第十七話 黒の思惑
薄暗い一室で二人の男がテーブルを挟んでひざを突き合わせている。
「今日はずいぶんとお疲れの様子ですね。神官長様」
こざっぱりとした身なりの男が目の前の相手に酒をすすめながら笑顔で言った。笑顔でありながら一癖も二癖もありそうな眼光をしている。話しかけられた神官長はその幅広い体躯のため二人掛けの椅子を一人で占領していた。
「まったくよ。この一週間は色々とありすぎたわい」
吐き捨てると同時に神官長は不機嫌そのものの顔となった。目の前に置かれた骨付き肉を手に取ってかぶりつき、くちゃくちゃと音を立てながら咀嚼する。
「まずはいつものものをお納めください。私どもがこうして順調に商いをしていられるのも、つとに神官長様のおかげですので」
男は懐から金貨の詰まった小さな袋を取り出して机の上に置くと、指先で静かに滑らせて神官長の前に差し出した。チャリッと小さな音がする。神官長は食べかすのついた歯を見せてニヤリと笑い、脂のついた手でその中身を確かめてから懐に収めた。
「ふふん、わかっているではないか。お主のような物わかりのいい者ばかりなら、わしも苦労はせんのだがな」
「それにしてもとんでもない騒ぎでしたね。私もただならぬ町の様子に不安でたまりませんでしたが……事態の只中にいた神官長様はなおのことお心を砕かれたでしょう。今日はどうぞ愚痴でも何でもお聞かせください。酒も料理もとっておきのものをたっぷりと用意してありますので」
男が水を向けると神官長は堰を切ったように語り始めた。その大部分は周囲への悪口雑言で、自分に恥をかかせたエルフはもちろん、ふがいない聖剣の神子、のらりくらりと言うことを聞かないギルド長、金の力で今の地位を得た自分を小馬鹿にしている(と神官長は被害妄想気味に思っている)神殿の者たち、いきなり前触れもなくダンジョンに現れたリッチなど、思いつくもののほぼすべてに憤懣が向けられた。それは時に脈絡が怪しくすらあったが、聞いている方の男はときおり相槌を打ったり強く同意しながら、実に興味深い話を聞いているといった姿勢を崩さない。
「しかし忌々しいエルフめ。いずれあの澄ました顔を歪ませてやるわ」
神官長は一般にははばかられるエルフに対する不満さえ隠さずに口にしている。
神託をもたらすエルフは神殿にとっても尊崇の対象とされていた。口汚く言うことは本来あり得ることではない。しかしいつからか神の権威を体現するものは神殿だけでよいと考える神官も増えていて、そうした者たちにとってエルフは今やむしろ煙たい存在だった。増えているとはいってもまだまれな方ではあるのだが、この神官長はめっぽうそのまれな類のようで、態度の端から苦々しく思う対抗心が透けて見えている。
その語るところは人によっては眉をひそめたり、たしなめたりしたくなる内容だったが、男の方もそれを楽しそうに聞いていた。そんな風にひとしきり不満を吐き出してしまうと神官長の気もだいぶ晴れたようで、酒で赤らんだ顔の表情もすっかりと緩み、下品な馬鹿笑いの頻度も多くなってきた。
男は神官長の機嫌を見計らって尋ねた。
「ところで……魔物を従える、そんな神子は書物でも言い伝えでも聞いたことありませんね。どんな娘でしたか?」
神官長は牢でその娘と顔を合わせた時のことを思い出して語った。
「こちらが何を言っても黙りこくって不景気な顔。汚くて可愛げのない娘じゃったわ。あんな小娘が神子だなどとは、やはりなにかおかしい。そのうち化けの皮を剥いでやるわい。エルフともどもな」
また少し不愉快そうな顔になり、最後はエルフへの恨み節となった。それからもうこのようなつまらない話はしたくないと言って、話題は金や女の話に移っていった。
