第二百四十九話 動乱の大陸
いったんザマルへ顔を出したルドルフは、戻れなくなったバルドをひとまずヴァルターに預けて、セラとともに転移魔術でドミラフ第十四層のホームへと戻って来た。とりあえずはヌイとペレディルスに仕事の完了を報告しておきたい。
およそ二ヶ月ぶりに戻って来た我が家。しばらく留守にするとは各所に伝えてあったので、その間に誰も訪れた気配はない。ここで暮らしていたメアも竜たちの住む遺跡を経由して大樹海の自分の故郷へ戻っている。
その静かな空間のランプの明かりの中に、一人座してルドルフたちの帰りを待つ者があった。アリアナである。
「おかえりなさい。ずいぶんと遅かったわね」
食堂のテーブルの上に何枚かの書類を広げて、彼女はルドルフを待ち受けていた。やや皮肉な笑みを浮かべている。これは覚悟していた正念場だ。ルドルフは黙ってアリアナの対面に座った。その隣に神妙な顔をしたセラも座る。
「ただいま」
「ただいま帰りました」
二人はしっかりと座った後でようやく帰宅の挨拶を返した。
「ふふ、なにかやらかしたってことは自覚しているようね」
アリアナは相変わらずの笑みを顔に貼り付けて言った。
「聞きたいことはたくさんあるのだけれど……まずは最初にこれを聞かせてちょうだい。あなたの中で『こっそり』って言葉はどういう定義なのかしら?」
ルドルフへの問いだ。
「ひそかに人知れず、隠れて、と言う意味であります」
ルドルフはビシッと背筋を伸ばして返答した。
「今回の件は『こっそり』だったかしら?」
「と、言いますと」
「少なくともひそかに人知れず、ではないわね。数万の魔物たちが集結する様子が神殿の斥候から報告されている」
ルドルフにニコリと向けるその笑顔が怖い。
「おかげでここウルムトには五万の軍勢が集められることになっている。先遣隊の兵力じゃとても足りないと思ったわけね。斥候たちはその軍の進発に備えて、忽然と消え去った魔物たちの痕跡を血眼で探している。どれくらい大事になっているかわかったかしら?」
「ハイ」
ルドルフは素直にそう返事するしかなかった。セラはその横で小さくなっている。
「ま、幸いあなたたちの仕業とは知られていない。そこだけはかろうじて『こっそり』だったと評価できるかしら」
そこでアリアナは笑みを消し、冷たい表情となった。
「さて、聞かせてもらいましょうか。西方で魔物たちを集めていったい何してたの? しかもこんなに時間をかけて」
「……」
どこから話したものかとルドルフは返答に窮する。
「えっと、それは……」
「待ってセラちゃん。私はまずコイツの口から聞きたいの」
セラがたまらず出した助け舟を押し戻してじっと見つめるアリアナに、ルドルフは拙く答えた。
「情に流されて獣人たちといっしょに逃がしました」
「集めた魔物を全部?」
「ハイ」
「……どれくらい集めたの?」
「全部です。西部の半島の魔物全部」
「はぁ?」
アリアナは耳を疑った。幾度も聞き返してそれが聞き間違いでないことを確かめる。
「移住先はワレドナ村よね? よくあんな辺鄙な山中の村にそんな場所があったわね。それとも数万と言うのがまさか誤報だったのかしら」
「魔物たちは老若男女すべて合わせて二十万くらいいて」
ルドルフはそこでいったん言葉を切って、アリアナの反応を見た。アリアナはただじっと目をこちらに向けて聞いている。その沈黙の目線に強い圧を感じつつもルドルフは続けた。
「最初に言ってた村の土地ではとても無理だったので、北の方にいたトロールを追い出してそこに移住させました」
「うん?」
アリアナは再び耳を疑った。
「もう一度言ってくれる? トロールをどうしたの?」
「北方のザマルの港を占拠していたトロールを追い出して、その周辺に二十万の魔物たちを移住させました。今はノルダの関までのすべてが彼らの土地です」
「ノルダの関? まさかノルダの関も取ったの?」
「ハイ」
