第百五十一話 エゼルの望み
エゼルとティエーレは少数の騎兵を引き連れて、わずか三日でウルムトまで引き返してきていた。復活したルドルフを前線へと連れ帰るためである。しかし彼らがようやくその城塞を遠目にとらえた時、城壁の内部からかすかに立ち上る黒煙が異常事態を告げた。
途端に目の色を変えたエゼルは、無言のままに馬に鞭を当て猛然と走り出す。
「皆の者、急げ!」
ティエーレが叱咤し、兵士たちもわずかに遅れて後に続いた。
近づくにつれ破壊された城門の無残な姿が徐々に大きく見えてくる。両開きの扉は跡形もなく吹き飛ばされ、すでに城門としての用を成していない。周囲が焼け焦げていることから、それは炎の力によって穿たれたものらしい。エゼルはそれを成した力が何かを知っている。だが今はどうでもいいことだ。
エゼルが速度を緩めずに城門をくぐろうとした瞬間、その城門の上から白い閃光がエゼルに向かって放たれた。それは刹那の間にエゼルの乗っていた馬を飲み込み、大地を深くえぐって焦がした。
「エゼル殿!」
思わず馬を止めたティエーレがその名を叫んだ。光が消えた後、エゼルとその馬は跡形もなくいなくなっていた。
「へっ、今度こそやってやったぜ!」
その言葉とともに城門の塔から飛び降りてきたのは、してやったりの笑みを浮かべたアクィラだ。己の炎がついに宿敵に届いたのだ。
ティエーレと兵士たちが馬上で武器を構えて警戒体勢を取る。そんな彼らに目もくれず、アクィラはエゼルと馬がいた場所の土を軽く蹴って、そこにもはや何も残っていないことを確かめると、改めてにんまりと笑った。
だがそんなアクィラの上機嫌な得意顔も長くは持たなかった。
「おお、無事だぞ」
「さすがエゼル殿だ!」
兵士たちが口々に歓声を上げる。アクィラが背後を振り返ると、エゼルはすでに城門をくぐって城壁の内部へと入っていくところだった。すんでのところで馬から飛び降り赤竜の炎をかわしていたのだ。
「クソッ! 待て! アタシと戦え!」
そんなアクィラの叫びを聞いたのか聞かなかったのか、エゼルは風を切って遠ざかり、そのまま姿を消した。
「チッ、なんだってんだ。あれをかわすか普通!?」
置き去りにされたアクィラが納得のいかない様子でひとりごちる。
「業火の神子。我が王によみがえらせていただきながら、恩知らずにも刃を向けるうつけ者よ」
ティエーレが馬上から剣を向けた。
「誰もよみがえらせてくれなんて頼んでねえっての」
アクィラは一転して冷めた顔になりティエーレに向き直る。
「グラナフォートではよくもはめてくれたな。貴様には聞きたいことがたくさんあるぞ」
「こっちはあんたに話すことなんか何もないね。アタシはエゼルを追わなくちゃならねぇ。お前の相手は別にいるから心配すんな」
そのアクィラの言葉とともに城門の塔からもう一人が飛び降りてきた。褐色の肌に特徴的な尖った耳。
「なっ……ダークエルフ!?……なぜ貴様、そんな輩と共にいるのだ」
ティエーレは驚愕の声を上げた。まったく信じられないといった顔だ。
「よかったな。仇敵同士のエルフとダークエルフが苦い顔して握手しなけりゃならんほど、お前らはヤバいと認められたってことだ」
アクィラはティエーレがうろたえた様子に満足の笑みを浮かべると「じゃ、あとはよろしく」と城門の中に消えた。ティエーレは立ちはだかるダークエルフから目が離せない。
「我が名はダムレイ。城壁の中は少々取り込み中だ。落ち着くまで関係者の立ち入りはご遠慮願っている」
ダムレイは軽く名乗りを上げると、腰に差していた大鉈を抜いた。
「我が名は……」
「ああ、そちらのお名前はけっこう」
ティエーレが礼に則って名乗ろうとするのをダムレイは片手で制した。
「たしか、親の威光を頼みに間に合わせで宿将に取り立てられた者だとか。そのような名、聞くにも値しない」
淡々としたその言葉にティエーレは激高した。そのまま馬を駆って馬上からダムレイに剣を振りかざす。怒りに任せた隙だらけの攻撃だった。
ダムレイはそれを正面から受けて立ち、すんでのところで鮮やかに体を翻して大鉈を振るった。うっすらと青く輝く鉈がその馬の首をあっさりと切り飛ばす。ティエーレは倒れる馬体から無様に転がり落ちた。
彼女を救わんと駆け寄ろうとする兵士たちに向けて、ダムレイは大鉈を向け今度は呪文を唱える。兵士たちはダークエルフが放った特大のロックショットを次々と受けて落馬し、それきり動かなくなった。瞬く間の出来事である。
「本当にたったひと言でこれほど隙だらけになるとは……」
ダムレイは地に這いつくばるティエーレを眺めながらつぶやいた。ディアドロの教えてくれたキーワードは効果覿面だった。ダムレイとしては趣味ではないが、仕事が早く済むに越したことはない。
