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リッチは少女を弟子にした  作者: 川村五円
第八章 北のトロール兵団

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第二百九十七話 沼地の怪物

 古道に戻った一行は、改めてキランカに向け、進み始めていた。見渡すばかりの雪原の上には青空が顔を見せ、空気はまだひんやりとしているが心地良い早春の日和である。


「そういやキランカってところに何しに行くんだっけ?」


「今さらそれか」


 そんな穏やかな気候の中、歩きながらのラエルの問いにルドルフが呆れた声をあげた。本当にお気楽な奴である。


「当地のレジスタンスにどんな問題が起きているかを確かめに行くのだ。そしてその問題を解決して今後の反乱の支障を取り除く」


「ふーん」


 説明の甲斐があったのだかなかったのだか、わからないような返事。不意に聞いてはみたが、実際は大して気になることでもなかったのだろう。難しいことは他人に任せるというのが昔から変わらぬラエルのスタイルである。


 もっともただのほほんと付いてきているようで、今のラエルはきちんと仕事をしてもいる。何か異常があれば知らせるようにと、風の精霊に辺りを見張ってもらっていた。面倒なことは精霊に任せるというのもまた昔から変わらぬラエルのスタイルである。


 セラと並んでその前を行くバルドも道中ずっと周囲に目を配り、警戒を怠らない。


 いずれもオウルから聞いた魔物のことを気にかけているのだ。


 それがどのような魔物なのか、詳しくは誰にもわからないという。数百年の昔から沼地の怪物の話は有名で、この道を使う者にはまれに行方不明者が出た。そして近年では誰もキランカに抜けられなくなっていた。つまりまれだった行方不明が確実なものになったということだ。


 討伐に向かったトロール兵団の精鋭部隊も半分ほどの数になってボロボロの姿で戻ってきたという。それ以来、トロールたちもこの道には近づこうとしない。


 百年以上前に実際に襲われた者の話では、いきなり背後から何かが覆いかぶさってきて、こちらを捕まえようとして来たそうだ。その者はつかまれた外套が運良く外れて逃れることができ、あとはとにかく脇目も振らずに一目散に走った。その正体ははっきりとはわからないが、見上げるほどの大きさのうごめく何かだったそうだ。


 それにしても、その半壊したトロールの精鋭部隊とやらがバルクードを襲ったあの最精鋭の部隊なら、奴らでも退治できないほどの魔物ということになる。ちょっと戦いたくない相手である。


 しかし一方でルドルフはそれほど重く考えてもいなかった。


 まぁ、倒す必要はないのだ。


 ゆえに、ゼレクとストーラウがそのような物騒な魔物のいる道を通ると決めたのにも反対しなかった。早い道だというならただ通り抜ければいい。


 というわけで、ルドルフはいくつか逃げてやりすごす手段を考え、みなと話し合っている。百年前の証言を残した者はごく普通の商人だったという。ただの商人が逃げ切れるくらいなら足はそこまで早くないに違いない。ならば足止めしている間になんとかキランカ側まで回り込んで、脱兎のごとく走ればいい。それだけの話である。


 そんな旅の行程が終盤に差し掛かったある日。昼食を終えて歩き始めてすぐ、不意にバルドが振り返って叫んだ。


「後ろです! 師匠の後ろに!」


 殿を務めるルドルフが振り返ると、目の前に何かぬらぬらとした壁があった。その何かを通して向こう側の景色がうっすらと透けて見えている。ルドルフもとっさに叫んだ。


「走れ! 逃げるんだ!」


 その声で全員が走り出す中、一人留まるルドルフはその魔物の姿をはっきりと見た。


「スライムか。なんとまあ馬鹿でかい」


 叫ぶと同時に隙間なく並べて展開したシールド、その薄っすら緑に輝く障壁の向こうにいるのは、ルドルフでも大きく見上げるサイズのスライムだった。


 スライムは不定形の粘液のような魔物で、その体で動物に覆いかぶさって絡みついたり窒息させたりして、動かなくなった獲物をゆっくり溶かして糧にすると言う存在である。体を形作る粘液は消化液でもあるというわけだ。そして餌を食べれば食べるほど大きく成長するのだが……


 これほどの大きさになったものを見るのはルドルフも初めてだった。


 ルドルフはその巨大スライムの動きをじっくり観察しながら、どこか呑気につぶやいた。


「相手がスライムなら、トロールの猛者がいくら集まってもそりゃあ倒せないはずだ」


 スライムはその体の性質ゆえ、物理的な攻撃をほとんど受け付けない。末端を剣で切り刻んだり、ハンマーで叩き潰して散らしたりはできるが、そんな風にバラバラにした破片もやがて再び集まり再生してしまう。実際的には魔術か大きな炎でしか倒せない相手だ。


 見ている間にも、巨大スライムはこちらへ進んで来ようとする。寄りかかる巨大な質量に、上級魔術によるシールドがたちまち軋み始めた。隙間なく七枚展開した魔術の盾もこのスライムをそう長くは食い止められそうにない。


