第九十四話 快速の小舟
ルドルフたちが乗る小船は飛ぶような速度で波を切りながら海原を滑っていく。真っ白な曇りの空の下、海はいくらか鈍い色をしている。
船はディアドロが用意した魔道具の小船で、詰めれば十数人乗れるかというくらいの大きさだ。大人が座って入るくらいの背の低い船室が乗っている。船室の左右には鎧戸で開け閉めする窓もついていて、海風にさらされることなく景色を楽しむことができた。
どういうわけか揺れも極めて少なく、ルドルフも乗ったことがないような快適この上ない船である。しかも使っていない時には両の手の平に収まるサイズにまで縮んで小さくなるのだ。間違いなくアーティファクト級の逸品と言っていい。
進む船の左手には、一同が今までその足で踏みしめていた大陸の陸地が見える。刻一刻と流れていく浜やら岸壁やらの沿岸の風景を見ているだけで退屈しない。右手には大きく広がる海原の向こうに北のアスロ島の影が横長に遠くかすんでいた。
大柄な体躯ゆえに船室が窮屈なルドルフはずっと外の甲板で過ごしている。高速で疾走する船の進行方向からは、夏だというのに体を冷やす風が吹きつけてくるが、もともと冷たいリッチの体はまったく平気である。
何をするでもなくぼんやりしていると、船室の中から子供たちのはしゃぐ声が聞こえて来た。セラ、ラエル、バルドにヌイまで加わって初めての船旅を満喫しているようだ。全員、海を見るのも初めてである。
あれは仲良くさせておいていいんだろうか。などとルドルフが考えていると
「仲がいいことは結構なことではないですか」
また人の心を読んだかのようにディアドロが声をかけてきた。航路の行く先を見据えているのでその顔は見えないが、相変わらずのニコニコ顔に違いない。
ディアドロは日がある間はずっと甲板に立って舵を取っている。ディアドロの操舵に従って、船はきちんと岩礁や小島を避けて進んだ。ギギゼラとの交渉を黙ってヌイにまかせていたことから、自分は手を動かさないタイプなのかと思っていたが、意外と働き者のようだ。善神、悪神と奉じる神は違えど、こき使われているのはエルフと同じなのかもしれない。
ついでにディアドロがしかけてくる世間話にルドルフは適当に応じていた。以前、ダンジョンの奥で出会ったダムレイという名のダークエルフの話になると、彼から話を聞いてずっとルドルフとセラに会いたかったのだとディアドロは言った。ダークエルフの間で噂になっているとか憂鬱以外の何物でもない。
そんな話聞きたくなかった、とルドルフが軽く凹んでいると、またセラとヌイの笑い声が聞こえてきた。
ルドルフがアリアナに報告に行っている間に、セラは汚れに汚れていたヌイの髪と体を川できれいに洗ってやり、無惨なぼろ服の代わりに少し大きいセラの服を着せてやっていた。その際にガリガリの体を見て、色々とお菓子を食べさせたりもしている。セラは意外と年下の面倒見がいい。
きれいになって短い黒髪を整えたヌイは地味ながらも思っていたよりかわいい顔立ちをしていた。おでこが広い。おどおどして人を怖がっている様は、一番最初に会った頃のセラを少し思い起こさせる。
「ほら、これ食べてみて。ね、おいしいでしょ?」
「おいし~!……ですけど。な、なんですか? ヌイにこんなものをくれるなんて、あ、あとから意地悪する気ですか?」
セラの勧めるクッキーを一口食べたヌイの顔が一瞬輝くが、すぐにもとの怯えと疑いを含んだ表情に戻る。ヌイは今まで人から無条件に優しくされたことがないようで、むしろそのあとのしっぺ返しを警戒していた。
が、それほどねちこく考える質でもないらしく、一日も経つとすっかりセラたちの親切を当たり前のように受け入れていた。むしろ少々厚かましいとさえ感じる時もある。
「セラはまるでヌイのお姉ちゃんです! えと、セラお姉ちゃんって呼んでもいいですか?」
「えー?」
セラがちょっとうれしそうにしつつもはっきり答えないでいると、勝手に「セラお姉ちゃん」と呼び始めた。実際セラはすっかり本物のお姉さんのようにヌイの世話を焼いている。端から見るとわずかに年の離れた姉妹といったところだ。
ルドルフは不覚ながら少しほほえましくなってしまった。確かに仲がいいことは結構なことかもしれない。その相手が魔王の卵でなければだが。
「ヌイはどういった生まれなのだ?」
「おや、初めてルドルフ殿から話しかけてくれましたね。私、感激です」
ルドルフがふとした疑問を尋ねた。ディアドロの答えるには、ヌイは生まれてすぐに魔王の力を与えられたが、つい半年前までは王都の孤児院で育っていたらしい。
「またいつもあっさりと教えてくれるものだな」
「別にあなたには隠すことでもないので」
「なぜよりによって孤児院で? 仮にも魔王の卵と言うなら、もっときちんとした環境で教育した方が良かったのではないか?」
「さぁ、私も半年前に引き継いだばかりなのでなんとも。しかしまあ種はたくさん撒いてますのでね。生き残った強い個体を育てると言う方針なのでは」
ディアドロのその答えにルドルフは唖然とした。
孤児院での生活は他人を遠ざける魔王の呪いのせいでろくなものではなかったはずだ。それを考えれば、まさに「生き残った強い個体」なのかもしれない。強かったのは運だろうか。
