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リッチは少女を弟子にした  作者: 川村五円
第十章 吸血鬼の花嫁

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第四百一話 十三夜

 退屈の中で日が暮れ、やがて夕食も終えた頃、またフィーネがやって来た。


「ごきげんよう。お元気そうですね」


 フィーネはセラに笑いかけた。眠そうな瞳をしているが寝起きで眠たいわけではなく、これは彼女の自然な顔立ちである。


「あちらはあまりお元気そうではありませんね」


 それからキルケを一瞥して笑顔のままそう言った。その側には飲み干されたジュースのコップの横に、手つかずのパンとスープの皿がある。


「食べるものは食べておかないと、いざというとき動けなかったら馬鹿みたいですよ。ほら誰かが助けに来てくれたりするかもしれませんし。ねえセラ」


 セラは気負わず自然と答えた。


「はい。師匠たちがきっと助けに来てくれると信じています」


 信じているのは本当だ。いつか必ずきっと助けは来る。だが意地悪な質問だとも思った。その助けが来た頃にはすでに食事の必要のない体になっているかもしれない。そう覚悟してもいたからだ。


 気丈に口を結んだセラの顔を見たフィーネは楽しそうにくすくすと笑った。


「…………ない」


 その時、キルケの抱えた膝の内からかすかな声が聞こえてきた。


「もう私を助けに来てくれる人なんていない……」


 最後にはやや涙声となっていた。


「あらあら、かわいそうに。でも大丈夫ですよ。あのお方の花嫁になって身も心もあるがままにゆだねれば、そんな悲しい気持ちはすっかりなくなりますから」


 フィーネはニコッと笑った。


 それから彼女は「閉じこもってばかりでは鬱々とするでしょう」とセラだけを敷地内の庭園へと誘った。


 顔を伏せたまま再び沈黙したキルケを気にしつつ、セラはフィーネについて外へ出た。春の夜のひんやりした空気の中に爽やかな甘い花の香りがただよっていた。


 闇の中、月明かりとフィーネの白いシルエットを頼りにセラが後からついていく。昼間空を覆う雲は不思議なことに夜になると必ず晴れるのであった。空に浮かぶ月はだいぶ満ちていて、その明かりだけでもゆっくり歩くのに不便はない。


 と、やがてより濃厚な花の香りに満ちた場所でフィーネは足を止めた。


「どうですか、ここは。なかなかのものでしょう」


 月光に照らされて、辺り一面に咲く白く小さな花が妖しく輝いていた。とてもきれいだ。何という花だろう。こんな状況でなければもっと素直に楽しめたのに。


 その幻想的な空間の向こうに大きな建物の影が見える。ガスコインとその花嫁たちの暮らす本館である。


 もしいまあそこに目がけて古代魔術を唱えたらどうなるだろうか。セラは思わずそんな妄想に囚われていた。異界の窓から得られるすべての力を乗せて、全力で。それですべてが終わるなら簡単な話だ。


 そんなセラの視線に何か不穏を感じ取ったのか、フィーネは軽く釘を刺した。


「暴れるのはよしてくださいね。あなたの魔術の腕は知っていますが、ただの人間があのお方をどうこうできるはずもありません。疲れるだけですよ。お仕置きもされてしまいますし」


 ヴァンパイアの真祖はリッチと同じように滅ぼしてもまた復活する。セラは師匠からそう聞いていたし、怒ったガスコインが何をするかもわからなかったので、素直にフィーネの言葉に従った。それでフィーネは気をよくしたようだ。


「やるならタイミングを考えなければ。婚礼の儀、次の満月は明後日です。イチかバチかにはまだ少し早いですよ」


 口を押さえて笑いつつ、穏やかにそう言った。セラはどう反応していいかわからなかった。


 明後日の満月。その日が来ればセラはガスコインの花嫁としてヴァンパイアにされてしまう。


 ガスコインはその晩をじっと待っている。「お前たちを力いっぱい抱き締められる日が楽しみでス」と言い、セラはもちろん、キルケにもお仕置き以外は手も触れない。それまでの世話は最も古株の花嫁であるフィーネに一任していた。


 そのフィーネが近くにあったベンチに座り、セラを隣に招いた。


「少し内緒話をしましょうか」


 自分の唇に人差し指を当てて、シーッという仕草をする。それからおもむろに言った。


「あなたのお師匠様はきっと間に合いますよ。エルフともどもあちこちかけずり回っているようです。明後日がどうなるか楽しみですね」


 セラがまた思わぬ言葉に呆気に取られていると、フィーネはその顔を見てくすくすと笑った。


 セラはその笑い顔に尋ねずにいられない。


「どうしてそれを?」


「あのお方をお守りするために必要なことなら、私は何だって知っているのです」


 ルドルフやアリアナが動いてくれていることは不思議でも何でもない。しかしフィーネがそれを知る理由は不可解だった。セラがその方法を尋ねても「すべては愛のためです」などと言ってはぐらかすばかりだ。


 本当かどうかもわからないが、もしフィーネがすべてを把握しているのなら、その手の中に飛び込んで来る師匠やアリアナさん、それにバルドたちが危ない。


 セラの顔が曇ったのを見てフィーネは怪訝な顔をした。それから何かを察した表情を浮かべ、諭すように言う。


「安心してください。あのお方には何も知らせていませんし、私もルドルフさんには頑張っていただきたいと考えているのですから。こうしてあなたに知らせるのも、あなたに逃げる心づもりをしておいてもらうため。しかと準備しておいてくださいね」


 まだ要領を得ないセラに対してフィーネは重ねて言った。


「あなたはあのお方の花嫁にはなりたくないのでしょう? 私もあなたを花嫁になどしたくはないのです。あのお方の愛は私だけのものでいい」


 やがてセラはフィーネがそれを本気で言っているのだと悟った。そしてようやく率直にうれしく思う気持ちがわいてくる。ここに来てからどこかずっと張り詰めていた気持ちが緩んだ。


 だがその様子を見たフィーネは笑顔ながらに釘を刺した。


「気取られないようにしてくださいね。あなたが、誰かが助けに来る、と信じているのはいいです。ですが私との話の後であからさまに顔色が晴れたら、それはちょっと怪しいじゃないですか」


 それを聞いてセラはぎゅっと顔を引き締めた。その素直な反応にフィーネは満足げに笑う。


 それからセラはキルケにも今の話を聞かせていいかと尋ねた。キルケの励みにもなるのではないかと考えたのだ。が、その名を聞いたとたんにフィーネは険しい顔となり、ややあって首を横に振った。


「言ったでしょう。これは私とあなたの間の内緒の話。あなたが秘密を守れると思ったから話したのです。時が来たらあの馬鹿な娘をついでに助けてあげるのはかまいませんよ。でも今は絶対に知らせないでください」


 そして再びその顔に笑みを戻して言う。


「ふふ、明後日が本当に楽しみ」


 しかしそれは先ほどまでの花のような笑みではなかった。明らかに不吉なものとしか思えない黒いオーラが、フィーネの体からわずかに立ち上る。その時、セラにはフィーネ自身もなにやら恐ろしく不吉な何かに思えた。

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