それからしばらくアリアナは無の表情のまま額に軽く手を当てていたが、いくばくかの時間が経ってからようやく真剣な口ぶりで聞いた。
「なるほど、魔物たちはすべてザマルの周辺に移住したと。なんとか理解したわ。少しその辺りの状況を聞かせて」
それは先ほどまで詰問していたのとはまた違った表情である。
ルドルフは空気が変わったのを感じつつも、相変わらず間違いがあってはならないと丁寧に説明した。ヴァルターらとともにトロールからザマルを奪い、奴隷にされていた人間たちも迎え入れて、安定した生活を築きつつあると。
ルドルフも知らぬ間に彼らは魔王ガディを王として国を建てていた。
国の名はガディレルム。
アリアナはもともといたトロールたちの数や船の数、生き残りの人間たちの数、ノルダの関の状況など、様々なことを質問しては、答えを噛みしめるように聞く。まるで坦々とした尋問のようだ。
ルドルフはすべての質問に正直に答えたが、ザマルの魔物たちの戦力について聞かれた時だけは言葉を濁した。
「それは……悪いが答えられない。俺は討伐させるためにあれらをあそこに送ったのではない。いずれ結果としてそうなるならば仕方ないが、それに加担することはできない。もともとペレディルスの頼みでもあるしな」
もとはといえばヌイの頼みだが、ルドルフが重視したのはペレディルスの口添えだ。その顔を潰すようなことはできない。
アリアナは片方の眉を上げてルドルフにじっと視線を送ったが、その骸骨の目の奥に動じる様子がないのを認めると、肩をすくめて言った。
「わかったわ。まあ、これだけ聞けば十分かしらね。しかしとんでもないことをしでかしたものね」
アリアナは呆れのため息をついた。
「ごめんなさい!」
突然セラが大声で謝った。あまりの声の大きさにアリアナはびっくりする。
「どうしたのいきなり」
「考えなしに魔王の力を使いすぎました」
初めて師匠に頼られたのがうれしくてつい張り切ってしまったのだ。しかも世間には言えないような良くない力を使っているというのに、自分は魔物たちとの交流を楽しんですらいた、と謝罪する。
「いいのよ。別に。私はあるものは使っていく派だし。長老も割とそう。でもそう思わない者もいるから、大っぴらに使うのは避けてね」
アリアナは軽く釘を刺しながらも微笑を浮かべながら言った。
「それにあそこはいま混沌としてるから、私たちとしても助かったところもあるし。ほかの頭の固いエルフも一概に文句は言えないはず。そこ、なあんだ、みたいな顔をしないで」
アリアナはすっかり緊張感をなくしたルドルフをたしなめてから、セラとの話を続けた。
「中央大陸がどういう場所か知っている?」
セラが首を横に振ると、アリアナは中央大陸のあらましと現状について簡単に説明してくれた。
中央大陸。
ここ南方大陸から海を隔てたその地は古くから人間の土地で、長いこと昔からひとつの帝国によって統治されていた。魔物もほとんどおらず、わずかにいるそれらも、険しい山奥や深い森の奥にひっそりと暮らすのみ。
六十年前の極北の魔王の侵攻によって一度は魔物の跋扈する土地に変わったものの、その魔王が倒されるや、すぐにまた人間たちの支配するところとなった。
しかし、それはすっかり元の通りに戻ったという話でもなかった。魔物から土地を取り戻す過程で活躍した三つの勢力が、そのまま三つの国に分かれ、今や仇敵同然の間柄となり、人間同士での小競り合いが絶えない。魔物たちが海を渡って攻めてきた今でもそのいがみ合いは続いている。
三国はそれぞれ北アストル王国、西アストル公国、東アストル将国と言う名を掲げ、俗に王国、公国、将国とも通称される。
「王国と公国はちょうど歩み寄りの最中だったのよ。そこに外敵が来たらすぐに結束するかと思いきや、今度は対抗の主導権を巡ってまた険悪になってしまって。さすがに仲を取り持ってた堅物のエルフがかわいそうになっちゃったわ」
一部ではむしろ前以上にいがみ合う仲になってしまったようだ。
