第三十八話 エピローグ 小さな記念の日
あれから数日かけてルドルフは第十二層から第八層への転移門を黙々と作った。少し気まずそうにしているルドルフとセラの間をアリアナが強引に取り持ったり、解体したキマイラの魔石がセラの背丈を超す巨大さだったのに驚いたり、といったイベントが発生したが、特に大事なく時間は過ぎていき、転移門が完成するのを待ってすぐに三人は地上に戻った。
町まで戻ったところで、ルドルフの提案で軽い打ち上げをすることになった。とにもかくにもひと区切りはついた。当初の目的だった定住の地を得ることはならなかったが、アリアナの任務は達成された。その祝いである、という。
「こういう記念みたいなものは地味に大切なんだ」
「記念、ねぇ」
「記念? ですか」
実際はなんとなくすっきりしない形で最後を迎えた仕事への、ルドルフなりのフォローだった。
時刻は昼下がり。三人はゆっくりと歩いてルドルフとセラが初めて食事をした店にやってきた。あれから二ヶ月余りが経過している。街路樹にも新緑が勢いよく萌える、季節はそろそろ初夏である。
古びてはいるが清潔でよく整頓された店内は、相変わらずの心地よさだ。窓が開け放たれて涼しい風が通っている。昼時もとうに過ぎているということで、ほかに客は誰もいなかった。
店のおかみさんはセラのことを覚えていて、懐かしそうな笑顔で迎えてくれた。この子といっしょにいるとなれば、おかみさんの理解ではそれは家族しかありえない。片方は父親、そしてもう片方は――
「今日はお母さんもいっしょに来てくれたのね。体はもう大丈夫なのかしら?」
おかみさんはアリアナの顔を見てそう言った。今の彼女は魔道具の耳飾りでエルフの耳をごまかしている。
「お母さん?」
はじめは不思議な顔をしていたアリアナだったが、席に着いたあとでルドルフから理由を聞き、腹を抱えて涙が出るほどに笑った。以前ルドルフとセラが二人で食べに来た時、おかみさんの当て推量とルドルフの適当な受け答えのせいで、二人は父子という設定になり、そして風邪で寝込んだ母親が家で寝ているということになっていた。
「お父さん! ちょっとそっちのメニューも見せてちょうだい」
悦に入ったアリアナがふざけて呼ぶ。
「ハイハイ、お母さん。わかりましたよ、お母さん」
呆れつつルドルフもつきあって応じる。
ふざける二人に戸惑いつつもセラはなんだかとてもうれしそうだった。ほころぶ笑顔が花のようだ。
「セラちゃんはどれにする?」
アリアナの見せたメニューからひとつを指差し、セラは探り探りの調子で言った。
「私は……これが食べたいです。お母……さん」
それを聞いたアリアナは雷に打たれたような顔をしたあと、額を抑えてややうつむく。その頬がほんのり赤く染まっている。
「その呼び方はなかなか破壊力高いわね。セラちゃん。恐れ入ったわ」
手のひらで顔をパタパタあおぎ始めるアリアナを見てルドルフは噴き出してしまう。アリアナの鋼のメンタルを揺るがせるとは、うちの弟子はなかなかやる。そんなことを思った。
しかしふと見るとセラの顔も真っ赤である。呼んだ方もなんだかいっぱいいっぱいになっている。威力抜群の攻撃だが多用はできないようだった。
にしても母親と娘ねぇ……。
並んでいっしょにメニューを広げるセラとアリアナを見ながら、ルドルフは神妙な思いで目を細くする。自分の場合は父と娘というより祖父と孫かな。いや、まあそもそも生涯独身だった自分にはそういう気持ちはよくわからないし、やっぱり師匠と弟子という関係がしっくりくる。
「魔術師は体が資本だからな。しっかりと食べないといけないぞ」
運ばれてきた前菜のミニサラダを片付け、この店の名物のビーフシチューにセラが口を付けると、ルドルフが口癖のひと言を言った。
「その言葉も何度聞いたかわからないわね」
アリアナが呆れたように笑った。
だがその繰り返された言葉の甲斐あってか、会ったばかりの頃はだいぶ痩せていたセラも、今では相応にふっくらとして柔らかみを帯びた体つきになってきている。
食卓は前回よりも少し、いや、かなり豪華で、それはまさに記念の日にふさわしい楽しい食事になった。
「あらあら、今日は何かのお祝いなのかしら?」
あまりに色々と頼んだので、あとでテーブルの真ん中に肉料理の大皿を置きに来たおかみさんがそうたずねてくるほどだった。ほんのささやかだが、確かに一応お祝いのつもりではある。たちまちテーブルがいっぱいになったのは、そんなことに関係なくただアリアナが手当たり次第においしそうなものを頼んだというだけであるが。
相変わらずルドルフは食事することはないが、他人が食べるのを見るだけで満足している。今日はルドルフが食べるふりをして次元収納に料理をしまう必要はなかった。なにせ放っておくとこのエルフは底なしに食べる。三人前どころかその倍はゆうに食べただろう。エルフはだいたい健啖家なのだ。テーブルの上にはいつの間にか酒瓶も何本か並んでいた。
その日はおかみさんの好意の甘味ではなく、きちんと頼んだデザートのケーキまで食べてから店を出た。そのケーキの味にも唸ったアリアナは「いいお店知ってるじゃない」と満足げにルドルフの肩に拳をぶつけた。
「今日はたくさん食べてくれてありがとうねぇ」
帰り際におかみさんがセラと目線の高さを合わせて言った。
「はい。とてもおいしかったです」
セラは少しはにかみながらもはっきりと受け答えした。
店から出ると時刻はすでに夕方近い。
初夏の太陽はまだ高く、夕日と呼ぶには早い日差しが眩しくセラの顔を照らした。その瞳に映る街並みは鮮やかに色づいている。数ヶ月前に恐る恐る辺りをうかがいながら歩いていた少女の顔はどこにもなかった。
セラが立ち止まって街の景色を眺めているのを、ルドルフとアリアナは並んで待った。やがて日の光を背に振り返ったセラは、かえって眩しいような目つきで二人の顔を見上げる。そして二人の間に勢いよく駆け込んで、それぞれの右と左の手を握った。
「『記念』っていいですね。師匠の言う通りです」
セラがなにかをじんわりと噛みしめるように言った。
ルドルフは心の中だけでひそかに思った。
この先もこの娘がたくさんの小さな記念の日を積み重ねていけるといい。




