第九十七話 腹話術の魔王
翌朝、聞いて欲しいことがあるので広場に人を集めてください、とヌイがダドリーに頼んだ。
突然のことにもかかわらずダドリーは嫌な顔ひとつせずに村の広場に人々を集める。小一時間もかからずに数百の獣人たちが集まった。
その大勢を前にして緊張するヌイにディアドロが耳打ちした。
「ええー? そ、それって、ギギゼラさんに言ったら、怒られたやつじゃないですかぁ……せっかく仲良くしてくれるダドリーさんたちに嫌われるのは、い、嫌です……!」
ヌイは懸命に拒絶の意を示したが、ディアドロは黙ってニコニコしている。やがてヌイは観念して言われたとおりの言葉を口にした。
「わ、われにしたがえー」
「ちゃんと全部言うんですよ」
「わ、われにしたがえー。おとなしくわが……わが……」
「軍門に」
「ぐんもんに」
「下るのだ」
「くだるのだ」
どういう趣向の芸なのかな? とルドルフが見ていると、集まった獣人たちはにわかに色めきだった。
「確かにあなたは王の器のようだ。だが、我々も力なき主に従ういわれはない」
ダドリーが真面目そのものの顔で言った。王の器とはいったい。端から見るディアドロとヌイのやりとり、そして獣人たちの反応は寸劇のコメディを見ているかのようだ。
ともかく、ダドリーがかつてその腕っぷしで村長の座を勝ち取ったように、従えと言うならヌイにもその力を示せと言っている、らしい。
再びディアドロがヌイに耳打ちする。それからヌイがつっかえるたびに何度も耳打ちした。
「きさまらがのぞむなら」
「われはこのちからをみせよう」
「げぼくのちからはわが」
「わがちから」
「わがげぼくのちからをみよ」
そしてヌイはおもむろにルドルフを指差した。
なんだろう、と見守っていたルドルフは「あー」と声を上げてディアドロがやろうとしていることを理解した。このダークエルフは竜を使ってやろうとしていたことを、リッチを使ってやろうというのだ。
「ちょっと待て」
ルドルフはディアドロの腕をひっぱって離れたところまで連れて行く。
「戦闘の必要があれば協力していただけるという話でしたよね?」
ディアドロはヌイに向けるのと同じ笑顔でルドルフに言った。
「ヌイの力を誇示するのに竜じゃなくて俺を使う気か。これで用は済んだので竜のところへは行きません、とは言わないだろうな?」
「ご安心を。それはありません。あなた方からの信用を失いたくないので」
すでにこの流れで少し信用マイナスなんだが、とルドルフは鼻白む。
「転移魔術」
「え?」
「ヌイを連れて転移したあの魔術を教えてくれたら、俺のやる気も出るんだがな」
しれっとものをいう相手に足して、ルドルフもしれっと条件をつけた。ディアドロが火山で使った他人を連れての転移魔術のことはずっと気になっていたのだ。
「ふむ。かまいませんよ。呪文を書き起こすくらいでよければ」
ディアドロはニコニコ顔のままあっさりと快諾した。言ってみるものである。
「代わりと言ってはなんですが、魔術なしで戦ってもらえますか? わかりやすく力で勝利して欲しいんですよ。ここはパフォーマンスが重要ですから」
一転してすっかりやる気になったルドルフはディアドロの追加の要望に黙ってうなずく。
ルドルフとダドリーが広場の中央に出る。広場の周りには村中の獣人たちが人垣を作り、勝負が始まるのを今か今かと待っている。
戦いを始めるにあたって、ルドルフが認識阻害の面を外すと獣人たちの間からどよめきが起きた。巨大な骸骨のアンデッドが姿を現したからである。獣人たちにとっては外敵が突然目の前に現れたようなものだ。
「わがちからのまえでは、あんでっどすらひれふす」
完全にディアドロの傀儡と化したヌイが心のこもっていない棒読みで言う。それでも周りの反応がいいのでなんだか楽しそうだ。勝ち誇ったような顔をしている。
「なるほど……さすがですな」
戦いに備えて獣化したダドリーが熊の頭で感じ入る。ルドルフとしては延々冗談につきあわされているような締まらない気持ちだが、話が早いのは助かる。
ダドリーが愛用の大槍を構え、ルドルフは無手で半身に構える。ダドリーも大した巨漢だが、ルドルフに比べると普通の背丈に見える。
「武器は使わないのか? だとしても手加減はできんぞ」
何も持たないルドルフを訝しんでダドリーが声をかける。
「殺してしまってはまずいようだからな」
ルドルフは静かに答えた。ダドリーは何を思うのか無言。
始めの声がかかり戦いが始まると、ダドリーは巨体に似合わぬ俊敏さで距離を詰めてきた。渾身の突きをルドルフめがけて連続で繰り出す。鮮やかで素早い手練れの動きだが、これならばいつも稽古の相手をしているバルドの方がよほど速い。
ルドルフはその突きをわざとギリギリのところで三度かわすと、三度目はダドリーが槍を引くよりも早くその柄をつかみ、そのまま脇に抱え込んだ。槍はビタッと固定され、そのまま双方の動きが止まる。ダドリーの腕の筋肉が怒張し激しく震えるが、槍は相変わらず動かない。
やがてルドルフがその槍を脇に挟んだままゆっくりと持ち上げ始める。すると角度の付いた槍はダドリーの巨体を徐々に地面から浮き上がらせていく。観衆からどよめきが上がった。
すっかり宙ぶらりんになったダドリーは槍を放すと、いったん飛びのいてルドルフから距離を取った。
