第百二話 二百五十年の絆
いつの間にかぽつぽつと雨が落ち始めている。
「さて、行こうか」
アクィラがそう言ったところで、二体のゴーストがゆらゆらと彼女の周りにまとわりつき始めた。鎧を着た戦士風の男と、ローブを着た魔術師風の女。ルドルフが先ほど見たゴーストたちだ。いつの間にか近くまで来ていた。
ゴーストたちはだいぶ希薄な存在になっていて、死霊魔術師であるルドルフ以外には何も感じられない。そのルドルフにも会話は無理そうである。だがアクィラに向ける感情はかすかなその表情から理解できた。懐かしさや親しさ。そんなものが読み取れる。どうやらアクィラゆかりの者であることは間違いない。
「太くて長い三つ編みを二つ背中に垂らした魔術師の女性に心当たりはあるか?」
ルドルフはなんとなく見当を付けながらもアクィラに尋ねた。
「どういうことだ? なぜ今それを聞く」
アクィラの顔色が変わった。その髪型の話で明らかに誰かを連想したようだ。彼女はその誰かの髪形や風貌をルドルフに教えたことはない。
「鎧を着たガタイのいい男とローブを着た女のゴーストがお前のそばに来ている。話すことはすでにできないようだが……」
アクィラは辺りを見回すが何も見えない。
「トール! カドーラ! お前たちなのか?」
アクィラが必死になって声を上げると、ゴーストたちはアクィラのそばからふわりと移動して、少し離れたところにわだかまった。そしてこちらを見ている。
「どうやらついてこいと言っているようだ」
ルドルフがそちらに歩むのをアクィラも追った。セラたちも続く。ゴーストたちはアクィラが追いつくたびに同じようにふわりと距離を取って彼女を待った。
そうして導かれるままにルドルフたちが進むと、やがてゴーストたちは一点に浮かび地面を指さした。そこはルドルフが彼らを最初に見た場所だ。
その場所をラエルが精霊に掘らせると、間もなく石造りの祠が姿を現した。薬の賢者の祠である。祠の中には首と左腕の欠けたローブ姿の石像が置かれている。闘神の祠でやったのと同じくすべての土をどけて中をきれいにすると、その像の後ろに何かがあるのがわかった。
それは四肢を失った人間の死体だった。
「ルカ」
祠が掘り起こされるのを固唾をのんで見守っていたアクィラが、その死体の顔を見てつぶやいた。その横ではイーリスが両手で口を覆っている。
「アクィラ……さま?」
アクィラの言葉に反応するかのように、ルカと呼ばれた死体が弱々しく目を開ける。
「これはようやく終わりがきてくれましたか。アンデッドも末期の夢を見るんですねぇ……最期にアクィラ様の顔が見られるなんて、なかなか素敵な夢だ……」
ルカがどこか呑気に言った。
「阿呆」
「え?」
アクィラはルカの残骸を持ち上げると、黙って強く抱きしめた。もう放さないと言わんばかりにしっかりと。ルカは何が起こっているのかわからず、なんならまだ夢の途中だと思っているような顔だ。
「トールとカドーラが、僕をここに押し込んで……」
しかしこれが現実であることに気がついたルカはそれだけ言うと、声を殺して泣き始めた。アンデッドゆえ涙は流れない。だが先ほどからわずかに降り始めていた雨がにわかに本降りとなった。その雫が涙の代わりにルカの頬を濡らす。
「ったく、相変わらずの泣き虫め……」
そう言うアクィラの顔も大きく歪んでいる。泣き笑いの表情といったところだ。イーリスもうれしいような切ないような顔をしている。ルドルフの横でそれを眺めるセラももらい泣きの涙を流していた。
アクィラをここまで導いた二体のゴーストたちは満足そうな、また少し寂しそうな笑みを浮かべると、溶けるように姿を消した。
雨はそれからしばらく強く降り続けた。
その日の宵の口、一行は無事に死霊国を脱し、草の揺れる草原でキャンプを張っていた。雨は上がり、早く流れる雲間からは星ものぞいている。
夏の夜の湿ったそよ風が焚火を揺らす。
「トールとカドーラが、アクィラ様を僕のところまで導いてくれたんですね」
ルカがつぶやいた。
「黙って逝っちまいやがってあいつら。すぐそばまで来てたなら顔くらい見せろってんだ」
アクィラが口を尖らせて言った。
疲れ果てたセラたちが眠りに落ちたあと、満天の星空の下でアンデッドたちは控え目な声で語らっていた。焚火を囲むのはアクィラ、イーリス、ルカ。おまけのようにルドルフ。
ルカは着る物がないので毛布を外套のようにしてかぶっている。欠損していた手足を含めてルドルフにすっかり体を直してもらっていた。
ルカは自分が魔物たちの前に倒れたあの日のことを語った。
戦いの中でアクィラとはぐれ、悪夢のように押し寄せる魔物たちとの激戦の中でルカは四肢を失った。その彼をトールが運んで祠に放り込み、カドーラが魔術で埋めてカモフラージュしたらしい。
