第二十六話 第八層の幽霊
このようにして一行はおおむね一週間で第五層から第七層の探索を終え、第八層まで到達した。第八層になるとやってくる冒険者たちの数はかなり少なくなり、その活動範囲も当然のごとく狭まる。全体の地図はあるがかなり古いもので、上の層の地図のように新鮮な情報が載っているわけではない。ここからはルドルフたちも手探りでの探索となる。
「さて第八層でひと区切りだな。俺としてはまず転移門を設置したいな。すぐそこでいいか?」
転移門の設置には二日ほどかかるので、ルドルフがその作業をしている間にアリアナが第八層を探索すれば効率がいい。第八層に下りたばかりの階段がある部屋は魔物が湧かないので、設置場所としても都合がよかった。
「うーん、第九層の手前まで進んだこのあたりがいいかしらね。なるべく下の階層まで早く行けるようにしたいし」
アリアナが地図を見ながら返答した。
「なるほど。ではまっすぐ第九層の方まで向かうか。セラ、行くぞ」
「はいっ」
話が決まって三人は第八層を進み始めた。地図で見ると円形に近い外周部分に沿って反時計回りに進んでいく。アリアナが同行しているため、ルドルフも今日は面をかぶらない。第七層までのように他の冒険者とすれ違うこともなく、時折出会う魔物をセラの魔術の餌食にしながら進んだ。
「誰かいるな」
夕方近くまで歩いて、ほとんど第九層への階段の近くまで来たところで、不意にルドルフが立ち止まった。セラとアリアナは怪訝な顔をする。誰かいると言われても辺りに人の気配はない。
「誰かって、どこですか?」
「見えないか。あそこだ」
ルドルフが指さした方向に、揺らいでいるもやのようなものが見えた。セラとアリアナにとっては言われなければ気づかず素通りするような曖昧なもやだが、ルドルフにははっきりと人の姿に見える。槍を持ち軽装の鎧を着た若い女性だ。まず間違いなく冒険者だろう。女性にしては長身でたくましい体をしている。
「あれはゴースト?」
アリアナがそう言うと、セラが「ぴっ」と何か小動物のような鳴き声を出してアリアナにしがみついた。同じアンデッドでもリッチは大丈夫だがゴーストはダメらしい。
ゴーストは強い未練を残して死んだ者の魂が実体をなくしてこの世に残ったもので、ありふれたアンデッドの一種だ。存在として強力なものであれば誰の目にもはっきりと見えたりもするが、ほとんどの場合はその死者と強い縁のある者や、霊を見る素養のある者にしか見ることはできない。
ルドルフはリッチになるために習得した死属性の魔術、俗に死霊魔術と呼ばれる魔術によってゴーストのような実体を持たないアンデッドを知覚し会話することができた。そしてリッチになってからは魔術を使う必要すらなく、ただそこにいるものとして見たり触れたりすることができる。
「そうだな。まだ割と姿を保っているようなので、話せば何か情報収集できるかもしれん」
ゴーストは程度の差はあるが生前の人格を残していて、必ずしも人を害するものではない。時間が経つにつれ存在があいまいになっていったり、狂ってしまったりすることもあるが、そうなっていなければ人間と同様に意思疎通することが可能である。
ルドルフが自分を見ているのに気がついたゴーストは向こうからふわりと近くに寄ってきた。近づいててきたもやにびっくりしてセラがアリアナの後ろに隠れる。
「し、師匠!」
「はっはっは。害意はないようだぞ。ん、名前?」
ゴーストがルドルフに名を名乗ったが、セラとアリアナには会話の内容がまったくわからず、ルドルフが聞いたことのない異種族の言葉で独り言を言っているようにしか聞こえない。
「『刹那の色彩』のベルタだそうだ。知ってるか?」
「刹那の色彩? 間違いなくそう言ったの?」