自分に嫌悪や敵意を持つ多くの大人や子供に囲まれて、どのような暮らしをしてきたのだろう。振舞いの端々に感じるヌイの卑屈さはそういう環境で身についたものに違いない。
ヌイは基本的に知らない人間をいたく恐れているようで、魔王の卵と聞いて距離を置いているアクィラには一切近づこうとしない。一方で向こうから仲良くしてくれるセラたちとは楽しそうに接していた。
「ところで私からも質問いいでしょうか?」
「なんだ?」
「セラさんの呪いはどうしたのですか? 神子なら必ず呪いも持っているはずなのですが、彼女にはそれがないようで」
ルドルフは思わず言葉に詰まった。このダークエルフは人に呪いがかかっているか否かがわかるらしい。実はセラがまだ正式な神子でないことを明かすのはあとでアリアナにとても怒られそうな気がした。そこでルドルフはふと思い出したことを口にした。
「あ、あー、そうだ。ちょっと怪我をした時にな。エリクサーを飲ませたのだ。余っているやつがあったのでな」
エリクサーならどんな呪いも解ける。怪我を直すのに飲ませたのは本当のことだし、これで話のつじつまは合うだろう。
「エリクサー?」
「そうだ。手持ちにちょうどいい薬がなかったのでな」
怪訝な顔をするディアドロ。ルドルフは我ながらうまく返したと悦に浸った。
ややあってディアドロはぶふっと噴き出し、そのままむせた。咳がおさまってもしばらく何かに耐えるように肩を震わせていた。
「ふぅ。あなたは本当に笑わせてくれる。エリクサーなんて余らないですよ普通」
「骨のこの身には不要なものだったのでな。余っていたのだ」
余っていたのだ、という言葉にディアドロは肩を震わせまたしばし動けなくなった。このダークエルフは意外と笑い上戸なのかもしれない。
「はー……納得しました。ありがとうございます」
ようやく行動不能状態から回復したディアドロは、一息つくとルドルフに礼を言って再び黙った。操船に集中し始めたようだ。
そうこうしているうちに船室からまた賑やかな笑い声が上がる。
「ヌイはディアドロさんよりセラお姉ちゃんとずっといっしょにいたいです。そ、そしたらずっとヌイと仲良くしてくれますか?」
笑い声のあとにそんなヌイの声が聞こえてきた。
「ヌイはお前さんよりセラといっしょにいたいと言っているぞ」
ヌイの一言をダシに、ルドルフはこちらに背を向けているディアドロをからかう。
「ははは、それは困りましたね。まあセラさんも我々とずっと一緒にいてくれる方向なら実に結構ですが。もちろんルドルフ殿もついてきていいんですよ。その時は歓迎します」
なんだかきれいに切り返された気がしてルドルフは黙った。
船出してから二日目の夕方前には港町ルトに停泊した。
風まかせの通常の帆船ならばゲルナロ火山のそばからここまで最低一週間、風待ちを含めれば一ヶ月かかってもおかしくない。これはそんな通常の航海とは次元の異なる速さである。船は時間がかかりすぎると反対したルドルフも、この速度にはすぐに黙らされた。
港町特有の開けた雰囲気はグラナフォートとも王都ともまた違った活気をともなっていて、セラたちの気を大いに引いた。ヌイは人前には出せないと船でディアドロと留守番をしていたが、セラ、バルド、ラエルら三人はあちらこちらに走り回っては、様々なものに物珍しげな熱い視線を送っている。見聞を広げる旅になったと思えばこの思わぬ道連れも悪くはない。
ルトには中一日滞在して死霊国に行く前の補給を済ませる。ディアドロの見立てでは最短で三週間、最長で一ヶ月半ほどの行程になるだろう、ということだった。詳しい場所はまだ教えてくれないのでそれが妥当かどうか、ルドルフにはわからないが、ひとまずその見立てに従って買い物をしていく。
ルドルフは食糧をこれでもかと仕入れて次元収納の中に次々に放り込んだ。いざとなれば転移魔術でいつでも買いに来れるが、敵地でみなと離れる状況はなるべく作りたくなかったからだ。
「師匠、これすごいね! ヌイが全然嫌なかんじじゃなくなった」
買い物が終わり船に戻った後、ラエルが右手の人差し指にはめた銀の指輪を見せながらルドルフに声をかけた。
魔王の呪いに対抗する力を持つ従士の指輪だ。
ルドルフがかつて殲滅の神子の従士になった時にエルフから授かった代物で、極北の魔王と戦った時にももちろん使っていたものだ。ただの人間が魔王の呪いを前に精神の平衡を保って行動するには、この指輪の力が不可欠だった。今はその効力のおかげでラエルも普通にヌイと接することができている。
「それ割と貴重なものだからな。なくすなよ」
そう言うと同時に、ルドルフはかすかに引っかかっていたことを思い出した。
ルドルフはアンデッドゆえ、バルドは神子ゆえ、アクィラはその両方ゆえにヌイの呪いの影響を受けていない。すでに人間の枠から外れたアンデッドが影響を受けないのは当然だが、しばしば魔王と対する存在である神子も魔王の呪いに打ち克つことができる。
だがセラはどうだろう。世間では便宜上神子とされているが、実際にはまだ神子ではないのだ。ただの人間である。祖母の形見の指輪にも呪い除けの力があるが、今はホームである寺院の彼女の部屋に大切にしまってあってここにはない。
なぜセラはヌイの呪いが平気なんだ?




