第百五十八話 大魔術の代償
折からの強風もいつの間にか弱まり、さっきまで窓の外から耳を脅かすように響いてきていた風切り音も聞こえない。ちょうど展望室まで駆け上ってきたバルドらもここで何が起こったのかを察し、セラたちと手を取り合って喜びを分かち合っている。
そんな中、アリアナは床に転がったままだったイーリスの首をようやく拾った。
「お疲れ様。イーリス」
驚きの表情で固まっていたイーリスを瞑目させる。
そのアリアナはやや浮かない顔をしている。喜びの輪から外れ、バルコニーから下界の様子をうかがうと、群れを成すアンデッドの兵士たちの先頭が今まさに王宮の庭園になだれ込むところだった。数は少なく見積もって千といったところか。生きて戻るにはあれらをどうにか突破する必要がある。
何とかリッチキングは倒したが、本当に喜ぶにはまだ早い。休息の意味も兼ねてあえて水を差すことはしないが、アリアナだけはみなが気を緩めている間も次のことを考え続けていた。
本来ならば首尾よくリッチキングを倒したあとの脱出にはイーリスの結界が大きな役割を果たすはずだった。しかし彼女がいなくなってしまったことでまだ困難な事態は続いている。ルドルフ曰く彼女の魂はすでに去り、ヨミガエリとして再び復活させることもできない。
「厳しいわね」
「厳しいなぁ」
アリアナがつぶやくと、いつの間にか背後に来ていたルドルフが相槌を打った。彼女は眼下にひしめくアンデッドたちを指さして言った。
「あなた、私たちが脱出するのにあれどうにかできない? リッチキングの持っていた魔力をすべて奪ったんでしょう?」
「魔力がべらぼうに増えても、使える魔術が変わったわけではないからな。俺だけならともかく、全員を守り切るのは難しいだろう。それに……」
「それに?」
「西に向かっていた数千のアンデッドも城の異常を察知して戻りつつある。かなり飛ばしてきているから、あと半日も経たずにここまで帰って来るだろうな」
ルドルフはリッチキングのしていたように死霊国の領地の中にいる者たちの、その位置と数くらいは把握できるようになっていた。そんな彼の冷徹な一言にアリアナは肩をすくめた。
「リッチキングを倒したらアンデッドたちも消えてくればよかったのに。やっぱりそうは都合よくいかないわよね」
アリアナはため息まじり願望を口にすると、難しそうな顔のまま目を閉じた。おそらくこれからどうするか物凄い勢いで頭を回転させている。その横でルドルフは何か逡巡するように黙っていたが、やがてぽつりと彼女に言った。
「……いや、都合よくいく手はある」
「えっ、本当に?」
顔をルドルフの方に向けたアリアナは「なら早く言いなさいよ」と言いかけたが、当たり前のことだろうと素っ気なく言う風でもなく、恩着せがましく得意げな風でもないルドルフの様子に黙った。単に都合のいい解決策を話す態度ではない。
それから二言三言交わす間にアリアナの顔は先ほど以上に難しいものになっていった。
「……本気なのね?」
「ああ、これが最良の選択だ。おそらく誰にとっても。もちろん俺にとっても」
アリアナとの会話がひと段落すると、ルドルフはまだ歓喜の渦中にいる者たちに対して呼びかけた。
「勝利の喜びに水を差してすまんが、まだ終わってないぞ。倒すべきアンデッドが残っている」
サイラスは涙を拭うと、まだ赤い目のままルドルフの方へと振り向いた。
「ああ! あとは下のアンデッドたちを蹴散らして、みなで生きてここから脱出だ。そろそろ行かなくてはならないな」
気を引き締め直して装備を整え始めたサイラスたちに向けてルドルフは言った。
「違う。そうじゃない」
サイラスが不思議な顔をする。サイラスだけではない。その場にいるすべてが何事かとルドルフの言動に注目した。
みなの視線を浴びながら、ルドルフは己の胸の上に右手を置いて言った。
「倒すべきアンデッドはここにいる」
おもむろに発せられたそのひと言はその場にいる者たちを唖然とさせた。そのしんとした空気にもかまわずルドルフは続ける。
「その聖剣を俺に突き立ててくれ。それでこの国はようやく人間のものに戻る」
当のサイラスも何を言われているのかわからず困惑するばかりである。
「いったい……何を言っているんですか?」
ルドルフの傍らにいるセラもまったく状況を飲み込めないでいる。だが師匠のただならぬ様子に不安の表情を見せていた。
そんな中、表情を殺したアリアナだけが静かにその言葉を受け止めていた。
