第百五話 問題だらけの魔王
認識阻害の面をつけたルドルフがセラについてオーガたちの集落に入っていくと、そこは惨憺たる有様であった。
そこかしこに傷を負った魔物がうずくまっている。オーガだけでなく、ゴブリンやオーク、そして獣人とおぼしき人間の姿もある。目につくだけで数十、いや、数百を超える魔物の兵士たちが敗北に打ちひしがれていた。軽く見渡しただけでこれだと、全体ではどれほどの数になるのか。明らかに一敗地にまみれた惨敗のあとだった。生きて戻れなかった数については考えたくもない。
おそらくは攻勢に出た。ルドルフたちの預かり知らぬ間に死霊国と一戦交えたのだ。様々な種族が混在しているところを見るに、この辺りのすべての魔物たちを糾合して大規模に仕掛けたのだろう。だとすれば経緯はともかく、戦いを避けようとしていたディアドロの目論みは失敗したと見ていい。いったいどうして?
セラを経由して聞いたオーガの話だと、ヌイは王の邸宅、ディアドロはなんと牢屋にいると言うことだった。ヌイの知り合いと聞いたせいか、案内するオーガ兵士の物腰は丁重である。
セラはヌイが怪我などしていないか心配して尋ねたが、ヌイはずっとここにいてすこぶる元気だと言うことだった。ゆえにルドルフはひとまず先に牢のディアドロの方を訪ねることとした。いったい何が起こったのか、話を聞くならそちらが適任だろう。
集落を奥に向かって進むと、中ほどまで行ったところで石積みのひときわ大きな建物が見えてきた。あれが王の邸宅であろうということがすぐわかる。ディアドロのいる牢屋はその近所の粗末な建物であった。中に入っていくと薄暗く、牢独特のすえたにおいがただよっている。
「これはルドルフ殿にセラさん。待っていましたよ」
やがて木の格子越しに対面したディアドロは相変わらずニコニコと飄々としている。しかしその頬には明らかに殴られたあとがあり、身なりもやけに薄汚れていた。荒事が苦手と言ってはいたが、ダークエルフがオーガ程度に好きにやられるというのは正直意外である。
「そんな有様で待っていた、とは……いったい何があったのだ」
「まずは彼にここから出すように言ってもらえませんかね。正直ちょっとお腹も空いてますし、喉も乾いているんですよ」
セラが案内のオーガに頼むと、オーガは少しだけ渋ったものの、あっさりとディアドロを解放してくれた。そして隣りの別の建物の一室まで一同を連れて行く。それからオーガの兵士は席を外して部屋の外に控えた。
ルドルフが差し出した濡れ手拭いで顔を拭き、水とパンを軽く口にしたディアドロはようやく人心地ついた。
「まずは順番に話しましょうか」
その話すところによれば、ディアドロとヌイの道行はおおむね順調に推移していた。途中いくつかのゴブリンの集落とオークの集落をダドリーの活躍によって支配下に収め、獣人の集落と同じように専守防衛の約束を取り付けた。そしてここオーガの里でもダドリーはオーガの王に勝ち、オーガたちにも同じ約束をさせたという。ディアドロとしてはめぼしい集落のすべてで守りの算段がつき一安心といったところである。
しかし歯車が狂ったのはその直後だった。
ふとダドリーとオーガの王がヌイの前で談笑している時、ダドリーが「本当は戦って先祖代々の土地を取り戻したいのだが」と軽い調子で言ったのをヌイが聞いた。そしてヌイはダドリーたちの顔色をうかがって次の一言を言ってしまった。
「だ、ダドリーさんたちがやりたいなら、ヌイはそっちでもいいです。どっちの方がうれしいです……か?」
その言葉を聞いたダドリーとオーガたちは狂喜し、ヌイを真の王とはやし立てた。「専守防衛」という命令はここで「積極攻勢」へと上書きされてしまったのだ。
盛り上がりの中心で喜びにあふれつつ照れているヌイ。そのヌイをすぐさまいさめようとしたディアドロだったが、近寄って口を開こうとしたところをダドリーに殴り倒されてこの様だった。槍を手に取ったダドリーをヌイが慌てて止めなければ殺されていたかもしれない。
それからダドリーとオーガの王は獣人、ゴブリン、オーク、オーガらの混成軍を率いて大規模に死霊国に攻め込んだ。ヌイの威光を示すため、とダドリーが道々の小さな集落からも集め引き連れていた者たちだ。その結果が果たしてどうなったかは見てのとおりである。
ディアドロはショートリープの魔術を使えばいつでも逃げられたが、ヌイから完全に目を放すよりは、ここでルドルフらが来るのを寝て待つことにしたのだった。
「いやぁ、これは完全にヌイの性質と能力を見誤っていた私のミスです」
軽いうっかりをしたような調子でディアドロが言った。
ルドルフはその話を聞いて唖然とした。以前、ヌイが魔王になればきっと世界は平和だろうと軽く考えたが、それは大きな間違いだと悟った。
ヌイには王としての武勇もなく、知恵もなく、目的意識もなく、野性的な直感もない。ひとつも、何もないのだ。なまじ集団をまとめて走らせる機能があるくせに、人の上に立つ資質がない王はかえって害になる。周りの声に流されて誰も愚行を止める者がいなかったための末路が今のオーガの里の惨状、そしてかえって死霊国に将来の兵力を提供してしまうという皮肉な結果だった。