「師匠ー!」


「すまん、今行く!」


 遠くからセラが大声でルドルフを呼んだ。巨大スライムを興味深く眺めていたルドルフは我に返り、念のため新たなシールドを八枚展開してから、こちらを見守るみなの方へと向かう。合流する頃にはスライムはすべてのシールドを砕いていたが、一行は慌てずにキランカへの道中を再開した。


「焼いとくか?」


「いや、あれだけ大きいと焼き尽くすのにどれだけ時間がかかるかもわからん。今は無視して先に進もう」


 アクィラの提案をルドルフは無用と受け流した。


 背後に出現してくれたおかげで、自然とやり過ごすことができたのは幸いというものだ。スライムの移動速度はそれほど早くない。こちらを捕まえる機を逃したスライムはいくら巨大とはいえ、もはや何の障害でもなかった。


 もう数日も歩けばキランカである。懸案だった正体不明の魔物を乗り越えた今、一行はわずかに心の荷を下ろしたような心持ちとなった。


 しかし、その夜半。


 ルドルフが小さな灯かりの下で書物を読んでいると、ベッドで眠っていたはずのバルドが側まで来てささやくように声をかけた。その手には鞘に収まった剣が握られている。


「外に何か、います」


 バルドの常識外れに鋭敏な聴覚が、徐々に近づいてくる物音をとらえたのだ。それは残雪の上で何か引きずるような音であるという。


 ルドルフとバルドが身構えながらテントの外に出ると、辺りは一面の闇であった。バルドが見ているのはこれまでやってきた方角、ニカマスへ続く道である。ルドルフが魔術の光球を浮かべると、すぐ目の前に闇の中にそびえたつ壁があり、光球の光を反射してテラテラと光っている。そしてその壁は徐々に近づきさらに迫って来る。


「あのスライムだ! いかん、バルド、みなを起こせ!」


 まさかこんなに遠くまで追って来るとは。思いもよらぬ展開である。


 バルドがバサッと音を立ててテントの中に飛び込んでいく横で、ルドルフは再び魔術のシールドを展開し、追ってきた巨大スライムを押しとどめようとする。


 しかしスライムはぬるりと形を崩すと、洪水の濁流を思わせる予想外の素早さでテントの周りを取り囲んだ。今やテントを中心として円を成して壁が建っているといった有様だ。夜闇を透かした漆黒の壁である。


 ルドルフは慌ててシェルの魔術を使い、テントを包み込むようにドーム状の障壁を展開した。だがこのスライムが上から崩れてきた場合、その質量を支えられるかどうかは怪しい。その魔術は効果があるかもわからない苦し紛れの一手だった。この狭い空間での戦闘はテントを巻き込みかねない。攻撃魔術で突破口を開くにしても全員が外に出てきてからだ。


 いち早くテントの中から飛び出してきたのはアクィラとラエル、それにバルドに手を引かれたセラだった。セラたちはそのただならぬ光景に絶句した。


 だが不思議なことにスライムはその状態のまま動かなくなり、時折その壁をぶるぶると震わせるばかりだ。その震えとともに「うしゅるるるー」と言うくぐもった鳴き声のような音を小さく発している。


 その音を聞いたセラとルドルフは、とたんにこのスライムに動物のような、いや虫のようなものかもしれないが、とにかく意思があることを理解した。その鳴き声が親愛を表すものだと伝わってきたからだ。


「この子、私たちを食べるつもりはないみたいです」


 セラが言った。同時にルドルフは赤竜の炎を使おうと力を溜めていたアクィラの腕を下げさせ、シールドもシェルも解除する。


「道を開けて?」


 セラがそう言うと、周りを取り囲むスライムの壁の一角が崩れ、キランカへの道が開けた。


「ありがとう」


 セラがそう言って残っている壁を優しくなでると、スライムは「うるるうるー」とご機嫌そうな音を立ててセラの前に集まってぼた山のような姿になった。改めて見ると、竜でもひと飲みにできそうなサイズをしている。


「これはいったい……」


 一番遅れて出てきたゼレクは目の前で起こっていることがまったく理解できずに、呻くような声を上げた。ほかの面々はセラが魔王の力でスライムを従えたのだとすぐに直感した。ストーラウもセラの出自は聞いている。


 そのゼレクに対して、ルドルフは「セラが神子として持つ膨大な魔力がスライムを魅了したようだ。魔術でも生み出せる単純な魔物だからな」と、それっぽい虚偽の理由をでっち上げた。ストーラウも「ごほん」とひとつ咳払いをした後「さすがリッチキングを倒した神子だ」などとそれに便乗した。


「なるほど、それはすごい……この巨大さはトロールとの戦いでも大きな戦力となりそうですな」


 ゼレクが感心するのを尻目に、ラエルはスライムの体を指でつついて遊び始めていた。


「すごいぽよぽよだ。なんだか気持ちいいぞこれ。バルドも触ってみ」


 それでバルドやセラ、それにアクィラまでもがスライムの体でぽよぽよやり始め「本当だ」「すごい」「触ってもぬるぬるしてないんだな。薄い幕があるかんじか?」などと口にしている。


 こうして巨大スライムが一行の道連れに加わった。

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