大いに飲み食いしていい気分で酔っ払った神官長が帰っていくと、男は居住まいをただして軽くため息をついた。そして右手の人差し指に着けていた指輪を外す。するとその姿はパッと変わり、褐色の肌、それに特徴的な尖った耳をしたダークエルフとなっていた。
彼はドアに背を向けると、その場で立ったままつぶやいた。
「聖剣の神子がまさか名前すらわからぬリッチにやられるとは……聖剣は戻るとの話だが、そんなことで本当にリッチキングを倒せるのだろうか……」
エルフが善神に仕える者ならばダークエルフは悪神に仕える存在である。エルフと対を成し、相争う存在だ。従ってその利害は決定的に対立するものなのだが、ことリッチキングの件に関しては実はそうでもない。
きちんと倒してもらわないと彼らとしても困る。
「ただ逆に考えれば聖剣を退けたリッチ……興味深い。一度接触してみるべきだな。それを従える神子という話はだいぶ妙に思えるが……いずれにせよ本格的にエルフに取り込まれる前に手を打たなければ」
男はつぶやきながら考えをまとめようとしている。予定外のことが必ずしも凶とは限らない。リッチのことは吉と転ずる可能性もある。しかし一方で看過できない明らかな凶もあった。
「アリアナ……百戦錬磨の第四席が絡んできたのはついてない。何をするにもあれがどこかへ行くまでは大人しくしているほかあるまい。まあ、あれがひとつところへ長く留まることはないはず……そうのんびりしているわけにもいかないが、今は待ちだ」
その時、背後のドアがバタンと音を立てて急に開いた。ダークエルフは軽く驚いてそちらを振りむく。
「すまん、すまん、ちょっと忘れ物をしてしまったわい」
よろめきながら入ってきたのは泥酔して上機嫌の神官長だった。だが目の前にいる者を見た彼は血の気を失い沈黙する。そして驚愕の表情のまま凍りついた。
「やれやれ。そうだった。貴様はノックもしない粗雑な人物であった。私としたことが」
ダークエルフは目を見開いたまま動けない神官長にゆっくり近づくと、その横に体をすべり込ませた。開いているドアのノブをゆっくりと引き、パタンと静かに閉める。と同時に、いつの間にか手にしていたナイフが神官長の胸を深くえぐった。
「かはっ」
的確に急所を突いた一刺しが神官長を速やかに絶命させていた。大きな音がしないように静かにその体を支えつつ床に横たえる。
始末を終えたダークエルフが辺りを見回すと、たしかに神殿長の忘れ物、神官の証たる聖印がテーブルの上にあった。先ほど話している時に興に乗って取り出してそのままにしていたものだ。
「チッ。神官なら己の命と等しく大切なものだろうに。金は忘れず命の方を忘れるとはな」
思わず悪態をつく。だが同時に己のうかつさも反省していた。急ぎ考えを整理したいことが多すぎて注意がおろそかになってしまった。せめてドアに鍵をかけておけば神官長は無駄に命を失わずに済んだし、自分も便利な情報源、情報操作元を失わずに済んだのだ。
「今の聖剣の神子を更迭して次代の神子を待つ、なんて話もしていたし、ちょうどよかったと考えることにするか。どう止めるか頭をひねる手間が省けた。我々としてもどれだけかかるかわからない次代など悠長に待ってはいられん」
気を取り直したダークエルフは何ごともなかったかのようにまた思索にふけり始めた。今度は鍵をしっかりとかけている。
「件のリッチはどこから現れたのだろうか。ここしばらくでリッチになれそうな力のある魔術師などいたか? 魔術師ギルドの先代総会長、デダルスならあるいはといったところだが、あれは海竜と戦って死んだと聞く。が、それよりほかとなるとめぼしい者は……」
その翌日、神官長がお忍びの帰りに野盗に襲われ亡くなった、という話に神殿は再び騒然となった。しかし町では口さがないうわさ話の種になった程度で、特に大きな騒ぎにはならなかった。