獣人集落ではディアドロがヌイを傀儡にしてうまくやったように見えた。それ以外の場所でもうまくやったのだろう。きちんと手綱を取る者がいた結果だ。が、こんなことで破綻してしまうのなら、そうやって手綱を取り続けるのも到底無理な話だ。
思いもよらなかった話の展開にルドルフとセラは絶句する。
「ひとまずヌイのところへ行きましょうか。ルドルフ殿がいれば万一ヌイがダドリーらをけしかけてきても大丈夫でしょう。それでまた守りに専念するように言い含めたら、ヌイが余計なことを言う前に竜のところへ向かいましょう」
ディアドロはさっさとそう提案した。そして部屋の外で待っていたオーガの兵士にともなわれてヌイたちのいる王の邸宅へと向かった。
王の邸宅の中に入っていくと、入り口からふたつ目の部屋にダドリー、それぞれ将とおぼしき風体のオーガ、ゴブリン、オークがでこぼこの背丈で固まって卓を囲んでいた。ダドリーとオーガの将は意気軒高、対するゴブリンとオークの将は疲弊した顔をしている。その間に挟まるように青い顔をしたヌイがいる。
おもむろに部屋に入ってきたディアドロ、そしてセラを見て、ヌイは一瞬うれしそうに目を輝かせたが、すぐに少し怯えたような、頑なな表情となった。
場合によっては一仕事しなければならぬ、とルドルフは面を外して正体をさらす。
ダドリーが嬉々として声を張り上げた。
「おお! リッチ殿! そういえば我らにはリッチ殿がいらっしゃいましたぞ。これなるリッチ殿はヌイ様一の下僕。これで戦況は大きく変わること間違いありません」
その大声にヌイはビクッとして首をすくめる。同席するオーガ、ゴブリン、オークの三名は髑髏頭をさらしたルドルフの姿にややおののいていたが、ダドリーが何やら熱を込めて盛り上がっているのを見て、パチパチパチと手を叩き始めた。人間の言葉が理解できるのかと思いきや、見ればヌイがなにやら通訳している。さすが魔王。魔物との意思の疎通はお手の物というわけだ。
しかしそんな彼らを見てディアドロが首を横に振った。
「ヌイ、彼らに言ってください。戦況も何もこの戦いはもうこちらの負けで終わりました。これからは奪われた土地の奪還は諦めて、残された土地を守って過ごすのだと」
だがヌイはディアドロの言うことを彼らに伝えず黙っている。
「ヌイ」
「ヌイはダドリーさんやほかの魔物さんたちとここで暮らすって決めたんです。だ、だからみんながやりたいって思うことを、ヌイはいっしょにやるんです」
ディアドロが促すようにヌイの名を呼ぶと、ヌイは目を合わせずに下を向いたまま言った。
「ヌイちゃん、それじゃみんな死んじゃうよ。ダドリーさんたちが死んじゃってもいいの?」
見かねたセラがヌイを諭す。
「死なないの! どうしてセラお姉ちゃんまで意地悪なこと言うの!?」
ヌイは涙を目に貯め、セラを見つめて声を叩きつけた。駄々をこねる子供そのものである。
それからヌイがオーガの言葉で何かを言う。続けて人間の言葉でダドリーに言った。
「ダドリーさんはセラお姉ちゃんを懲らしめて!」
するとそれを受けたようにオーガの将が立ち上がり、ディアドロに向かって何かを長々と叫んだ。言葉はわからないが口汚く罵っているのだということはわかる。そしてそのまま腰の剣を抜くと、なんとそれをディアドロに向けた。
だがディアドロに刃が届く前にセラが杖を手にスッとその前に出た。剣はセラの頭を割ろうとする寸前で現出した結界に大きく弾かれる。指輪の結界である。ほぼ同時にセラが放ったゼロ距離からのスタンの魔術がオーガの将を雷撃で痺れさせ悶絶させた。オーガの将は気を失い、その場に崩れ落ちた。
セラは次いでダドリーに杖を突きつけた。そのまなざしは静かな怒りをたたえている。ヌイの言う通りセラに対しながらも、何か躊躇をしていたダドリーはそれきり蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。杖を構える少女を前にして熊のような大男の体が小刻みに震え、脂汗をかいている。
「ヌイ、今ならまだ私は怒りませんよ。彼らに言うんです。今後は二度と死霊国には足を踏み入れず、自分たちの集落を守るようにと」
「ヌイちゃん、言って。『みんな今後は暮らしている土地を固く守って、瘴気の土地に攻めていくことは絶対しないで』って」
ディアドロとセラが口をそろえてそう言うやいなや、ダドリーは一礼をすると慌てて邸宅から外に出て行った。ヌイに別れの言葉すらない。いきなりダドリーに置き去りにされたヌイはその去ったあとを呆然と眺めるほかなかった。
それからヌイはすっかりしょげてしまい、大人しく言うがままになった。ディアドロがゴブリンの言葉とオークの言葉で言うことを、そのままヌイがそれぞれ繰り返す。いつかの腹話術といっしょだ。それを聞いたゴブリンの将とオークの将はややほっとした様子を見せ、競うようにして部屋をあとにした。
やがて目を覚ましたオーガの将にも同じように言い含めると、ルドルフらはヌイを連れて足早にオーガの里をあとにした。ヌイが誰かから変なことを聞けば、また何がどうなるやらわからない。