そこでルドルフは槍を放り捨てると、悠然と両手を上げて大きく構え、拳を軽く握って開く仕草をした。力比べをしようと誘っているのだ。その意図を悟ったダドリーは同じように両手を上げると、唸り声をあげながらのしのしとルドルフに近づいて行った。そのまま互いの手と手ががっしりと噛み合う。
熊頭のダドリーが声を大きく吐いて気合を込める。その黒い獣毛に覆われた腕の筋肉がいっそう膨張する。一方のルドルフは果たして力を込めているのか、その骸骨の頭と腕からは読み取ることができない。にもかかわらず間もなくルドルフの方が目に見えて優勢を取り始めた。覆いかぶさるようにして徐々にダドリーを押しつぶしていく。のけぞるダドリーの顔が苦悶に歪んだ。
ダドリーはその見た目通りに熊のような、いや熊にも勝る怪力を持っているが、リッチの腕力の強さはその魔力の強さに基づいている。強大な魔力を持つルドルフの膂力はダドリーのそれをゆうに超えていた。
やがてその両膝が折れて地面につくと同時に、ダドリーは「参った!」と大きな声で降参した。
獣人たちから歓声が上がる。正々堂々の力と力の勝負にすっかり興奮し、自分たちの代表が負けたにもかかわらず、勝負の結果に満足したようだ。その歓声に交じってセラやラエルの勝利を喜ぶ声も聞こえてくる。バルドはまるで自分が力比べをしているかのように、両のこぶしを握って静かに力を込めていた。
ダドリーは手を上げて盛り上がる獣人たちを静かにさせると、熊頭のままヌイの前に跪き、忠誠の言葉を述べた。
「あなた様のお力には感服いたしました。我が主よ。我々この村の獣人一同はこれより未来永劫、ヌイ様のために力を尽くすことをここに誓いましょう」
魔物たちの中では下僕の力、イコール、ヌイの力ということで本当に問題ないらしい。
「あと、えっと。こ、これからずっとヌイと仲良くしてくれるってことですか? や、やった。これはヌイは……やったんですか?」
ヌイはディアドロの方を振り返った。ニコニコ顔のディアドロは黙ってうなずく。それからヌイは獣人たちにとにかくちやほやされて、少し照れながらも満面の笑みを浮かべている。
ここまでの顛末を見るに、ヌイの言葉はなんであれ魔物の心に強く刺さり前向きにとらえられるようだ。それが魔王の力の一端なのだろう。こうして力を示したことでヌイは獣人たちの主となったが、その前の演説? の時点で獣人たちの態度はかなり軟化していたように思う。恐るべき力である。
一方で完全に服従させて言うことを聞かせるには、どうしても力でねじ伏せる必要があると見える。魔王といえば普通は強い魔物であるのは、そのためであろう。
それからまた少しの間、ディアドロとヌイの腹話術が続いた。
ダドリーはヌイの言う通りに死霊国に飲まれた村は諦めることをあっさり承服した。昨日あれだけ意固地だったのが嘘のようである。そして同時に死霊国の領域が広がらないように定期的な迷いアンデッドへの見回りを行うことになった。広がり続けるアンデッドの国への対処法がわかったことで獣人たちはヌイを称えている。
一方の称えられたヌイはとろけるような笑顔とともに顔を赤くして、すっかり有頂天になっていた。
獣人たちがヌイの言う通りにする限り、ここでの死霊国の拡大は食い止められるだろう。
「人間の魔王もなかなかどうして便利なものですね。素直に言うことを聞くのがなによりいい。ちょっとしたことですぐ死にそうなのは困りものですが」
ディアドロはヌイが魔王として機能したことを評価した。すっかり傀儡の魔王だが。魔物たちはあれでいいんだろうか、とルドルフは考えた。しかしまあ、実際ああして盛り上がっているので、まったくもってかまわないのだろう。
その様子を見ているうちにルドルフは魔王の戦力強化に協力していることに思い当たり、やや複雑な気持ちになった。まだ暫定的な魔王のようだが、いずれ人間たちを脅かすものになるかもしれない。
「まあ仮にヌイが本当に魔王になったとしても、おそらくあなた方と戦うようなことにはなりませんよ」
ディアドロがヌイを黙ったまま見るルドルフに言った。エルフもダークエルフも心を読む千里眼でも持っているのだろうか。
「だといいのだがな」
「リッチキングが存在する限りは。少なくとも次代の聖剣の神子が生まれるまでは無理でしょう」
今代の聖剣の神子たるサイラスは実は生きているのだが、その秘匿された事実は耳ざといダークエルフにも漏れていないらしい。聖剣の力によって、ディアドロが思っているよりずっと早くリッチキングが消えたとしたらどうなるか。
「それにあれは魔王にはなれないでしょう。さすがに私がずっと耳打ちするわけにもいきませんからね。ほかにもっと有望な候補もいますし」
割とうまくいっているようにも見えるが、この先もあの腹話術を続けていく気はないらしい。そしてさりげなく嫌な情報を漏らしてきた。
どうやらディアドロはヌイを重要視していないようである。たしかに。でなければエルフに連なる者に易々とその正体を明かしたりはしないだろう。本命は別にいると言うのはうなずける話だ。別の魔王の卵か。いや、最終的にはやはり人間ではなく相応の魔物を魔王に据えるつもりなのかもしれない。
「え、今日はこれからお祝い……? い、いいんですか? ヌイが王様になったお祝い? ヌイが王様? わ、わーい」
周りから持ち上げられて喜びながらもどこか卑屈さが抜けないヌイの姿を見ていると、あれが魔王になるというのも悪くない気がしてきた。ああいう魔王なら、おそらく世界の平和は保たれる。




