第十一回 牢獄の時間
セラは牢獄に囚われていた。
あの日、満身創痍の聖剣旅団とともに、冒険者ギルドにことの顛末を報告に行った。するとギルドはにわかにちょっとした騒ぎとなった。彼女はその場で待つように言われ、しばらくすると兵士たちが彼女を捕えにやってきた。
今は着の身着のまま、牢の隅で膝を抱えてうずくまっている。春になったばかりの夜の空気が冷たい。せめて捕まる直前に荷物の中から外套を引っ張り出してはおっていたことを彼女は幸いに思った。
セラは自分がなぜ捕まっているのかよくわからなかった。
何か悪いことをしてしまったのだろうか、と考えたが、それが何か説明してくれる人もいないので反省のしようもない。これからどうなるのかという不安に怯えながら、途方に暮れるしかなかった。
牢獄は時間が経つのがとても遅く、一日がずっと長い。空腹を抱えながら寝ることと考えることくらいしかできないので、ぐるぐると同じことを何度も考えてしまう。
唯一の家族である祖母が亡くなったのはつい先日のことだ。それまでも貧しい二人暮らしではあったが、それから起こったことに比べるとどれだけ恵まれていたことか。自分を取り巻く何もかもが壊れてしまったように思う。生まれ育った村を逃げるように出てきて、なんとか使える魔術をあてに冒険者になって、初めてのダンジョンで裏切られて痛くて悲しい思いをして、ここで死ぬのだと心が冷たくなった。
その日、セラはアンデッドというものに初めて出会った。
生きている死者。暗闇の中でうごめく不吉なる存在。祖母が聞かせてくれるおとぎ話でひどく恐ろしいに違いないと思っていたもの。
村でも狼や熊のような獣が出ることはあったが、想像の中のアンデッドの方がずっとずっと恐ろしかった。怖い話を聞いてしばらくはスケルトンやゾンビが歩いていたらどうしよう、幽霊が飛んできたらどうしようと、墓場に近づくことは決してなかったし、夜には一人でトイレに行けなかったものだ。
だが実際に出会ったアンデッドはそうではなかった。怪我を治してもらって、おいしいお茶やお菓子をごちそうになって、魔術を教えてもらって、思えばあんなに優しくしてもらったのは祖母が亡くなってから初めてだった。
最初にリッチさんを怖がった自分を思い出すとおかしくなり、ふふっと笑ってしまう。
今となっては、ただひとつ胸を温めてくれるのはあのリッチさんのことだった。
「弟子……」
ふと、弟子にしたい、と言ってくれたことをセラは思い出した。帰れと言われた時、私はなぜ意地でもあそこに留まらなかったのだろう。なぜあっさりと諦めてしまったのだろう。なぜこのような場所に来てしまったのだろう。
せっかく手の内に転がってきた金貨を、つかみ損ねて、お手玉して、そのまま池に落としてしまったような悲しさや悔しさを覚える。
せめて教えてもらった魔術のことを繰り返し頭の中でおさらいをして気を紛らわせた。本当に魔術を使えば怒られてしまうだろうが、頭の中で形にすることは誰にも邪魔できない。
セラはそうすることで、なんとか牢獄の長い長い時間に耐えていた。
そのセラの牢の前に訪問者が現れたのはダンジョンから戻って三日後のことだった。
「相手が魔術師だというのに、口枷も付けとらんのか。田舎よの。魔術師など捕まえたことがないか。王都ならそれくらいは常識じゃぞ」
鉄格子の向こうで案内の兵士を叱責するのは、立派な法衣に身を包んで横に大きく太った男だ。頭を下げる兵士から「神官長」と呼ばれているが、その態度や口ぶりはまるきりえらい神官様とは思えない。
セラは牢屋の隅で膝を抱えたまま、その様子を見ていた。
