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リッチは少女を弟子にした  作者: 川村五円
プロローグ
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第二話 リッチの研究成果

 ややあってルドルフとデダルスは来客用の丸テーブルを挟んでソファに座っていた。


 二人の頭の上には魔術の光球が浮かび、この部屋の広大な空間から闇をすっかり追い払っていた。光球が照らす天井は高く、閉じられた空間の割に圧迫感はない。予備知識なしにこの部屋に入るものがいれば、どこかの王城の大広間とでも思ったことだろう。


 ルドルフがテーブルの上の虚空に手をかざして短い呪文を唱えると、お茶のポットとふたつのカップ、それにしっとりとした茶色の焼き菓子をいくつか乗せた皿がテーブルの上に現れた。


 デダルスは軽く目を見開いて尋ねた。


「ねえ、さっきテーブルとソファを出したのもそうだけど、これって前に言ってた次元収納の魔術? だよね? 完成したんだ」


「ああ、リッチになって割とすぐにな。すごく便利だぞ」


 次元収納の魔術は、この世界にはないどこかの空間に物を収納したり取り出したりできる魔術だ。収納先の空間の数や広さに制限はなく、今やルドルフは持っている財産のすべてを次元収納にしまっている。この部屋の中に物が少なく、やけに殺風景なのもそのためである。


「えー、なになに、すごいじゃん。教えて教えて」


「アホか。そう簡単に教えるわけないだろ……交換できる材料を持ってきなさい」


「えー、ケチー。じゃあ若返りの魔術いらない? ついでに人間に戻れるかもよ」


「リッチでも使えるのそれ。そもそも存在消滅の危険性がある魔術はちょっと」


 そう話している間に、ルドルフはポットを傾けてふたつのカップに琥珀色のお茶を注いだ。カップから湯気が立ち上る。茶葉もお湯も不要でいくらでもお茶の沸く魔道具のポットだ。


「このポットから出るお茶は相変わらずおいしいね」


 お茶を口にしたデダルスはにっこりと笑った。その笑顔はまるきり無邪気な子供のようだ。中身が老人とはとても思えない。


「そっちの菓子も食ってみろ。むかし食べた時、おいしかったぞ」


 デダルスはすすめられた焼き菓子をつまんで目の前にかざした。


「いつの菓子なの? これは」


「アリアナからもらったエルフの菓子だ。俺がリッチになる何年か前にもらったやつだが、三十年は持つって話だったから大丈夫だと思うぞ。それに次元収納に入れた物は腐らない」


「そもそもいつから三十年なんだろう」


 デダルスは菓子をしばし薄目で見てそのまま皿の上に戻し、お茶を口にした。


 その様子を見るルドルフの前にもお茶を満たしたカップがあった。骨の体は飲み食いすることを必要としていないし、そもそもできない。だがお茶の香りを楽しむことはできる。不思議なことに骨の体となっても味覚以外の五感はそれなりにあるのだ。


 味覚だけがない。しかしデダルスがうまそうにお茶を飲むのを見て、ルドルフにもふとかつての失われた感覚を懐かしむ気持ちがわいてきた。


 そういえば味覚を試したことがあったかな? リッチになってから口からものを入れたことはない。もしかして味覚、あるかもしれない。


「ちょっと俺も飲んでみようかな」


 ルドルフは不意にそう口にして、お茶を勢いよく口から注いだ。お茶は当然のごとく顎骨のすぐ後ろの隙間からそのまま床にパシャっとこぼれた。しばしの沈黙。ややあってデダルスの頬が爆発し、弾けるように笑い始めた。


「だめだな」


 ルドルフが一言ぽつりと言ってデダルスの方を向くと、デダルスはまた大きく噴き出して床をのたうち回り、やがて苦し気に咳をして突っ伏した。それからまともに呼吸ができるようになるまでには相当の時間がかかった。


「ヒィーッ、ヒィーッ、こ、殺す気……。だいたいなんで一気に飲み干す勢いなんだよ」


 なんとか立ち直ったデダルスは涙を拭きながら息も絶え絶えにつぶやいた。


 呆気に取られていた体のルドルフが口をパカッと開いて何か言う気配を見せる。


「やめて!」


 デダルスは真っ赤になった顔を背けつつ手を挙げて静止した。完全に落ち着くにはそれからまたかなりの時間を要した。


 やがてデダルスが回復すると、ルドルフはさっきから少し気になっていたことを尋ねた。


「ところで……さっきから時々お前と話している気がしないというか、中身が以前のお前とは思えないほど子供に見えるんだが、それは趣味なのか? それとも訳あって本当の子供のフリをしてるとか?」