「時間はないが順を追って話そうか。今か先かだけの話なのだ。遅かれ早かれ、俺はその聖剣を突き立てられることになる。なぜならば俺はリッチキングの後釜に座ってしまったのだから」
「そんな。師匠はリッチキングとは違います。ほかの人たちを困らせたりなんて……」
「まあ、聞け」
不安のあまり口を挟もうとするセラをルドルフは遮った。
「アリアナよ。今の状態でリッチキングを倒したことにはなるか?」
「ええ、もちろんイエスよ」
「神子の使命はこれにて完了というわけだ。ではエルフの目的はこれで達成されたか?」
「それはノー。我らの目的はこの土地をアンデッドから取り戻すこと。でもこの土地はまだアンデッドの支配から解放されていない」
「となると次に生まれてくる神子の使命は俺を討伐することとなるな?」
「……そうね。イエスだわ。ここでサイラスが拒んでも、次代の聖剣の使い手があなたを滅するでしょうね」
アリアナはルドルフの言葉を静かに肯定した。
「だからって今ここで! 時間があれば、師匠ならばその魔術を解くことだってできるでしょう?」
セラは納得できず大きな声を出した。
「かもしれん。だがいずれにしろその時間がない。王を殺されて歯止めの効かなくなったアンデッドの兵士たちが間もなくここにもなだれ込んでくる。疲弊したお前たちのうち何人があれを突破して生還できるかな? なんとか脱出できたとして、俺はこの都市から離れることができなくなってしまった。外に出たお前たちを仇と追うアンデッドの軍勢を止めることもできない」
「でもルドルフが今すぐ消滅すればそれらも消える。全員が助かるわ」
口を挟もうとする者たちに先んじて、アリアナが結論を口にした。ここで悠長に議論をしている時間はないのだ。
ルドルフは淀みなく続けた。
「そうだ。魔術の核である俺がいなくなればこの土地は死者の土地ではなくなる。その瞬間に、この土地で生まれたアンデッドたちはすべて消滅するだろう」
ルドルフも実際にあの儀式魔術を使ってわかったことだが、膨大な魔力をもってしても数十万の人々を一度に高位アンデッドと化すには無理があった。
ゆえにそのアンデッドとなった者たちは、この土地を依り代としてなんとか定着している状態なのだ。土地と深く接続するパートとアンデッドを作り出すパートが、術式の中で混然一体となっているのには、やはり意味があったのである。
そこで思わぬ方向から声が上がった。
「待って。それじゃあアクィラたちはどうなるの?」
それはラエルであった。セラと同じように不安と困惑に満ちた表情をしている。
「そうか、このままでは俺といっしょに消えてしまうな」
ルドルフはちょっとした忘れ物に今気がついたとでも言う風にあっさりと言った。後からこの土地で生まれたすべてのアンデッドも、自然とこの土地を依り代とする存在となっている。であれば結論はそうなる。
「そんな!……そんなのってないよ」
絶望的な顔をするラエルとは対照的に、当のアクィラとルカはさばさばした様子だ。
「はぁ~。そう来たかー。まあ、一度なくした命だし、アタシはかまわないけどね。エゼルの野郎にも一泡吹かせられたし。リッチキングを直接殴れなかったのは残念だが、イーリスにもあの世で自慢ができそうだ」
「僕もです。みなさんと戦えて光栄でした」
一方のラエルは目に涙を貯めて抗議の目をしている。
「ひどいよ。どうしてそんなに平気な顔をしているのさ。師匠もアクィラたちも……」
「まあ、まて少年よ。そちらは俺がどうにかしてやれる」
ルドルフはそう言うと杖も使わず呪文を唱え、アクィラとルカに手早くひとつ魔術をかけた。たったそれだけでアクィラとルカは土地から切り離されて独立したアンデッドとなった。
「これでもう大丈夫」とルドルフが言うと「よかった」と本人たちよりもラエルがめそめそと泣き出してしまった。アクィラとルカはルドルフに礼を言う前にラエルをなだめなくてはならなかった。
「同じように師匠もどうにかならないんですか?」
その様子を見ていたセラがすがるように言った。
「それとこれとは話が違うんでな。さすがに無理だ」
だがルドルフの返答はセラの期待する言葉ではなかった。
「どうあってもお別れだ、セラ。さっき魔術を使う前に代償があるといっただろう。それがつまりそういうことなのだ」
「そんな! そうなるって知ってたら私は……じゃあ、私のせいで師匠は……」
さっきから青い顔していたセラの顔からますます血の気が引いた。その目が見る見る潤んでいく。