「おい、娘。近くまで来い」
神官長がニタニタといやらしい笑みを浮かべながら言った。セラはなんだか恐ろしくなりうずくまったまま身を小さくする。
「フン、可愛げのない娘だ」
神官長は顔をしかめて興醒めの様を見せたが、その顔にはまたすぐに下卑た笑みが戻る。そして告げた。
「喜べ。お前の処刑が決まった」
処刑。それの意味するところはセラも知っている。自分は死ぬということだ。
セラが聞いてもいないのに神官長はその罪状を滔々と申し述べた。リッチと結託して疾風の団のケビンを殺し、聖剣の神子の持つ聖剣を破壊した。それが死刑となる理由らしい。
「正式な沙汰は追ってある。だがまずはわしの口から神敵に思い知らせてやらねばならんと思ってな。もう日も暮れたというのにこうやって一番に知らせに来てやったのだ。ありがたく思え。リッチの情報を吐けば助けるなどと冒険者ギルドの長は言ったがな。そんな手ぬるいことはわしが絶対に許さんぞ。つまりお前は絶対に助からん」
さらにリッチをおびき寄せるため、死体は処刑場に野ざらしにしておくと、何が楽しいのか嬉々として告げた。
神官長はそれからしばし何かを期待するような目つきでセラを見ていた。嫌な顔だ。せめてもう何も見たくない。セラが表情も変えずにかかえた膝に顔を埋めて黙ると、彼は不満げな声をもらした。
「つまらん。おい、こいつをちょっと牢から引きずりだせ。これから自分がどうなるのかわかっておらんようだ。わしが少し教育してやる」
「それは……神官長様のなさる仕事ではないかと」
「黙れ! 貴様、邪悪なアンデッドに与する娘の肩を持とうと言うのか?」
神官長が凄むと、兵士は鍵を忘れたと言ってひとり牢屋の外に出て行った。牢屋に全部で六つある房のうち埋まっているのはセラのいる房だけで、牢屋には彼女と神官長だけが残されている。
ほかに聞く者がいなくなると神官長はぽつりと言った。
「しかし痩せこけたガキか。残念だ。もう少し年が行ってれば別の楽しみ方もあったというものを」
それから間もなくして牢屋の中に颯爽とした足音が響いた。「鍵が来たか」という言葉のすぐ後で、神官長が驚き呻く声が聞こえた。
「ま、まさかっ、エ、エルフ……!?」
セラも力なく顔を上げて鉄格子の外を見る。そこには特徴的な尖った耳をした美しい女性がいた。旅装と思しき外套をまとった凛々しい立ち姿である。美しい金髪を太い三つ編みにして背に垂らしている。
エルフは鮮やかな緑色の目でちらとセラを一瞥すると、涼しい顔で開口一番に言った。
「リッチに関わる少女を処刑することはなりません。彼女は神子なのですから」
神官長の表情が凍り付く。目の前のエルフが発した言葉の意味を理解しかねる。そんな顔をしていた。
セラもエルフのことは当然聞いたことがある。神の代理人として人々に神託を授ける存在だという。一般の人の前に姿を現すことは極めてまれであり、セラだってもちろん目にしたのは初めてだ。
「申し遅れましたが私はエルフのアリアナ。ああ、あなたからのご挨拶はけっこうです。すべて把握しておりますので。ええすべて。では、順を追ってお話ししましょう。よくお聞きください」
「神子? それはどういうことで? 汚らわしいアンデッドに連なる神子など聞いたことがありませぬ」
だが神官長は説明を始めようとするエルフをさえぎり、戸惑いながらも自らの疑問を叩きつけた。
セラの頭の中にも疑問が渦を巻いていた。
神子? それは物語に出てくる英雄のことではなかったかしら。そういえばさっき神官長は「聖剣の神子」と言っていたような。では聖剣を持っていたあの人が神子? 私がそれと同じ神子?
