第四十四話 なんとかする骸骨
「そこまで!」
アリアナが止めの声をかけた。
あれだけ動いて、あれだけ地に叩きつけられたにもかかわらず、バルドはまだまだ元気そのものである。が、これ以上やっても結果が変わらないことは明らかだった。バルドのスタミナも底が知れないが、ルドルフの方のスタミナもまた無尽蔵なのだ。
「くそっ、俺の負けです!」
言葉とは裏腹にバルドは爽やかで楽しそうな、少年らしい笑顔を浮かべている。
「どう? バルド。ここでやっていけそうかしら?」
アリアナが声をかけ、バルドが元気に応じようとしたその時だった。少年の目がセラとラエルに引き付けられた。たちまちその顔が曇る。再び最初の不景気で頼りない表情に戻ってしまった。
「いえ、その話でしたら、やっぱり俺はどこかで一人で修行しようと思います。一人でもきちんと強くなって見せますから」
「言ったじゃない。一人はだめ。これの頑丈さはよくわかったでしょう? ちょっとやそっとじゃ傷もつかないんだから」
アリアナがローブの上からルドルフの胸板を叩いた。ルドルフはこれ呼ばわりされて心が少し傷ついた。
「ルドルフさんのことじゃないです。そんな小さな子が俺といるのは危険ですから。ルドルフさんと違って、手の骨を握りつぶしちゃったらすぐには治らないでしょう?」
バルドはセラの方をちらっと見ながら言った。
背丈はともかく顔立ちに幼さを残す少年から小さい子呼ばわりされたのが気に障ったのだろう。セラがちょっとムッとした顔となった。が、バルドの辛そうな顔を見てすぐに心配そうな表情となる。
バルドは木剣を腰に差すと、先ほど降ろした荷物を再び背負い、ルドルフの前までやってきた。
「ありがとうございます。いい鍛錬になりました」
礼と別れの挨拶を兼ねて頭を下げるバルドの後ろで、アリアナが「なんとかして!」とでも言いたげな身振りをしている。ルドルフはため息をついてバルドに語りかけた。
「まあ、待て。バルド。力が制御できずに物を壊したり、人を傷つけたりしてしまうという話だったな。セラやラエルのことを心配しているなら平気だと思うぞ」
バルドが怪訝な顔でルドルフを見る。
「論より証拠だ。大丈夫だというところを見せてやろう」
そう言ったルドルフはセラをちょいちょいと呼ぶ。言われるままにやってきた彼女を立たせて自分はその背後に回った。そして不思議そうな顔をするその無防備な脳天に、思い切り木剣を振り下ろした。
「あぶない!」
バルドは思わず手を伸ばした。しかし彼が何をする暇もないうちに淡く光る結界がセラの身を包み、木剣は少女の体に届く前に大きく弾かれた。
「この通り、セラはちょっとやそっとじゃ怪我をしない」
「なんですか? 何をしたんですか?」
なぜ結界が発動したのか把握できず、セラは左に右にひょこひょこと師匠を振り返る。
実のところこの結界の指輪が守ってくれるのは三回だけだが、故意ではないついうっかりなら十分に防ぐことができるだろう。
「今度はラエルいいか?」
その返答を待つことなく、ルドルフは木剣を軽く横ざまにラエルの頭に叩き込む。
「なんだよ急に! びっくりするじゃないか!」
抗議するラエルの顔の横で、宙を浮かぶ砂が固まって殻となり、木剣を受け止めていた。いつも少年の側にいる砂の精霊が自動的に彼を守ったのだ。もちろんラエルは傷ひとつない。
「これこのとおり、君がこの子らを怪我をさせる心配はない。だから大丈夫なんだ」
バルドは毒気を抜かれたように目を丸くしている。
ルドルフがセラたちにもバルドの事情を説明する中、当のバルドは立ち尽くし、まだ目の前で起きたことを飲み込もうと努力しているようだった。
だがそんなバルドに心無い言葉をかける者がいた。
「僕は嫌だよ。そんな物騒なやつと暮らすの。一人でいいって言うんだから、一人にさせとけばいいんだ」
ラエルである。
その言葉を聞いてバルドはまた辛そうな顔に戻った。そして黙って踵を返し来た道を戻ろうとする。