ルカがいた祠の中にはトールとカドーラの遺品も落ちていた。業火の神子の従士であることを示す、炎の意匠をあしらった鉢金と腕輪である。後で迎えに来ると言っていたらしいが、同時に遺品を残していったということは、半ば戻らない覚悟もしていたのだろう。
「どうか今後も従士として同行させてください。神子の使命を果たすその日まで」
ルカはアクィラを真摯に見つめてそう言った。
「あったりめーだ。嫌だって言っても引っ張っていく気でいたさ」
アクィラがにやりと笑って応じた。そのままルカと笑いあう。
「こんな日がくるなら、私ももっとみんなと頑張ればよかったかなぁ」
イーリスが少しうらやましそうに言った。それで少し空気がしんみりしてしまう。もともとイーリスの従士は五人いたが、二百五十年の間に一人、また一人といなくなっていき、彼女は百年ほど前に最後の一人を見送っていた。
「ごめん、言ってみただけ。私は何も後悔してないよ。こんな奇跡みたいなことがおきるなんてわかるはずないもん」
しんとした空気を打ち消すようにイーリスが明るく笑った。
彼女は己の従士がいなくなるたびにしっかり心の整理をつけてきたので、アクィラと違ってそのことを引きずってはいなかった。また無理矢理アンデッドにされた者にとって、滅びはある意味安らぎであり幸いでもあった。アンデッドになってからというもの、イーリスは戦いの中で彼らを無理に守ることはしなかったという。
それからイーリスは昨日アクィラと再会した時のことをうれしそうにしゃべりだした。アクィラには二度目である。
「なんでアクィラちゃんいるのかなって、ちょっと思った」
アクィラがゾンビの兵隊を連れていないし、見たことのないきれいな服を着ているので、おかしいな、とは思ったらしい。でも後ろに控えている骸骨はいかにもアンデッドだし、何よりいなくなって不安に思っていた友人が目の前にいるのだ。早く用事を済ませて話をしたい、と思っていたらすっかり不覚を取ってしまった。そう笑った。
やがて同じ神子ということで話題はエゼルのことにも及んだ。
エゼルとは実はアクィラもイーリスもあまり話したことはない。もともと寡黙な男のようだが、そもそもほとんど行動をともにしたことがなかった。アンデッドにされた神子という同じ立場にもかかわらず、エゼルは城塞都市の内部に入ることを許されていたし、そうでない彼女らより重用されていた節があると言う。
八人いた宿将のうち四人を滅ぼし、残る四人もまとめて戦闘不能にまで追い込んだが、リッチキングには一歩及ばなかった、という最強の戦士。従士はたった一人。二人であの宿将を八人も倒すというのはとても尋常ではない。そのでたらめな強さゆえ、リッチキングも彼を別格扱いをしているというわけだろうか。
まあアクィラはリッチキングに対する反抗的な態度があからさまで煙たがられていたと思われるので、それさえ改めれば、彼女ももう少し重用されていたのかもしれない。
「エゼルさんも僕たちみたいに支配を解いてあげられればいいですね」
「だな」
「それよね」
ルカの素直なひと言にアクィラとイーリスが声をそろえる。
ルドルフも機会があればもちろんそうしたいところだ。とはいえ、それは決して容易なことでない。
同じアンデッドでも弱い支配の術にかかっている程度のものなら、ルドルフは手を触れなくても魔術でその支配を解くことができる。だがさすがにリッチキングがかけた術を解くとなるとそうはいかなかった。アクィラやイーリスたちにやったのと同じように、体に触れて少し長い呪文を唱える必要がある。
エゼルにそれをするとなると、怪腕の神子の恐るべき膂力を押さえつけ、しばらく拘束する必要があるのだ。控え目に言って難事である。同じ異能を持つバルドでもそれが可能かどうか定かではない。
だが正面から戦って倒すのと、搦め手にはめて味方にするのとでは、どうやら後者の方がまだ簡単そうに思える。それに味方にすればこれ以上に頼もしい者はない。やはり次はエゼル奪還作戦を考えるべきだろうか。
「すぐには方法が思い浮かばないが、何か手を考えようぜ。というかアタシとイーリスが揃ったなら真っ向からリベンジを挑むのも一興だがなー」
エゼルが最初に大剣を突き立てたのがアクィラではなくイーリスだったら勝敗は変わっていたかもしれない、とアクィラは楽しそうに語った。戦の勝敗にたらればはないが、昼間見たアクィラとイーリスの連携を見ると、それも単なる与太話ではないかもしれない。
そのまま夜がすっかり更けてもアンデッドたちは二百五十年の思い出話に花を咲かせていた。積もる話に終わりはない。ルドルフは彼女らを三人だけにして少し席を外した。