ぶしつけな神官長に対してエルフは変わらず涼しい顔で答えた。
「正真正銘、彼女は資質を認められた神子です。このダンジョンでリッチと相対したとき彼女の試練が始まりました。そして力で抑え込むだけではなく、リッチと心を通わせた。それにより荒ぶるリッチを服従せしめたのです。そのリッチを従わせる力こそが神が彼女に授けた異能です。今リッチが大人しく第四層にとどまっているのも、彼女がそうせよと命じているからにほかなりません」
立て板に水のごとき弁舌である。一気にまくしたてられた突拍子もない話に神官長はもちろん、エルフとともに戻ってきていた案内の兵士も目を白黒させている。どうやら自分のことを言っているらしいが、セラも何を言われているのかよくわからない。
だが神官長はまだ負けじとエルフに食い下がった。
「しかし神子が突然現れるなんてことがあるのでしょうか? 事前の神託も我々の立ち合いなしに? 神子の試練が行われるなどといった話、我々は聞いておりませんぞ」
原則として神子の試練は神殿の取り仕切りで行われる。それが無断で行われたとすれば、それは神殿を軽視する所業だとも不機嫌に告げる。
「神託が遅れたことは謝罪します。今日ここに私が出向いた当初の目的はそれだったのですが、何か手違いがあったようです」
しれっと言うエルフに対し、神官長はまだ納得していない様子だ。
その刹那、浮かべた微笑みとは裏腹にエルフの眼光は鋭くなり、神官長をまっすぐに射抜いた。形ばかりの笑顔とは裏腹な冷たい視線に神官長はぎくっと身を震わせる。
「おっしゃりたいことはよくわかります。しかし本来、神子の試練とは資格ある者が望めば、いつどんな時でも与えられるものなのですよ。ですのでこういうこともまれにないとはいえないのです。そうですね。あなたもそれだけの信仰心をお持ちならば資格があるかもしれません。お望みならば今すぐにでもお試しになることができますよ。ね、神官長どの」
神官長は己に矛先が向いたことに明らかに怯んだ様子を見せた。
エルフはやや芝居がかった調子で畳みかける。
「そう、神子とはその祝福の代償として過酷な運命を約束付けられた者。人間世界の脅威に立ち向かうために力を手にしようとする者。果敢にも己の身をささげて神子になろうなどという者は希少です。いくらか先走ったとしてもまずはその意気を称えてやろうではありませんか」
「し、しかし神がアンデッドの力を認め頼ろうとするなど、やはりにわかに信じがたい。ましてや件のリッチは人を殺めているのですぞ。それも善良で人望のあるベテランの冒険者を。神殿の名に懸けて人に害をなす死者を看過することはできませぬ」
神官長が論点を変えて食い下がる。舌戦はまだ続いた。
「神子を害しようとするものに、神子の下僕が牙をむくのは当然のことです。おそらくリッチは彼女を守ったのでしょう? 神殿の規範は尊重いたします。ですが神がその手を差し伸べるのは、生きたものにだけとは限らないということは歴史にも明らかです。神託を受けた死者の英雄が魔物の軍勢を単身退けたセリスタス平原の戦いの故事をご存知ではありませんか? それが善をなそうとするものであれば神は生者と死者を区別しません」
「ですがならば、ならば聖剣を破壊したことはどう説明するのです。聖剣の神子とてその使命を果たすべく力を授かったはず。神子同士が争うことなど聞いたことがありませぬ」
「それに関しては事実の誤認があります。聖剣は消えてはいない。神子同士の行き違いを収めるために一時的に隠されているだけです。彼女にまかせなさい。聖剣は戻り、リッチもダンジョンの第四層からは去るでしょう。そうですね。私が彼女に同行してリッチのもとを訪れ、聖剣を持ち帰ります。それでいいですね」
ここに至ってようやく神官長も黙った。ややあって「聖剣が戻るならば文句はない」と引きつった顔で言った。
セラは膝を抱えていた拳をぎゅっと固く握った。
エルフが滔々と語る言葉の意味のほとんどがセラにはわからなかったが、ひとつだけは理解できた。
このエルフについていけばリッチさんのところに行ける。
神官長がどんな顔をしているかなど、もはや目に入らなかった。