「待って!」
その時、ルドルフよりアリアナより早く、一番にバルドの手を取ったのはセラであった。バルドが振り向くと、そこにはなぜか自分と同じく辛そうな顔をしている少女の顔があった。その様子にバルドは呆気に取られ動きを止めた。
「そんなにすぐに結論を出す必要はないと思う。そうだ、甘いお菓子でも食べよう! 元気が出て気分も落ち着くと思う」
セラは無理矢理に笑顔を作ると、握ったバルドの手を強引に引っ張った。
「ほら、大丈夫。師匠の言う通り、私はそう簡単に怪我なんかしないんだから」
そうしてバルドはセラに手を引かれるまま、寺院の中へと入っていく。
「待ってよ。僕も食べたいー」
「ラエルの分はないよ。バルド君にあげるんだから」
「なにぃー! やっぱりだめだ、お前いますぐに帰れ!」
ルドルフとアリアナが見送る中、セラとラエルのそんなやり取りが聞こえてきた。
「とりあえず、引き留めることはできたようね」
「あのクソガキはあとでシメとかないといかんな」
ルドルフは先ほどのセラの表情が妙に頭に残った。セラは故郷の村から逃げるようにグラナフォートまで来たと聞いている。先ほどのバルドの姿に己の身を重ねてしまったのかもしれない。
「私も少し休みたいから、一週間はここを動かないわよ。旅の貧しい食事にも飽き飽きしてるしね」
全員が集まった夕食の時間にアリアナがそう宣言したので、バルドもしばらくここに留まることが確定した。
その夜、アリアナがバルドの来歴を詳しく教えてくれた。
わずか六歳で神子となったバルドは、長い間、その力に悩まされていた。子供の精神の不安定さとその怪力の暴走癖は相性が悪い。周りの物を不意に壊してしまうことがよくあった。たとえば食事中に折ってしまったスプーンは数知れず。家のドアノブを捻じり切ってしまったこともある。
苛立ちに任せて力をぶつけるわけではない。不意に力が入りすぎてしまうのだ。
両親にとってはそれでも愛する息子だ。そんなバルドと辛抱強く向き合った。その甲斐あってか、バルドも成長とともに落ち着き、物を壊すことも減っていった。しかしある時、バルドは誤ってその力で両親に怪我を負わせてしまう。そして自ら家を出た。
やがてアリアナの計らいで剣聖の道場で修行することになったバルドは、初めて自分の全力を受け止められる人間、剣聖ジルベルトに出会った。しかし新参が師に可愛がられるのを良しとしない兄弟子たちと揉めて、そのうちの一人を大怪我させる事件が起きてしまった。
ジルベルトの遺留にもかかわらず、バルドはそのショックで自ら道場を去った。そして今に至るというわけだ。
「一人でいたいと言う理由はそれか。若いのに苦労してるんだなぁ」
「何よ他人事みたいに」
「まごうことなき他人事だが? 可哀想であるとは思うが、俺は残念ながら慈善家ではなくてね」
先ほどはなんとなく流れでバルドの面倒を見たルドルフだが、よくよく考えればそんなことをする義理は何もなかった。アリアナが一方的に面倒を見てくれと言っているだけだ。
「くっ、そこはちゃんと見合う報酬を用意するわよ」
「その言葉が聞きたかった」
親しき中にも貸し借りありである。
「でも俺じゃたぶん教えることないぞ。精神修養の一環として毎日一緒に瞑想でもするくらいが関の山だ。ここに置くだけでいいってんならいいけど」
バルドの剣技は未熟とはいえ、ルドルフも人に教えられるほど剣の道を修めているわけではない。まさかリッチになれば強くなれるぞと言うわけにもいくまい。
ちなみにアリアナも剣を教えることは無理である。実戦に即しすぎていて、教える相手の命が危ない。
「あなたならなんとかなるでしょ?」
「その俺への過剰すぎる信頼はいったいどこから来るのだ」
ルドルフはやれやれと首を横に振った。
さてどうするか。きちんとした報酬が約束されるならば、ルドルフとしても頭を絞るのはやぶさかでない。
「しかしジル君が剣聖とはなぁ」