ダークエルフとしても宿将であるティエーレの実力については調べがついていた。まともに戦えばダムレイとて勝ち負けはわからない、というほどの相手だ。
だがその「親の威光を頼みに」という言葉ひとつで勝敗の天秤は決定的に傾いた。
ダムレイはゆっくりと大鉈を持ち上げティエーレに向ける。対するティエーレは手をついて立ち上がろうとしてバランスを崩した。見れば左足の膝から下がない。先ほどの大鉈の一閃で馬の首とともに切り落とされたのだ。
切られたのが胴ではなく足だったのは、ティエーレのとっさの反射のなせる技であったが、こうなってはもうどちらだろうと結果は変わらない。
それでもティエーレは強いて笑みを作って言った。
「来い。貴様ごとき片足で充分」
そして傍らに落ちていた剣に手を伸ばし、そのまま勢いをつけて前転。片足で器用に立ち上がって、両手で握った剣を小さく構えた。迎え撃つ姿勢に隙はない。
その窮地に陥っている者とは思えぬ気迫に、ダムレイは仏頂面のまま呪文の詠唱で応えた。
同じ詠唱が繰り返されるごとに岩の塊が飛ぶ。
ティエーレは四発までは見事に弾いた。
だがそこまでだった。
五発目をいなしきれずに肩口に食らい倒れる。
ダムレイは間断なく呪文を唱え続け、地面に転がった相手を、油断なく、念入りに潰した。ややあって完全沈黙した敵に止めを刺しに近づいたが、もはや最後の一撃の必要はなかった。
* * *
エゼルは目につく戦いの跡に目もくれず猛然と走り続けている。城塞都市の大通りを一直線に城の方向へと向かっていた。いま彼の頭にあるのはリッチキングのことでも置いてきたティエーレたちのことでもない。ただシンシアのことだ。
彼は絶対にシンシアを失うわけにはいかない。それは彼のすべてだからだ。
エゼルがやがて王宮へ続く坂まで差し掛かると、アンデッドの兵たちが押し合い圧し合いして滞留していた。彼らは王宮へと向かわんとしているが、しかし坂の途中で盾を並べて固く守る神殿騎士たちに押しとどめられ、それ以上進めないでいる。
エゼルは走る速度を微塵も緩めず、前を塞ぐアンデッドの兵たちをあるいは跳ね飛ばし、あるいは踏み潰しながら進み、あっという間に神殿騎士たちの前に立った。その右手にはいつの間にか抜いた大剣が握られている。
神殿騎士たちは突然現れたただならぬ大男を前にして、盾を寄せ合い一層守りを固くする。だがエゼルの振るった大剣は彼らを盾の上から突き崩し、防衛の壁に大穴をあけた。
エゼルはその隙間に素早く走り込み坂の上を目指す。瞬く間に遠ざかるその背後では、混乱しながらも防御陣形を再構築しようとする神殿騎士たちと、その乱れに乗じて突破しようとするアンデッドの兵たちがいっそう激しく揉み合っている。が、そんなことは彼の知ったことではない。シンシアの待つ我が家は間もなくだ。
しかし坂を登り切ったエゼルが目にしたものは、絶望的な光景だった。仰向けに倒れ伏す我が妻の姿。
辺りには神殿騎士たちの亡骸も転がっているが、駆け寄るエゼルの目にはシンシアしか映らない。彼女は斜めに袈裟懸けの一刀で両断され、胸から上と片腕が残りの半身と泣き別れになっていた。
エゼルが片方の腕でその半身を抱き上げ、もう片方の腕で残りの半身を固定して断面を合わせる。そのままぎゅっと強く抱き締めるが、もはやふたつに別れた体が元のようにひとつに戻ることはなかった。
シンシアは瞑目したまま動かない。
エゼルは眉根のしわを一層深くすると、そのまましばらく動かずにその顔をじっと見つめていた。かなりの時が経った後、彼は妻の亡骸を我が家に連れ帰り、彼女をいつも寝ている寝室に横たえた。
表には表れないが、その内心には嵐のように感情が渦巻いていた。
どうしてまた彼女が死ななければならないのか。二度とこんな気持ちを味わうことのないように、戦場にも連れて行かなかったというのに。彼女が二度と戦うことのないように、自分は戦い続けていたのに。ともに永遠の命を生きて行こうと思っていたのに。
最早この世の何もかもが無意味になってしまった。
そうしてしばらく妻の顔を眺めて過ごしたあと、しかし彼はまだ望みがあることに気がついた。それは彼がかつてすがったのと同じものだ。
そうだ、あの時のようにリッチキングにまた彼女をよみがえらせてもらえばいい。以前に神子である自分の命を差し出してそれを乞うたように、今度は敵の神子の命を差し出せば願いは受け入れられるに違いない。
殺すべき敵がどこにいるかはわかっている。差し出す命は多ければ多いほどいいだろう。
エゼルはシンシアの額に長いキスをした。それから城へと足を向けると、再び飛ぶように走りだした。その瞳には常軌を逸した狂気の影がほのかに宿っていた。




