第百二十話 旧友と弟子と古竜と
「ところで……弟子って? ずいぶんと可愛いお弟子さんじゃないか」
可愛いと言われたセラはちょっと照れてうつむき加減になっている。
「嫁にはやらんぞ」
「心配しなくても僕の心は永遠に妻だけのものさ」
ルドルフの軽口は華麗に受け流された。デダルスは若い頃に亡くなった妻にずっと操を立てている。殊勝な奴なのである。妻と聞いてペレディルスがめちゃくちゃ聞きたそうにしているが、その話ももう少し待っていただきたい。
ルドルフは改めてセラの紹介をした。不死の神子。アリアナに押し付けられた弟子。十七歳にしてすでに上級魔術、ことに転移魔術を使えるという話にはデダルスも驚いた。
「天才中の天才じゃないか。僕もたいがい天才だったけど、これはとても及ばない」
天才と自分で言うのはデダルスらしい、というのはともかく稀代の才能を前にしてデダルスの目もどこか輝いている。その顔もまたやはりデダルスらしい。若返り世を捨てる前は魔術師ギルドの長として後進の指導にも力を入れていたので、才能のある若者を見つけるとついうれしそうな顔を見せる。
「どういう出自なのかな。やはりどこかの高名な魔術の家の出?」
「そんな大そうなものではないが、祖母が魔術師でな。そう言えばお前知らないか? ディーレという名前だ。俺たちと同じ東部出身らしいんだが」
「ううむ。すまないが寡聞にして聞いたことがない。そうか、お祖母さんが魔術師だったので幼い頃から魔術に触れていたのだね」
出自についてすべて話すことはできない。ペレディルスと目配せする。魔王の力を持っているので、どんな魔術も見ただけで習得できます、などとは古い友人と言えど軽々しく話せることではない。
「もともとの才能もあるが、とにかく魔術に対する態度が真摯でひたむきでな。日々の修練がオーバーワークにならないようにこちらで抑えなければならないほどだ。後生畏るべしというやつだよ」
ルドルフはセラについて、才能よりも評価している点、その熱意について語った。
思いがけず師匠から褒められて、セラは先ほど可愛いと言われた時よりも照れている。うれしさを噛みしめるその顔はカーッと熱くなっていた。ルドルフとしてはいつも思っている評価だが、普段はあえて口にすることはない。そういえば本人を前に言うのは初めてのことかもしれなかった。
「彼女もそうだけど、その指にある結界の指輪もすごそうだね。君がそこまでの物を持たせるなんて、それほど大事にしている弟子なんだ」
デダルスは目ざとく彼女の身に着ける一番の魔道具を見つけてまたまた感心した。
セラが何者か、という話をしたのでデダルスも改めて自分が何者かを語る。
「ルドルフの弟子なら言ってもかまわないか。僕は時間に関する魔術を研究していてね。そのついでに若返ってみたというのが今の姿です」
今度はセラが驚いた。そんな魔術があるなんて。改めて魔術の道は奥が深い。そしてさっきからずっと気になっていたこと、なぜ老人であるはずのデダルスが若々しい姿をしているのか、ということにもようやく合点がいった。
「そんなわけでルドルフとはかれこれ五十年来、いやもう六十年近い付き合いになるかな。もとは殲滅の神子の従士仲間、そのあとは魔術師仲間としての腐れ縁。人に言えないような恥ずかしい話も色々と知っているから、聞きたければあとでこっそりと教えてあげるよ」
「やめろ。お前が生きていることを魔術師ギルドの連中にばらすぞ」
「やめて! あ、もとは魔術師ギルドの総会長なんてものもしていたんだけど、そのあたりのしがらみは死んだふりしてまるっと捨てているので、ほかの人たちには内緒でお願いするよ。俗事に関わっていると研究の時間が全部吸い取られてしまってね……」
デダルスが一瞬遠い目をした。死んだ魚の目になったその表情からかつての労苦がしのばれる。
「くだらん政争にも巻き込まれたりしていたよなぁ。愚痴のついでに聞かされたお前の腹黒さにはドン引きしたもんだが」
「そりゃ魔術師ギルドの長なんて、多少腹黒くなきゃやってられないさ。まったく。僕も魔術と妻のことだけを考えて無垢だった昔に戻りたいよ」
ルドルフがデダルスと話す調子はアリアナとやりとりしている時と同じく気安い。
