第三十四話 転移トラップ
第十二層。
アリアナが安全を保障するべき聖剣旅団はこの層を一歩踏めばゴールゆえ、もう露払いの探索を行う必要はない。あとはもう拠点候補となる目的地まで行くだけだ。
ルドルフらは第十一層を踏破したその足で第十二層を進み始めた。
その日の午後。
すっかり気のゆるんだルドルフを嘲笑うかのようにトラブルはやってきた。
目的の場所はもう近い、と言ったばかりのアリアナが、その部屋の真ん中あたりで不意に足を止めた。
「チッ、黒ネズミ。何のつもり」
敵に向ける険を含んだ声だ。彼女の鋭い視線の先には一人の男がいた。部屋の出口を背にして耳の尖ったエルフがいる。ただしアリアナと同じエルフではない。周囲の闇に紛れる褐色の肌。ダークエルフである。
ルドルフはあまりの唐突な遭遇に状況が理解できず固まった。
その仏頂面のダークエルフは大ぶりの鉈をこちらに向けて構えていた。そしてアリアナに言い返す。
「何のつもり、か。それはずっと前からこちらが言いたいセリフだ。難しいことなど何もない仕事のはずが、まさか貴様のような化け物と対峙せねばならん羽目になるとは」
ダークエルフはまだ何かを続けようとしている。だがアリアナはそれ以上の言葉を許さなかった。
即応した女エルフの手から鎖が放たれる。それは敵に一直線にとびかかり、相手がとっさにかざした鉈を持つ右腕にぐるぐると巻き付いた。その鎖はアリアナの左手の腕輪から伸びている。拘束用の魔道具だ。
「おしゃべりは後。締め上げて動けなくしてからたっぷりと聞いてあげる」
「チッ」
このアリアナの判断と行動の速さはさすがのダークエルフにも想定外だったらしく、忌々し気な舌打ちが漏れる。
アリアナは鎖を手繰りながら前に数歩踏み出した。ルドルフとセラから離れて剣を振り回す空間を確保したのだ。間髪入れずに腕に力を込めて思い切り鎖を引く。すると、ダークエルフは宙を飛んでこちらに引き込まれた。彼女の右手はすでに剣を半ばまで抜いている。
「クッ」
しかし呻きながら表情を歪めたダークエルフの方も素早く行動していた。鎖に引っ張られて足が地を離れる寸前、足下の床を強く踏んだのがルドルフには見えた。ほぼ同時に立ち尽くしていたルドルフとセラの足下に大きな魔法陣が輝いた。とっさにセラを魔法陣の外に突き飛ばす。視界が暗転した。
「セラ! 大丈夫か!」
不意に訪れた闇の中でルドルフは叫びつつ、ライトの魔術を唱える。浮かんだ光球に照らされ再び明るくなった視界からは、アリアナもダークエルフも、そしてセラも姿を消していた。
いや、彼らが消えたのではない。ルドルフ自身が見たことのない場所にいる。そうなる瞬間の感覚には覚えがあった。空間転移する感覚。周りの景色からして同じダンジョンの中ではあるようだ。
転移させられた? おそらくはあのダークエルフがダンジョンの転移トラップを作動させたのか。
ルドルフは素早く状況を判断するや否や、周りをよく確認する暇もなく、慌てて転移魔術を唱えて元の場所に転移した。
すると戻った先ではアリアナとダークエルフが鎖でつながれたまま睨み合っていて、その間には三本の岩の柱が乱杭のように飛び出ている。どうやらダークエルフは魔術を使ってアリアナの攻撃を凌いだようだ。
ダークエルフの鉈の刃がうっすらと青く光っている。あの鉈は何か嫌な予感がする。だがそれを握る右腕が鎖に巻かれているため、どうにも振るうことはできない。アリアナは鎖を引く力に巧みに緩急をつけて、相手の動きを妨害している。まるで闘技場で見るチェーンデスマッチのようだった。
「師匠!」
戻ってきたルドルフを見てセラが喜びの声をあげる。ダークエルフはアリアナの背後にそびえ立った巨漢の骸骨を見て、仏頂面の眉をさらにしかめた。
「転移トラップで私たちを分断しようとでもしたのかしら。でもお生憎様。ルドルフ、あいつの背後を魔術で塞いで。逃げられないようにね。こいつは生け捕りにして目的を吐かせる。セラちゃんは後ろで自分の身を守っていて」
転移トラップはダンジョンの深い層でまれに見られる魔術の罠で、その名の通り罠にかかったものをいずこかの場所へ転移させる。転移門をそのまま罠に転用したものともいえるが、効果を発揮した後は消滅して使えなくなるのがお約束だ。それによりパーティを分断する。
直接危害を与える罠ではないが、このようなダンジョンの深い層で別れ別れとなれば、恐ろしい結果を招くのは火を見るよりも明らかだ。むしろ直接的な罠よりも陰湿で悪意を感じる代物である。
しかしよりによって転移魔術で戻って来られるルドルフだけが引っかかったのは、ダークエルフにとって痛恨事だったといえるだろう。
