跳ね、ぎこちなくこわばったまま動かなくなった。

さっき階段で転んだときに擦りむいた右肘が、制服の内側でヒリヒリと主張している。

薄布一枚を隔てて伝わる痛みは、火照った皮膚に触れる空気の冷たさをいっそう際立たせた。

 だが、それ以上に楓の神経を支配していたのは――彼の、あの行動だった。


 (どうして、あんなこと……)


 唇の感触が、記憶のどこかに残っている。  

自分の膝に触れた、彼の唇。

柔らかくて、ほんの少し湿っていて、けれど決していやらしさなんてない。

あの瞬間、空気が止まったように感じた。

心臓が跳ね、鼓膜の奥で自分の鼓動がうるさいほど響いていた。


 ふと隣を見やる。颯真は、窓の外を静かに見つめていた。

何事もなかったような、澄んだ目。高く通った鼻筋。

横顔の輪郭は硬質で、頬にかかる髪の影までがなぜか美しく見えた。


 「……さっきは、ごめんな。いきなりで」


 その言葉は、突然だった。


 楓は反射的に目を逸らした。


 「別に、いいけど……」

 自分でも驚くほど、声が上ずっていた。


 「血が出てたから、咄嗟に。変なことしたなって、自分でも思ってる」


 「……ほんとだよ、変だよ。普通、口で吸ったりなんかしないし……!」


 そう口にした瞬間、楓の胸がくすぐったく波打った。

怒っているはずなのに、どこか甘い余韻が残っている。

まるで春先の風が頬をかすめたときのような、くすぐったさとあたたかさが入り混じった感覚。


 会話が途切れると、吊革がわずかに揺れる音だけが車内に残った。

 颯真は少し前かがみになり、腕を組んで静かに口を開いた。


 「全国大会、決まった。俺」


 「……え?」


 「剣道部。団体戦だけど、レギュラーで出る」


 楓は咄嗟に彼の顔を見た。  喜びと驚きが胸の奥でぶつかり合い、言葉にならない。


 (すごい……でも)


 「楓、お前も……出られたよな、本気出せば」


 心臓が跳ねた。


 「……何の話?」


 「俺、知ってる。前に見た。主将の動き、一回見ただけでそっくり再現してたろ。あれ、誰にも真似できないよ」


 (……見てたんだ)


 楓は静かに目を伏せた。


 「別に。運動神経がいいだけ」


 「嘘だな」


 その声には、不思議な優しさと、確信があった。


 「動きだけじゃない。タイミング、重心の置き方、間合い……全部、一発で真似してた。普通じゃないよ、あれ」


 「……だから? 私も大会に出るべきだったって、そう言いたいの?」


 楓の声に、ほんの少しだけ棘が混じった。  

だが、颯真の顔には責める色はなかった。

 「違う。ただ……お前が、何で一度も本気でやらなかったのか、ずっと気になってた。俺とやり合ってくれたら、もっと強くなれると思ったんだ。俺は、お前に――勝ちたいって思ってた」


 その言葉に、楓は胸の奥が静かに揺れるのを感じた。


 (勝ちたい……私に?)


 私の中にある“何か”。  

誰かの動きや仕草、身体の癖、一度見ただけで、それを自分のものとして再現できてしまう奇妙な感覚。


 小さい頃からあった。でも、それを特別なことだとは思っていなかった。  

ただ、それを使って誰かを傷つけてしまう可能性に、怯えていた。

模倣できるということは、他人の傷つけてしまうかもしれないという、恐怖。

 だから、楓は誰にも本気を見せなかった。  

 誰とも正面から向き合わなかった。


 だけど、、、  颯真だけは、違った。

 

まるで自分のすべてを見通しているような目で、まっすぐに向き合ってくる。  

力を否定するのではなく、受け止めようとしてくれる。


 「私……あなたとはやらないよ」


 「どうして?」


 「……勝ってしまうかもしれないでしょ」


 それは冗談のつもりだった。

けれど、颯真はふっと笑い、「そうかもな」と、やけに素直に応えた。

 電車の中は静かだった。  

朝の通勤前、まだ混雑する前の時間帯。  

学生とサラリーマンがまばらに座り、それぞれの時間を持て余すようにスマートフォンをいじったり、窓の外をぼんやり眺めていた。

 楓はぼんやりと、さっきの会話を反芻していた。

「勝ちたい」という言葉が、何度も胸の奥にこだましていた。


 (私に、勝ちたい?)


 それは、自分の存在を“まっすぐ”に見てくれている証だった。

 彼は、ただの先輩なんかじゃない。

友達でもない。もっと、、 そう思った瞬間、楓は顔が熱くなって、思わず頬に手を当てた。

 そのときだった。


 「……っ」


 隣の颯真が、突然息を詰まらせるようにうつむいた。


 「颯真?」


 彼の額には、じっとりと汗が滲んでいた。頬が赤く染まり、顎にはぐっと力が入っている。


 「大丈夫? 熱……あるんじゃ――」


 心配して肩に手を伸ばそうとした、その瞬間だった。

 楓の視界の端に、ありえないものが映り込んだ。


 車窓の外。


 遠く、スカイツリーの塔が空に突き刺さるように伸びていた。

そのはるか上空に、、、””赤黒く灼けた巨大な“塊”””が、静かに、異様な存在感を放って浮かんでいた。

 それは雲でもなく、飛行船でもなく、航空機でもなかった。  


円でもなければ、直線でもない。

人工物のような質感を持ちながら、有機的な歪さを孕んだ“何か”。

 その中心から、どろりとした金属光沢の液体のようなものが、ゆっくりと流れ出していた。


 「……なに、あれ……?」


 思わず漏れた言葉は、自分でも無意識だった。

 車内の人々が、一人、また一人と窓の外に気づき、視線を向けた。  誰もが息を呑み、言葉を失っていた。


 「……っ!」


 電車はそのまま地下へと潜った。


 そして――


 轟音。


 明かりが、すべて、消えた。

 轟音と共に、視界が暗転した。

 明かりはすべて消え、

 世界は、意識ごと、闇に沈んでいった。


……静かだった。


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