第八話 お別れの時間
「馬鹿な……」
聖騎士が崩れ落ち膝をついた。
誰もが目の前で起きた出来事を理解できなかった。それをやったルドルフ以外は。
状況を把握しているルドルフも、確信のない魔術が功を奏したことに半ば信じられない気持ちでいる。眼窩の緑の炎はまだ興奮を示して燃え続けている。
そのルドルフの目にもはや聖剣は映っていない。それは忽然とこの場から消え去っていた。
聖剣か、その使い手か。そのどちらかを排除しなければ、戦いを終わらせることはできなかっただろう。とっさに閃いた前者のための魔術が不発に終わったなら、後者の手段を取るしかなかった。
なんとかこの聖騎士を殺さずに済んだことにルドルフは内心胸をなでおろしている。
追い詰められたルドルフが使ったのは、まさかの次元収納の魔術であった。
次元収納は手に届く範囲で、静止した物体であればなんであれ亜空間にしまうことができる。振り回される剣は対象にできないが、鍔迫り合いしている剣ならばなんとかその条件を満たしたようだ。
表には出さないが大きく安堵するリッチとは対照的に、冒険者たちの間には目に見えて衝撃と絶望が広がる。
特に聖騎士の受けた打撃は計り知れないものだった。呆然として虚ろになった両手を見つめる。次の瞬間、その両目から音もなくツーっと涙が伝ったかと思うと、両手で顔を覆い、静かに肩を上下させて嗚咽し始めた。
「サイラス! しっかりしてください、サイラス!」
ふくよかな女神官が女性とは思えない力で鎧姿の聖騎士を後方に引きずり戻し、何度も揺さぶって叱咤する。しかし聖騎士にまったく立ち直る気配はない。
「ああ、もう! リズ、剣を片方サイラスに渡してください」
「え、どうして? さすがにもう逃げることを考えた方がいい。明らかにこれ以上戦うのは無理」
女剣士は申し出の意味がわからないといった顔をして、撤退を進言する。盗賊と魔術師も今や同じ意見のようだった。とはいえ、さすがに疾風の団の連中とは違い、仲間を見捨てて我先に逃げるといった醜態は見せない。
疾風の団と言えば残された盗賊と神官はいつの間にか姿を消していた。
「君たちの唯一の勝ち目はなくなったわけだ。これで勝負あったということでいいかね」
ルドルフが上からの物言いで一方的に戦いの終わりを宣言した。実際のところはなんとか取り繕った余裕である。聖剣……恐ろしすぎる。
「俺の望みはこの場所で静かに暮らすことだ。そちらが干渉してこなければこちらも干渉しない。それを神殿や冒険者ギルドに伝えてもらいたい。そして次に誰かが来ることがあればその者の命の保証はしない、ということもね。よろしくお願いするよ」
これで大人しく引き下がってくれよ。
ルドルフが念じていると、足下でなにやら声がした。
「……してくれ」
跪いた聖騎士がいつのまにかそこにいた。なぜか女神官と女剣士が剣の奪い合いをしている間に床を這ってきていたのだ。
「私の剣を返してくれ。あれがないと私は、私は……」
弱々しい声で懇願するようにルドルフのローブの裾にすがりついてくる。
「あの聖剣はもうこの世のどこにもない。諦めて別の剣でも探すんだな……ええい、やめろ! 離せ! ローブが伸びる!」
「サイラス、危険です! 離れて!」
ルドルフがいくら振りほどいても、仲間が引っ張って引きはがしても、聖騎士は執拗に縋りついてくる。先ほどまでの戦闘とは打って変わって、泥仕合のような緊張感のない押し合いが繰り広げられた。
「頼む……あれは私の悲願に必要な、なくてはならないものなんだ」
先ほどルドルフ相手に堂々たる啖呵を切ったのと同じ男とは思えない、情けない姿だった。しかしあきらかに尋常とはかけ離れた様子にルドルフは気圧される。やりすぎてしまったか? と少し不安になった。だがあの聖剣はアンデッドである自分にとっては危険すぎる。今さら返す気は毛頭なかった。