ひとしきり語った後、アリアナは言った。
「ひとつ依頼があるのだけれど。あなたたち、しばらくザマルで北から来るトロールたちを食い止めてくれないかしら」
「馬鹿を言え」
その突拍子もない要求をルドルフは反射的に拒絶していた。そしてアリアナが無茶をねじ込んで来るのに耐えようと身構えたが、彼女はまっすぐに静かな目でルドルフとセラを見つめるばかりだ。
「報酬は言い値でかまわないわ。今は用意できないものでもエルフの総力を挙げてかなえましょう」
しばらくして発せられたそれは、いつもの口八丁とは違う直截な言葉だった。常にあれこれと言を弄して人を好きに振り回す彼女ではあるが、このような空手形を切ることは通常ではない。
ゆえにルドルフは察する。
「……そこまで、まずい状況なのか」
「ええ、とても。私の目算では、もう中央大陸は駄目だと思っていた。諦めてここ南方大陸の守りを固めようとしていたところだったのよ。人間の最後の砦としてね」
ルドルフも大事ではあろうと考えていたが、アリアナがそこまで言うほどの事態であるとは思っていなかった。
大陸の北半分を支配する三国最大の国家であった北アストル王国は、すでにその領土の五割を魔物に奪われてしまっている。
南側の西半分を領する西アストル公国も海岸沿いの土地を大きく失い、苦戦中だ。
南側の東半分を領する東アストル将国は今のところ無傷だが、北アストル王国の救援要請には応じず、西アストル公国が魔物を防いでいる隙にその領土を奪い取るような節操のなさを見せている。王国と公国が潰れた後は彼らの番だというのに。
単純に人間対魔物の図式で見た場合、今の中央大陸の情勢は人間にとってかなり悪い。
「王国は攻め入ってきたトロールたちの動きが急に鈍ったことで首の皮一枚つながった。そこにまさかあなたたちが関わっているとは思ってもみなかったけど」
「どうしていきなりそんなひどい羽目に陥っているんだ」
「大きなものは完全に不意を突かれてしまったせい。西の魔王とやらの動きを、エルフはまったく把握できていなかった」
リッチキング亡き後、ダークエルフが何か一手指してくることは予期していた。だがここまで急激なものが来るとはまったく想定の外のことだった。
というのも、それぞれ多種多様な魔物たちから成る西方大陸の二十一の氏族、それらがごく最近まで群雄割拠して争い続けていたからだ。しかし今ではそれは周到な偽りだったと判明している。実は知らぬ間に魔王に統べられていた魔物たちは、一夜にして嘘のように結束し、電光石火に海を渡って侵攻を開始した。
西の魔王の存在すらつかめていなかったエルフは見事に後手に回り、完全に裏をかかれた。
呼応するように時期を合わせて北から攻めてきたトロール兵団も、おそらく彼らと無関係ではない。
「何者なのだ、その西の魔王とは」
「わからない。今のところはその通り名を持つ未知の何者としか」
それから一拍を置いてアリアナが言った。
「ただ正体はわからなくても恐ろしい最悪の魔王であることは確かよ。ある意味、極北の魔王よりもひどい。なにせ奪ったすべての土地ですべての人間たちを――皆殺しにしている。抵抗する男ばかりでなく、無抵抗の女子供も容赦なく。奴隷としてすら生かすつもりはないようね」
その内容と声色にルドルフもセラも絶句した。
突如として告げられた危急存亡の秋。
しかもそれを引き起こした者の正体は未だ不明であるという。
「で、どうかしら。ザマルの件は。まだ質問があるならいくらでも答えるわ。申し訳ないけれど、これは是非にも受けてもらいたい話よ。報酬は大陸ひとつの命運と釣り合うものならば如何様にも」
アリアナは先ほどから変わらずニコリともしない表情のまま言った。それは先日、セラをもうおかしなことに巻き込みたくない、と言ったのとはまったく違った顔だ。
ルドルフはセラの顔を見る。セラもまたルドルフの顔を見上げていた。