「ところでその若返りの魔術はきちんと完成したのか?」
「うーん、そこはまだなんとも。理屈ではもういけたと思うんだけど、実際試すと穴が出てくるかもだし。検証できるのはもっと年取ってからかな……」
デダルスは若返りの魔術の欠陥に関してセラとペレディルスに説明した。若返りの範囲がまだうまく指定できないのだ。下手すると生まれる前にまで自分の時を巻き戻してしまい、この世から消滅してしまう危険があった。
「そうだ、ペレディルスなら千年くらい誤差があっても平気なのでは」
「残念ながら他人にはかけられない。いずれはと思うものの、まだそこまで行ってないんだ。最近は物の時間を戻す魔術をやっているんだけど、自分以外を対象にするのはなかなか感覚をつかむのがむつかしくて」
畏れ多くも黄金竜を実験台にしようという提案だったが、幸か不幸かそれは不可能であると却下された。
「寿命が延びると思ったのに残念だ」
「わしはいいのじゃ。もう十分に生きましたからのう」
ペレディルスの寿命は間もなく尽きようとしている。とはいえあと百年くらいは生きるらしいのだが。
ここでルドルフはやっと気がついた。
「ところで今日は何の用だ? 何か用があって来たのだろう?」
そういえば今日ここに来た用件を聞いていなかった。
「いや、実は特に用というのはなくて顔を見に来ただけ。ちょっとご無沙汰が過ぎたかなと。というか君の方こそだぞ? 僕の住んでいる場所は前に教えたよね」
「すまん、こちらもにわかに色々とあってな。あと数年したら暇になるはずだから、そしたら行くよ」
デダルスの家に行くと聞いてペレディルスがそわそわし始めた。
「ペレディルスも行くか?」
「いいのですかな!」
「もちろん。歓迎しますよ。ペレディルス様」
デダルスは一応「様」をつけて呼ぶことにしたらしい。長年魔術師ギルドの長をしていただけあって、そのあたりの社会性はルドルフよりはるかに高い。目上がフランクにしてかまわないと言っても額面通りに受け取ることはしないのだ。
このタイミングでさっきからずっと我慢していたペレディルスの質問攻めを解禁した。もはや話題が無限にわいてくる。それらは主にルドルフとデダルスが殲滅の神子の従士として活躍した頃の話で、セラも興味深く聞いた。聞かせたことのないルドルフのエピソードなどもある。時間が瞬く間に流れていった。
帰り際、デダルスが机の上に置きっぱなしになっているアミュレットに目を止めた。
「あれは魂の器かな?」
「よくわかったな。正確には、だったもの、だがな」
「魂の器ってなんですか?」
セラが興味を持って聞いてきた。ルドルフは教えておくにはかえっていい機会と魂の器の話をした。デダルスやペレディルスは当然のようにそれが何なのか知っている。
子竜のための名付け親を探していたせいで効力が切れてしまった、と聞いてペレディルスは恐縮したが、本当はもっと前に更新しておくべきだったのだとルドルフは軽く受け流した。
「いや、これはまったく本人のせいですよ。しかし相変わらず勤勉なのか怠け者なのか、わからんね。君にいなくなられると僕もショックなんだけど」
自分の命の綱をそんなぞんざいに扱うなんて、とデダルスは呆れている。それから思いついたように言った。
「次の夏までは使えないんだよね? それだったらちょっと貸してくれないか」
「いやいや、さすがにおいそれとは貸せん。そもそも何に使おうというのだ」
「うーん……魂の器になり得るほどのポテンシャルを持つ器物は珍しいからね。造りをじっくりと調べてみたい、かな」
「おっ、リッチにでもなる気かな。いいぞリッチは。文字通り寝食を忘れて研究に没頭できる。たぶん研究中の魔術もすぐに完成するぞ」
「ならないから」
「魔術が完成したら時を戻して人間に戻ればいいじゃないか。いったんなってみろって」
「いやいやいやいや」
気の置けないやりとりをセラは微笑ましく、ペレディルスは尊いものを見る目で眺めていた。
それからデダルスが食い下がり、二言三言の言葉の応酬の後、ルドルフは結局そのアミュレットを貸し出すことになった。
「うーん、お前がそこまで言うなら。でも夏前には必ず返しに来いよ」
「必ず。僕も君を死なせたくはないからね」