「いや、それがね。なんていうか、別に演技してるとかそういうのじゃないんだよ。精神が体に引っ張られているって言うのかなぁ。いや、本当に年相応の子供みたいでしょ? 自然とこんなしゃべり方になっちゃうんだ。たぶん僕っていま割と利発でかわいいかんじの天才児に見えるよね」


「そのポジティブな自己分析を臆面もなく口にするところなど、たしかにお前だな」


 デダルスの話によると、記憶は若返る前から連続しているが、それ以外はまったくどこにでもいる五歳児同然になってしまったのだという。体力およびに魔力も五歳児並みとなり、持ち越したのは知識のみという状態だった。


 そうなると当然魔力不足により頭の中にある膨大な数の魔術もほとんどが使えない状態である。しかし魔力は筋肉と同じで使えば使うほど成長する。もちろんそのことを知るデダルスは使えるだけの魔術を毎日使い続け、五年目にして転移魔術を使えるまでになったとのことだった。


 子供のデダルスが転移魔術を使えるのは、てっきり若返る前の元の魔力を有しているためだとルドルフは思っていた。普通の子供の魔力で転移魔術など使えるわけがないからだ。しかしその考えは間違っていて、実際はまっさらな十歳の魔力によるものらしい。


「そりゃあ、大したものじゃないか」


 十歳の子供が転移魔術を使えればそれは天才どころか神童と言っていい。もし知られていれば世間は大騒ぎだろう。しかし少年デダルスが存在していることは誰にも知られていない。


 表向きには、老魔術師デダルスは晩年に東の海の海竜との戦いで相打ちになって死んだことになっていた。若返った魔術師などいないのだ。


 それはそうだろう。若返りの術に成功したなどと世間に広まれば、その恩恵を我にもと求める輩が押し寄せてくる。特に王族や貴族と言った面倒な連中が。そうなればせっかく危険を冒して若返った理由を果たせなくなる。俗事にとらわれて魔術の道を究めようとする時間などなくなってしまう。


 そんな羽目にならないようにデダルスは今ひっそりと暮らしていた。隠れ家として使っていた山奥の館で、身の回りの世話をするホムンクルス、魔術で作られた人造人間のメイドだけが子供になったデダルスを唯一知る者だった。


「人生二周目といったところか。うらやましい」


 ルドルフの口から素直な感想が出た。


「いや別にのんびり二周目をする気なんてないよ。もう魔力もだいぶ戻ったのでそろそろ研究を再開したいと思ってさ。ここに来たのもその一歩というか、信頼できる知り合いと旧交を温めておきたくてね」


「ほう、ほかに誰かに会ったか?」


「ルドルフ、君のところが始めてさ」


 いたずらっぽく笑いながらデダルスが言う。


「そいつはうれしいね」


 ルドルフの目の光がちらちらと瞬いた。


「居場所がわかってる中で一番近かったのが君って、それだけだけどね」


 そう言うとデダルスはおかしくてたまらないという風に足をバタバタさせて大きく笑い始めた。子供の笑いのツボはよくわからない。いや、もとからこんなやつだったっけ? ルドルフはそんなことを思った。


「ほかに会おうと思ってるのはアリアナ、クルツ、エレクトラ、ガーモントくらいかな。それ以外を信頼してないわけじゃないけど、さすがに若返ったなんて話を受け止められるのはそのあたりだと思って」


