第百十話 最後の手がかり
「なぜですか?」
思わずセラが会話に割り込んだ。それを咎めるでもなくペレディルスは答える。
「わしの命はもうすぐ尽きる。寿命なのじゃ。だから新たに生まれた子竜に名付けをすることはできん。竜の名付けにはわしのような老いた竜ではなく、もっと壮健な竜の活力が必要なのじゃ」
「そんな……」
セラは絶句してしまった。
ルドルフは心をざわつかせてディアドロの方を見た。ディアドロも驚きのあまり顔を上げて不意に殴られたような顔でルドルフのことを見ている。そこにいつもの笑みはない。黄金竜に竜の名付けができないのを知っていながら俺を利用したのか、と考えたがどうやらそうではなさそうだ。
「その寿命とはあとどれくらいなのだ?」
なんとはなしにルドルフが訊ねる。ペレディルスからあふれるその迫力からは、とても寿命が近いとは信じられなかった。
「おそらく百年……いや、あと百年も経たないうちにわしは死ぬでしょうな」
それを聞いてルドルフはガクッと拍子抜けしてしまった。人間の物差しではこの竜はまだまだ生きるようだ。同じく他の一同の間にも得も言われぬ空気が流れている。つくづく数千年をゆうに生きる竜のスケール感は計り知れない。まあ竜の卵の前例を鑑みるに百年と言いつつ一年後に死んだりするかもだが。
だがそれでも名付けができないというのは確かと考えていい。ペレディルスほどの竜がいい加減なことを言うはずはないからだ。
「だったら、どうしたら……」
セラが途方に暮れてつぶやいた。
「そう急くでない。わしが残念に思ったのは、わし自身が直接ルドルフ殿の頼みを果たせないことじゃ」
黄金竜はゆっくりと言葉を続ける。
「わしにはもう無理ですが、できる竜の居場所を知っております。わしが名付けてやった竜で、住処が変われば連絡くらいはあるはず。まだ存在は感じるし、死んではおりませぬじゃろう」
セラは両手を胸の前で組み、固唾を飲んで言葉の続きを待った。
「その竜の名はサモアードという。目にも鮮やかな鱗を持つ緑竜でしてな。この大陸の真ん中にある大樹海の奥に居を構えているはずじゃ」
サモアードと言う名にセラとルドルフは聞き覚えがあった。それは確かエレイースの番の竜ではなかっただろうか。だとすれば子竜の本当の父親と言うことになる。
そのことをルドルフが語るとペレディルスはさも楽しそうに言った。
「それはまた数奇な縁ですな。それなら名付け親としてはこの上ない。サモアードの子ならわしにとっても孫みたいなものです。そなたがまたしても同族のために骨を折ってくれるとは感謝の極みというもの」
またしても目的は達せられなかったが、なんとか新たな竜の手がかりを得た。まだ望みはつながっている。
だが残された時間は一ヶ月しかない。ルドルフは頭の中で残り時間をどう使うか、急いで計算していた。
ここからダークエルフの船でグラナフォートから最短の場所に降ろしてもらったとして、そこから大樹海へ普通に向かうだけでもう一ヶ月など経ってしまう。何頭もの馬車馬を潰す勢いで走っても二十日はかかるだろう。いや、大陸中央の南西部に位置するブラドールの港町から向かえば十四日前後でいけるだろうか?