このままではどうにも埒が明かない。業を煮やしたルドルフはしがみつく聖騎士を引きずったまま部屋の隅まで行き、短く呪文を唱える。すると床に光る魔法陣が現れた。転移門である。そしてどうにか引きはがした聖騎士を転移門の中に投げ込む。魔法陣の上に落ちた聖騎士の姿は、パッと音もなく消えた。
その様子を見るなり聖騎士にくっついて引きずられてきた女神官がなにやら半狂乱でわめきはじめたが、ルドルフは暴れる犬を捕まえるかのようにそれも捕まえて、同じく転移門に放り込んだ。
聖騎士と女神官の姿が消え去ったのを見て、残された冒険者たちの間に再び緊張がよみがえった。魔術師が「お前らだけでも逃げろ。ここは俺が食い止める」などと言って何やら食らうと痛そうな長々しい呪文を唱え始め、女剣士と盗賊はしかし逃げずにそれを守る形をとった。何かに殉じる覚悟を決めたかのような、悲壮だがどこか清々しい笑みを浮かべている。
「ああもうめんどくさい。何を勘違いしているのか知らんが、お前たちも帰れ!」
ルドルフがライトニングバーストの呪文を唱えると雷撃が空を走った。冒険者たちの残り全員がそれをまともにくらい、その衝撃で倒れて動けなくなる。法術による守りがなくなればこんなものである。ルドルフはそれをまとめて担ぐと、ポイポイと一人ずつ転移門に放り込んでいった。
彼らは仲間の姿が消える現象を何か恐ろしいものだと勘違いしたようだが、何のことはない。ダンジョンの第一層に転移しただけである。
こうして部屋にはもとの静寂が戻った。面倒ごとを何とか収拾した部屋の主は大きくため息をつく。
それからルドルフは部屋の隅で立ち尽くしているセラに声をかけた。
「大丈夫か? ちゃんと戦いに巻き込まれないところにいたのは偉いぞ」
「さっきは助けてくれて……ありがとうございます」
セラはルドルフに近づいてきて礼を言った。
元のパーティメンバーに殺されそうになったり、そのパーティメンバーが目の前で殺されたりしたことで、セラが動揺していないかと心配していたが、少なくとも表面上は平気に見えて、ルドルフは少し安心した。
ルドルフが強力な魔術を行使して戦う様を見たにもかかわらず、その目に恐れの色もない。子供ゆえに何が起きたのかよくわかっていない可能性もあるが。
ルドルフはそんなセラを部屋の隅にある魔法陣の前まで招いた。彼女の荷物もすぐそばに運んである。
「さて予定より早いが、もうお別れの時間だ」
おもむろに先ほど聖剣旅団の全員を飲み込んだ代物の説明をする。
「これは転移門だ。この魔法陣に乗れば、第一層のダンジョンの入り口近くまですぐに行くことができる。これが約束の帰る手段というわけだ。そこにはさっきの冒険者たちがまだいると思うから、なんとかうまく言って保護してもらいなさい」
それを聞いたセラはなぜか寂しげな色を見せた。
「そうそう、俺との関係について何か聞かれたら、薬をもらったことくらいは正直に話してかまわない。だが間違っても魔術を教わっていたなどとは言わないように。さっきみたいに俺をかばう必要もない。自分のことを第一に考えるんだ」
聞いたセラは、少し考えた後、おずおずとルドルフに伺いを立てた。
「できればもっと魔術を教えて欲しいんですが……もう少しここにいてもいいですか? こんな便利なものがあるのなら、帰るのはいつでもできそうですし……」
だがそれに対するルドルフの返答はきっぱりとしたものだった。
「ならん。お前は人で、俺はアンデッドなのだからな。分というものをわきまえなくはならん」
ルドルフはこれ以上セラといることは、自分にとっても彼女にとっても面倒なことになると感じていた。
セラはその拒絶の言葉に少し涙をにじませたが、それを服の袖で拭うと健気に笑顔を作ってルドルフを見上げた。
「わかりました。無理を言ってしまってごめんなさい。ありがとうございます。この数日間、とてもためになりました。私、リッチさんのことずっと忘れないと思います」
ルドルフは別れの言葉も返さず、黙ったまま静かに佇んでいる。
セラは口を結んでひとつお辞儀をすると、自分の荷物を背負い、おもむろに魔法陣の中に姿を消した。