 笑いが落ち着いてくると、デダルスは涙を拭きながらそう続けた。


 無難な人選だとルドルフも同意した。


「いいと思う。だが彼らに会っても俺のことは話さないでおいてくれ。リッチになるって話をしてたのはお前だけだしな」


 しかし自分のことに関しては黙っているよう釘を刺した。


「アリアナにも言ってなかったの?」


「まさか。秩序の徒たるエルフに言えるわけがないだろう。死霊魔術は禁術だぞ。俺の計画を知っていたのはお前だけだ」


「ふーん」


「絶対に誰にも黙ってろよ。特にガーモントなんかに知られてみろ。アンデッドと見れば滅ぼさずにはおかない大神官様だ。あいつ確実に俺を討ちに来るぞ」


「それはそうかも!」


 デダルスはまた足をバタバタさせて笑い始めた。この笑いはルドルフにもわかる。久々に合った友人と昔の知り合いの話をするのは誰だって楽しい。


 今度はデダルスが疑問に思っていたことを訊ねた。


「ところであの死んだふり、いつもしているの?」


「死んだふりって……いやまあ、いつもというかもうずっとだが。目的だった研究もあらかた終わって、やることがなくなってしまったのだ」


 それをきっかけに話題はルドルフの研究の話になる。


「リッチの体はすごいぞ。不眠不休で動けるし食べ物もいらない。これほど研究に適した体はない。飲み食いも排泄も必要としない体の良さをすべての魔術師は知るべきだな」


 鼻息荒くルドルフが言った。前々から誰かにその感動を伝えたいと思っていたのだ。


「じゃあずっとやってた転移門もできたの? すごいじゃん」


「ああ、できた」


 転移門とはその名の通り、人や物を離れた場所まで瞬時に転移させる魔術の門である。昔の遺跡などにまれに見られるが、古代に比べれば魔術の廃れた今の世では、それを作り出す技術は失われていた。


 ルドルフは空間に関する魔術を第一の研究分野としていて、転移門の研究はそれに属する。新たな転移門の作成は晩年のすべてをかけて取り組んでいた課題であった。


 転移門がなくても高位の魔術師ならば転移魔術――『アドバンスド・ディメンション・テレポート・セーフリィ』という発展の変遷を感じさせる名前があるが、魔術としてはほかに類を見ない長さなので通称の『転移魔術』で呼ばれる――で同じようなことができる。しかしそもそも転移魔術を使える魔術師はほんの一握りしかいない。その希少性から、使えるだけで国の宮廷魔術師になれるほどだ。


 対して転移門は魔術を使えない者でも誰でも転移させることができる。また転移魔術は自分しか運ぶことができないが、誰でも使える転移門はその問題も解決している。


「実はこの部屋にもあるぞ。ダンジョンの入り口近くまで行けるやつが」


「えー、使ってみたい! 使ってみたい!」


 デダルスがソファの上で座ったまま体を跳ねさせる。


 そこでルドルフは立ち上がると部屋の隅の一角までデダルスを案内した。床に淡く白い光を放つ高密度の魔法陣が描かれている。ルドルフに言われるままデダルスが魔法陣に乗ると、その姿が音もなくふっと消えた。


 ほどなくして、転移の光とともに再びデダルスがルドルフの横に現れた。


「すごいすごい! 戻るのが自力になるとは思わなかったけど、これはすごいよ!」


 戻ってきたデダルスはだいぶ興奮していた。転移門自体はいくつかの古代の遺跡やダンジョンなどで何回も使ったことがあるが、新しく作られたもの、しかも知り合いが作った転移門を使ったのは初の体験だと熱っぽくまくしたてる。


 だが感激するデダルスとは対照的にルドルフは冷静だった。


「だが作れる場所がかなり限られるんだよ。起動してない間もそれなりの魔力をずっと消費するし、それでいて魔力が切れれば消えてしまうし。ここのは地脈から直接魔力を拝借してるから置きっぱなしだけども」


 要するに維持するには膨大な魔力の供給が必要なため、置ける場所がだいぶ限られるのだ。


「そこはもっと工夫できるんじゃないの。昔からある転移門とかは色んな所にあるし、そんなに魔力を使ってる気配ないじゃない」


「なるほど……たしかにそれはそうか。言われてみればまだやりようはあるのか」


 ルドルフはあごに手をやり、宙を眺めて少し思案する。どうやら研究にはまだ改善の余地があるようだ。


 それからもしばらくは積もる話が尽きなかった。あっという間に時が流れて、三杯目のお茶を飲み終わったところで、デダルスはソファからぴょんと飛び降りてルドルフに別れを告げた。


「アンデッドになって様変わりってのも覚悟してたけど、中身はちゃんと変わってなくて安心したよ。また来るね」


「ああ、いつでも」


 ルドルフは目の中の緑色の光を踊らせながら答えた。


 手をひらひらとさせて、また明日、とでもいうような軽い別れの挨拶を終えると、少年魔術師は現れた時と同じように転移の光の煌めきを発して一瞬で消えた。


 ルドルフはお茶の道具を軽く洗って拭きあげると、結局手つかずだったエルフの焼き菓子とともに次元収納の魔術でしまい、同様に来客用のテーブルとソファも片付ける。それから自分の机の前の椅子に深く腰掛けた。


「ふむ。改善するとしたらどこをいじればいいのか……」


 思索を始めたルドルフはそのまま死んだように動かなくなったが、目の奥には淡い緑の光が灯り続けている。やがて魔術で生み出した光球が効果を失い自然に消滅すると、室内はもとの闇の中へと沈んだ。


あとには消えないランプの灯かりが骨の体を照らしてゆらゆらと影を落とす。骨はそれからずっと革張りの椅子に座ったまま、長いこと動かなかった。

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