「なんで……どうしてそんな大事なことを言ってくれなかったんですか……どうして」
「フフーン、聞かれなかったからな。言っただろう。対価を要求された時は条件をきちんと細かく確認しろと。特に人外の言葉を聞く時などはな」
ルドルフは場を和ませようとあえておどけて見せたが、かえって場はシーンと静まりかえってしまった。
「……まあ、今回はその対価が俺で良かったではないか。お前は無事に生きて帰れる。次から気をつければいいのだ」
「良くなんかありません!」
慰めようとするルドルフの言葉に、セラが驚くほどの大きな声を返した。それから目の前の骸骨をじっと見つめたまま、無言でぽろぽろと涙を流している。
「……リッチキングが最初から大人しく滅びていてくれたら、こんな羽目にはならずに済んだんだがなぁ」
ルドルフはばつが悪そうに頭をかいた。
「お前が責任を感じる必要はない。俺がわかっててそうすると決めたのだ。これは単なる巡り合わせだ。誰にだって運の悪い日はある。今日は俺にその順番がやってきただけのこと」
ルドルフは再び淡々と事実を述べる調子に戻って言った。しかしセラはそのままうつむいてしまった。ルドルフはどうしたものかと少し黙ったが、やがていいことを思いついたとばかりに言う。
「そうだセラ。餞別に俺の空間魔術を見せてやろう。見て覚えるといい。お前もいつか教えてくれと言っていただろう」
「いやです。見ません。私がちゃんと対価を出せるくらいの魔術師になったら、そのとき見せてもらうって約束してたんですから」
セラは頑なにそう言ったきり、ルドルフに背を向けて黙ってしまった。
「……そうか。では、せめてこれをやろう。あとで中を見るといい」
ルドルフはそう言うと次元収納から取り出した分厚いメモの束をセラへ向かって投げた。それはバサッと無遠慮な音を立ててその足元へと落ちた。
それでもセラが後ろを向いたまま梃子でも動きそうにないので、ルドルフは諦めてサイラスの方へと向き直った。
「さ、そろそろやってくれ。もう神殿騎士たちが階下でアンデッドたちと戦っている。彼らもせっかく生き残ったのにここで死ぬのはかわいそうだ」
サイラスはアリアナを見た。アリアナは黙ってうなずいた。
「了解した」
そのサイラスの言葉にセラはビクッと震えたが、相変わらずルドルフに背を向けたままである。まるで見なければ悪いことは起きないとでもいうかのように。
やがてサイラスは両手で握った聖剣を体の前に立てて構え、その力を解放した。その刀身がアンデッドを滅ぼす聖なる光を帯びる。いつの間にか黄昏に呑まれていた室内をほのかに照らす冷厳なる光。その輝きがルドルフの体をも照らした。
その光はアンデッドを容赦なく責め立てる。耐えようのない根源的な恐怖がルドルフを襲った。が、ルドルフはその恐怖を受け流し、なんとか平静を保った。
自らの最期を前にして己のすべてを掌握したルドルフは、静かにその聖なる剣が己に滅びをもたらすのを待っている。
ところが聖剣はいつまで経ってもルドルフの体に触れることはなかった。気がつけばサイラスの目から滂沱の涙があふれていた。サイラスだけではない。辺りからも静かなすすり泣きの声が聞こえる。
「フッ。今日は聖剣を持っているというのに泣くのか」
ルドルフはサイラスと初めて出会った時のことを思い出して軽く揶揄した。
「あなたのことは一生忘れません」
その言葉を最後にサイラスは歯を食いしばり、一息にルドルフの体を貫いた。
「待って!」
気配を感じたセラが振り向いたがもう遅かった。
ルドルフの体から緑の光があふれてほとばしり、渦を成して暴れ狂う川の流れのようにあらゆる方向に広がった。すべての者が暴風のような圧とまばゆい光の奔流に目を開けていることができない。何もかもが落ち着き、彼らが再び目を開けた時、そこにもう骸骨の姿をした魔術師の姿はなかった。
ただ静寂だけが場を支配していた。いつの間にかこの国の空気にただよっていた瘴気もすっかり消えている。アリアナがふと外を見ればアンデッドの兵士たちも嘘のように消え去っている。この時、この瞬間、この都市に暮らしていたすべてのアンデッドたちが跡形もなく消滅していた。
サイラスの握る聖剣にルドルフの着ていたローブだけが引っかかり、彼がいなくなった証のように垂れ下がっている。
「ししょう……」
セラは茫然自失としてそのローブを抱き締め、やがて静かに嗚咽し始めた。