今までどこか要領を得ない顔をしていたアリアナが急に我が事の顔になった。なんでもそれは二十年前にこのダンジョンで消息を絶ったパーティの名前らしい。
「詳しい経緯を聞ける?」
「バジリスクと出会って仲間は石にされ、彼女は戦いの中で致命傷を受けて命を落としたそうだ。できれば石化したままの仲間を助けて欲しいと言っている」
「バジリスク……なるほどね」
バジリスクはその邪眼で視線を合わせた者を石にしてしまう巨大なトカゲの魔物である。
石化させられた者はその場で石像となり永久に動けなくなる。その石像が壊れさえしなければ、中級以上の神官の法術によって元に戻ることができるため、石化イコール死ではない。
が、石像がコナゴナになってしまえば復活は困難であるし、一部が欠けただけでも石化が解けた時に重傷を負った状態になってしまう。バジリスクの恐ろしさは主にそんな石化の恐ろしさである。
バジリスクはその視線にさえ気を付ければ中級の冒険者でも倒せる相手ではあるが、対策なしに戦えば上級の冒険者のパーティをも全滅させかねない。なかなかやっかいな魔物であった。
アリアナは彼女ら刹那の色彩を是非にも助けたいということで、ベルタと名乗ったゴーストの頼みを承諾した。いずれにしろバジリスクはアリアナの任務による排除対象にもなりそうだし倒しておきたい。ダンジョンの魔物なので倒してもまた湧くかもしれないが、出現場所だけでも特定できれば危険を避ける役には立つだろう。
ルドルフたちはベルタが案内するままに進んだ。
『それにしてもあんたらみたいな手練れが通りかかるなんて、しかもまさかしっかり話が通じるなんて、あたしの運も最後の最後でまだ捨てたもんじゃなかったようだね』
先ほどまでは仲間を助けようと必死だったベルタの口調にだいぶ余裕が生まれている。
『あっちのエルフはまた別格ってかんじだが、あんたもなかなかやるだろう。所作を見ていればわかるよ』
骨ばかりの体からもそういうものは見て取れるものかと、ルドルフは少し感心した。かつて過酷な環境で色々と鍛えられたので、確かに武器を持っての戦いになっても中堅くらいの戦士よりは動ける自信がある。それがわかる彼女もまたただものではないのだろう。先ほど彼女らのパーティ名を聞いた際のアリアナの態度もそれを示唆している。
『俺のことが恐ろしくはないのか?』
初対面のベルタの気安さが新鮮で、ルドルフは思わず尋ねた。リッチになってからというもの、見知らぬ他人にこれほど急速に距離を詰められたことはない。
『そりゃ、今はあたしもあんたのお仲間みたいなもんだからね。それにあの女の子もあんたにずいぶん懐いているようじゃないか。子供に優しい人間に悪い奴はいないさ』
楽しそうに言うその姿は裏表のない姉御肌といったかんじだ。そのきっぷの良さはとても同じアンデッドとは思えない。ルドルフはなんだか褒められたこともあり、すぐにベルタを気に入っていた。
セラは前を行くルドルフが笑いながら得体のしれないもやと会話しているのを怖々と見守っている。
ベルタのゴーストが現れた場所からしばらく歩く。メインのルートから少しだけ道を外れたわかりにくいところにその場所はあった。
その部屋は第四層でルドルフがいた部屋に少し似ている。ほかの部屋に比べてひときわ広く、強い魔力が近くを流れる気配がする。この感覚にルドルフはよく覚えがあった。すぐそばに地脈があるのだ。
アリアナのそばに浮かぶ灯篭の明かりでは部屋の奥まで照らせないので、ルドルフが光属性のライトの魔術を使う。まばゆい光球が部屋の中央に現れ、十数もの石像が林立する光景が目の前に広がった。だがバジリスクの姿はない。
『気を付けて。あいつは壁に貼り付ける。どこから襲ってくるかわからないよ』
ベルタがそっとルドルフに耳打ちした。