ルドルフは大陸中に名をとどろかす剣聖ジルベルトを気安くジル君と呼んだ。
剣聖ジルベルトは先代の剣聖アークが面倒を見ていた戦災孤児だ。ルドルフは子供の時から知っていて、その頃からずっとジル君と呼んでいた。まったく年の功からでしかないが、ルドルフは一応ジルベルトの兄弟子ということになる。
それから五日ばかりの後、ルドルフはまた新しく作ったばかりの転移門の前に立っていた。アリアナがその隣にいる。
「これからあなたの面倒を見てくれそうな人に会って来るから。この旅の食事係といっしょにね」
アリアナは見送りに立つバルドにそう告げた。
「俺がいない間の食事はあの店に連れてってやれ。バルド、遠慮せず好きなだけ食っていいからな」
ルドルフはセラにバルドの食事の面倒を託すと、アリアナとともに転移門の向こうに消えていった。
さらに数日が経って、ルドルフとアリアナはがっしりとした壮年の男と一緒に転移門から姿を現した。
己の部屋に入ってきたその人を見てバルドが目を丸くする。
「せ、先生」
「バルドよ。久しぶりだな」
精悍な顔に優しい笑みを浮かべるのは剣聖ジルベルトその人であった。年の頃は壮年に見えるが実際はすでに六十近いはずだ。
「どうしてここに……」
「どうして、じゃない。勝手にいなくなりおって。私はお前を破門にした覚えはないぞ」
それを聞いたバルドは黙って下を向いた。床に水の雫が数滴こぼれる。ジルベルトが近づきバルドの頭を抱えてぐっと抱き寄せた。バルドはその師に抱き着くと、言葉にならない声を漏らして静かに嗚咽し始めた。
アリアナがルドルフに指で合図をし、二人はそっと部屋を出た。
それからしばらくしてジルベルトとともに部屋を出てきたバルドは憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとした顔をしていた。ルドルフと木剣を振っていた時と同じ快活な笑顔だ。
「明日また来る。まずは腕が鈍ってないかどうか、確認させてもらうぞ」
「はい! お願いします!」
ルドルフたちと事前に取り決めていた通り、ジルベルトは週に二回ここにやってきてバルドの修行を見ることになった。剣聖たる彼は己の道場を長く離れることはできないが、散歩するような感覚で行き来できるならば何も問題はない。ルドルフは剣聖の道場とこの寺院をひそかに転移門で繋いだのである。
別れの時、ジルベルトは「こちらの方とちょっと話がある」と転移門の前まで見送りに来たバルドを先に帰した。バルドは軽く別れの挨拶をすると、喜びを抑えきれないかのように前のめりになり、全速力で自分の部屋へと走っていった。
「ルドルフさん」
ルドルフとアリアナ、そして自分の三人だけになると、ジルベルトはおもむろにその名を呼んだ。
「誰かなそれは? 私は神子の育成を請け負ったただの名もなきリッチだ」
ルドルフはいつものごとくとぼける。
「はっは。アリアナさんの隣りでそんなに馬鹿デカい図体をしている魔術師と言ったらルドルフさんしかいませんよ。それに私にはよくわかりませんが、たしかこういう遠くと遠くを結ぶ魔術の研究をずっとしてるっていつか話してくれたでしょう」
「人前でその名前は呼ばないように頼むよ、ジル君。一応ね」
ごまかしきれそうにないのでルドルフは早々に観念した。それに久しぶりに会った弟弟子と素直に語りたいこともあった。
「アークのことは残念だった。しかしジル君も立派にやっているようで安心したよ」
「アーク先生も最期にルドルフさんに会いたがっておられました。私もこうしてまた会うことができて本当にうれしいです」
それからジルベルトはバルドとの間を取り持ってくれたことに対して深く礼を言った。バルドのことはジルベルトもあれからずっと思い悩んでいたのだ。
思っていたよりも長く話し込んだあと、ジルベルトは晴れやかな顔で去っていった。
「ほら、やっぱりなんとかなったじゃない」
アリアナは満面の笑顔でルドルフの背中を強く叩いた。