さらにたどり着いて終わりではない。広大な大樹海の中から緑竜サモアードを探さなければならないのだ。大樹海からサモアードをグラナフォートまで連れて行く日数も考えなくてはならない。それは緊急につき転移門を作るだけの日数、二日あればなんとかなるか。
ここでルドルフはひとつ大きな時間短縮の手段に気がついた。
自分とセラだけなら転移魔術で大樹海までは一瞬で行くことができる。ついこの春に訪ねたメアの故郷は大樹海の中にある。
希望が見えた一方で、途端にルドルフもセラも焦燥に包まれた。一ヶ月まるまる仕えたとしても、残りの時間が心許ないことには変わらない。
「では、我々はこれにて失礼させていただく。どうやら急がなくてはならないようなのでな」
「なんと、もう行ってしまうと申されるか。もっとそなたの話を聞きたかったところじゃが……とはいえ、たしかに急がなければならない用じゃ。致し方ありますまい」
ルドルフは重ねて丁重に別れを告げると、名残惜しそうな目を向けるペレディルスの前を足早に辞した。その背中に「是非また来てくだされ、そなたの転移魔術なら造作もないことじゃろう」と言うペレディルスの声がかかった。
そこから洞窟を少し戻ったすぐのところで、全員顔を突き合わせて今後のことを話し合う。さすがに黄金竜の前でバタバタするのははばかられたので場所を移したのだ。
ルドルフとセラが先行するという案に誰からも否は出なかった。残された時間は一日でも惜しい。それ以外の者はディアドロの船でブラドールの港町まで送ってもらい、そこから大樹海を目指すこととなった。
そうと決まれば後発組の旅に必要な食糧や野営道具などを次元収納から取り出し整理する。思いのほかガヤガヤし始めたので、ルドルフは黄金竜の部屋からもう少し離れたところまで移動すればよかったかと考えたが、それは今さらだ。
そうこうしているうちにディアドロがルドルフの近くにやってきておもむろに頭を下げた。
「このようなことになって申し訳ありません。ですがこれは本当に……」
「いいさ、次の手がかりは見つかったからな」
ディアドロの顔から笑みが消えている。その本当に申し訳なさそうな顔をルドルフも信用することにした。正直なことを言うと、そのしおらしくしている態度を見ているのは少し胸がすく。
「ルドルフ殿とはここでお別れになりそうですが、ほかの方々はたしかにブラドールまで送り届けますのでご安心を」
「ああ、頼む」
その言葉は信頼できる。色々と癇に障るところはあるが、下らないところでいい加減なことを言う男ではない。
まさかダークエルフと旅をする日が来るとは思っていなかったが、実際に旅をしてみるとアリアナが手ひどく言うように悪辣というわけではなかった。もっともたまたまそうする必要がなかっただけかもしれないが。
しかしまあ、もはや二度と会うことはないだろう。そんなことを考えているとディアドロは思いがけぬ言葉をつづけた。
「もし人間たちの間で居づらくなったらいつでもご連絡を。もちろんお弟子さんともどもでもかまいません」
その表情はまたいつものニコニコ顔に戻っている。正直言ってルドルフには本気か冗談か区別がつかない。
「連絡方法がわからん」
怪訝に思いつつもルドルフは思わずそんな言葉を返してしまった。
「これを」
ディアドロは小さな鳥をかたどった金属細工を差し出した。銀色に輝くそれは、決まった宛先に手紙を運ぶのに使われる魔道具である。これに手紙を託せば、さほど時を経ずして彼のところまで届くのだと言う。
「これをエルフに渡すとは考えないのか? お前たちを罠にかけるのに使うとは」
「あなたは別にエルフにべったりというわけではないでしょう。もっと柔軟な思考をお持ちだ。アリアナとだけ特に懇意のようですが。いずれにしろ寄る辺はいくつか持っておいて損はないかと。特にあなたのような人と魔の間に立つ存在は」
ディアドロの言うことはともかく、少なくともエルフに渡す気はないと看破されたのはその通りだった。エルフとの関係どうこう言う前に、それでダークエルフの恨みを買いたくないからだが。
「使う機会はないだろうがな」
そう言いながらもルドルフはそれを受け取った。
「私もルドルフ殿とセラさんには期待していますのでね」
嫌な期待だ。何を期待するというのだ、と考えたが、これ以上このダークエルフの言葉を聞くと不吉なことを言い出す予感がしたので、ルドルフはそこで黙った。
「ヌイとセラさんも会うのは最後だと思いますので、もしよければ別れの挨拶でもさせてあげてください」
ディアドロは最後にそう言ったが、気がつけばヌイの姿がない。まだ黄金竜のもとにいるのだろうか。ディアドロが断りを入れて様子を見に行ったが、そのディアドロも戻ってこない。
しびれを切らしたルドルフは待つのはこれまでと、仲間たちに別れを告げてセラに転移を促した。が、セラは名残惜しげに黄金竜の住処の方を見ている。
「ならば先に行くぞ」
ルドルフはそう告げて転移魔術を使った。