第十二話 予期せぬ訪問者
ルドルフは静かに凹んでいた。この間すっかり魔物扱いされたことにだ。
一週間ほど経つというのに気分はまだどこか憂鬱なままである。思った以上のダメージを受けていた。
疾風の団の時はガラの悪いどうでもいい輩であるしまだ平気だったが、聖剣旅団のような正義の味方然とした冒険者たちに邪悪と罵倒され、当然のように戦いになったことはいささか堪えた。
リッチになって十五年、デダルスが一度訪ねてきた時を除けば、まったく誰とも接していない。それが仇になった。
散々アンデッドとなった利点を享受していながら、未だに人間やめたことを十分に自覚していなかったのだ。なんなら今でもまだ自覚は薄い。人は意外と自分が何者かということを理解せず日々暮らしているものである。
そんな傷心のルドルフの耳にふと、足音と話し声が聞こえてきた。崩れたままの部屋の入口の方からである。
また誰か人間が来たのであろうか。ルドルフは椅子から立ち上がり、目を眇めてそちらをうかがう。
見たことのない灯篭がふわふわと浮かんでいる。何かの魔道具であろう。その灯かりに照らされて暗闇の中から現れたのは、ルドルフの警戒とは裏腹に懐かしい顔であった。
アリアナとセラ。
ルドルフを驚かせる思わぬ再会であった。アリアナとは実に数十年ぶり、セラとはたった一週間ぶりだが、ともに二度と見ることはあるまいと思っていた顔である。
「なぜお前がここに……」
「やっほー、ルドルフ。見ない間に様変わりしたわねー」
様変わりという言葉では足りないほどに変わり果てた友人に対して、数十年ぶりに交わすとは思えないほどの軽い挨拶だ。その表情と言葉は、お堅いエルフとは程遠い。
「おまっ、人の名前を軽々しく口にするな」
つられてルドルフも感慨とは無縁の調子で慌てふためいた。面倒ごとを呼びそうなので、生きていた頃の名前をむやみに知られたくないのだ。面識のないリッチがなぜ自分と看破されたのか。慌てるあまりそんな疑問にかまう余裕もない。
その反応を見てにまっとアリアナが笑う。
「あんたの生きてる頃の名前なんて知ってる人いないでしょ。別に有名人でもなかったんだし」
それからアリアナは後ろに隠れがちだったセラを両手で前に押し出した。見ればぼろきれのようだったローブとくたびれた衣服は新調され、いくらか小ぎれいな格好になっている。背負う荷物も小さい。
「はい。セラちゃんよ」
「り、リッチさん。こ、こんにちは」
セラが硬い表情で上目遣いに挨拶する。やや恐る恐るというか、ギクシャクとした態度が表に出ている。
ルドルフは無言。なぜこの二人が揃って訪ねてくるのかが理解できず、どう返したものか判断しかねていた。
アリアナ一人であれば騒ぎを起こしたリッチを討伐に来たということでまだわかる。彼女には単独でそれを成し得る力があるのだ。
だがセラは何だ?
「あ、お茶くれる? あなたの入れるお茶、私好きなのよね。お土産にアップルパイ持ってきたから切ってくれるかしら」
悩むルドルフをよそに、アリアナは相変わらずのマイペースを押し付けてくる。
「はぁ……とりあえず反応に困る。なぜお前がここにいるのか、なぜこの娘を連れてきたのか、事情を説明してくれ」
ルドルフはおもむろにテーブル、ソファ、お茶の応接セットを次元収納から取り出して接客の準備を始める。その間にアリアナはソファにセラを座らせ、自分も当たり前のようにその隣に腰かけた。初見の空間魔術に驚く様子もない。間もなくテーブルの上にポットと人数分のカップ、それに切り分けられたアップルパイが並んだ。
「このアップルパイ、割とお気に入りのやつなのよ。グラナフォートに最近できたいいお菓子屋さんがあってね。それにルドルフの入れるお茶とくれば、素敵なティータイムになりそうじゃない。あなたが食べられないのは残念だけれど」
「まあ、お茶は俺が入れるというか、このポットから勝手に出るだけだけどな……」
渡す相手が食べられない土産と知ってなぜ持ってきたのか。
そんなルドルフの冷めた視線を無視して、アリアナはお茶と菓子を飲み食いして大げさに感激する。その横で人形のようにおとなしくしているセラにもそれらを勧めた。
「で、説明してもらおうか?」
ルドルフは昔と全く変わらないアリアナの様子を見ながら、話を催促する。
「……相変わらずせっかちねぇ。まあ、いいわ。私も暇じゃないしね」
アリアナはティーカップを置くと、この一週間の出来事をかいつまんで話した。
彼女はデダルスからルドルフがリッチになったと聞いて、任務の合間の休暇に教えられた場所を訪ねんとやって来た。すると町ではダンジョンにリッチが出現したと騒ぎになっていて、その関係者と目される少女が処刑されそうになっていた。そこで少女を神子ということにして命を救い、ここまで連れてきた。などなどもろもろ。
「デダルス、あの野郎。言うなって言っといたのに」
話を聞いたルドルフは何よりもまずデダルスに向けて呪いの言葉を吐いた。
「まあ、でもそれで私が来てなかったら、セラちゃんは可哀そうなことになってただろうし、騒ぎがこのまま大きくなっていたらあなだってどうなったかわからない。結果としてはデダルスに感謝しなきゃ」
アリアナにそう言われるとぐうの音も出ない。結果としてはたしかにそうかもしれない。結果論としてはだが。
ルドルフは肩をすくめた。それから呆れかえって言う。
「しかし神子のくだりとか、完全に嘘だろ。相変わらずの口八丁だな」
「善良な冒険者を殺めたリッチと通じてると思われてるんだもの。この子を救うにはそれくらいのハッタリ利かさないと無理だったの。だから半分はあんたのせいなのよ? 神殿も昔と違ってエルフのことならなんでも聞くっていう時代じゃないんだから。本当に世知辛いわ」
アリアナが首を振る。神殿がエルフの言うことを聞かなくなったのは賢明な学習の結果なのではないか、とルドルフは思った。
「それにあなたの知り合いじゃなかったら私もさすがにここまで出鱈目は言わないわ。このあと関係各所に色々と手を回して、なんとか有耶無耶にして……とにかく後始末が大変なんだから。まずは感謝して欲しいわね。魔術を教えてたって言うし、弟子なんでしょ? なんで一人で地上にやったりしたの」
「弟子……?」
ルドルフは大きく首を傾げた。セラは下を向きながら身を固くした。
「あら、その子が言ったんだけど、やっぱり違った? あなたが今さら弟子を取るなんて、なんかおかしいなーとは思ってたのよ」
思ってたのに連れてきたのか、とルドルフは眼窩の緑の光を細める。
「思ってたのに連れてきたのか、って顔してるわね。まあ連れてきたのは実のところつじつま合わ……」
「あのっ」
唐突にセラが声をあげた。思い切ったように顔を上げ、アリアナの言葉を遮るのもかまわない。
「わ、私をリッチさんの弟子にしてくださいませんか」
少女はまっすぐと食い入るようにルドルフを見つめていた。顔が耳まで赤くなり、緊張と興奮のあまり声が震えている。固くした体からはその心音すら聞こえてきそうだ。
「私に魔術を教えてください!」
意外にもよく通る声が広大な空間に響いた。小さな体からは考えられないような大きな声だった。
ルドルフもアリアナも虚を突かれ固まっている。
「うちは弟子は取ってないんだ」
どうしたんだこの娘はいきなり、と思いつつ、ルドルフはなんとか事実のみの返答を返した。