ルドルフが内心お気の毒様と考えながらもアリアナの言う通りに魔術を使おうとした時だった。呪文を唱え始めたリッチを見たダークエルフはおもむろに自由な左手を己が前にかざした。その左手の中指には琥珀色の宝石のついた指輪がはまっている。ひとつ合言葉を唱えた。
すると不思議なことにダークエルフの体はまるで水面に沈むかのように床に消え、鎖でつながれていたアリアナもまたそれに引っ張られて床にもぐってしまった。
「アリアナさん!」
エルフとダークエルフのいなくなった部屋にセラの声が空しく響いた。アリアナの側に浮いていた灯篭が持ち主を見失い床に落ちている。
「地行の指輪か。どうやら下の層に逃げたな」
それは地面の中をすり抜けて移動できる貴重な魔道具だ。手を繋いだり、肩を抱いたり、接触している者を同行させることもできるというが、どうやら鎖でつながっている状態も接触とみなされたようだ。
状況を冷静に把握しつつ、ルドルフは落ちて消えつつある灯篭の代わりにライトの魔術で光球を浮かべた。
「師匠! アリアナさんが!」
「アリアナなら心配ない。殺しても死なない女だ」
取り乱すセラをルドルフはなだめた。その声は落ち着き払っている。
むしろ心配するべきはダークエルフの方だろう。あれはもはや逃げに入った行動だ。
アリアナはなぜかこのダンジョンの構造に精通しているようだし、自分たちはこのまま安穏とここで待っていればいい。ダークエルフを簀巻きにして戻ってきたらあの指輪もらえないかな。
ルドルフがそのように呑気に構えた時だった。
不意に、重く響く足音が多数、ルドルフたちがこれまで歩いてきた方向から聞こえてきた。嫌な予感がルドルフの胸をよぎる。
間もなく闇の中から姿を現したのは鎖鎧を着こんだトロール。トロール・ウォリアーだった。しかも群れている。その数、十体以上。思い思いに戦槌や斧、槍などを手にこちらへ向かって来る。
「ここは俺が片づける。セラはもしあいつらが近づいてきたらシールドで足止めしてくれ」
ルドルフはすぐさま言った。この数はさすがにセラでは無理だ。いつもとは攻守の役割をスイッチする。そして流れるように多重詠唱で呪文を唱えた。
『『『『エクスプロージョン』』』』
詠唱の終わった瞬間、猛烈な炎と黒煙が一気に視界に広がった。急激な光と爆風にセラは両腕で顔を覆った。炎と煙が晴れた後、セラが再びそちらを見やると、動くトロールはもはや一体もいなかった。すべてが消し炭の塊となっている。その消し炭の中には彼らの核であった魔石が落ちている。
上級魔術エクスプロージョン。現在一般に流布している魔術の中でも最も強力な攻撃魔術だ。ルドルフはそれを多重詠唱で四発同時に叩きこんだ。その爆炎がトロールの群れの存在する空間に飽和する勢いで炸裂し、一瞬で勝負を終わらせたのだ。セラがシールドの魔術を使う暇すらない。
「すごい…………やっぱり師匠の魔術はすごいです!」
しかしセラが初めて見た強力無比な魔術に興奮するのとは裏腹に、ルドルフの頭は冷えていた。
この尋常でない数のトロールの出現は普通では考えられない。間違いなく転移トラップと連動した罠の一環だ。分断されたパーティの取り残された方に魔物の群れがやって来る。幾度か聞いたことのある話である。
そして圧勝のように見えるが、ルドルフは今の一瞬で己の持つ魔力の二割程度を消費している。出し惜しみをすればかえって消耗すると判断して、初手で最大火力を叩き込んだのだ。
そのふたつを勘案した時、ルドルフは思い知らされた。今は決して楽観できる状況ではない。
アリアナを待つにしても、それまでの間、この層の魔物たちをこの場で凌ぎ続けなければならない。それが果たして可能かどうか。地脈の側で戦うのと違って、今のルドルフに無限の魔力はないのだ。
もうひとつ、ルドルフの気持ちを険しくするものがあった。
もし今ここに残されたのがセラだけだったら、という思考が彼の背筋を凍えさせる。というか、先ほど転移トラップに彼女が巻き込まれていた場合もどうなっていたか。
あのダークエルフの目的はなんだったのだ? アリアナとの対峙はイレギュラーであるようなことを口にしていたが。リッチである自分に会いに来たのか。それともまさか神子候補のセラを暗殺しようとでもいうのか。
腹の底から強い憤りが湧いてくる。
そんなルドルフの気持ちをさらに悲観的な方に傾ける出来事が起きたのは、それから三十分も経たない頃のことだった。同じトロール・ウォリアーが、同じ数で、同じようにやって来たのだ。
第二波であった。




