第百一話 炎の矛と無敵の盾
翌日、まだ未明のうちに朝食を済ませた一行は方角を定めて進み始めた。日の出の時間を過ぎてもあまり空は明るくならない。黒い雲が重く垂れこめていて、いつ降ってきてもおかしくないような天気である。日差しがないにもかかわらず少し蒸し暑い。
この日は当初の予定通り、死霊国の領域を強行軍で一気に抜けるつもりだ。ルドルフがセラを抱え、バルドがラエルを背負って行けば、移動速度はかなりのものになる。瘴気の大地を宵のうちには抜けられそうだった。通常は二日はかかる距離である。
進む先は南西。来た方角とは違い、抜ける地点は入ってきた場所よりもずっと南になる。それによって目的地までの距離を稼ぎ、ぴったりディアドロとの約束の日時に合流できる目算だった。
「薬の賢者様の祠はちょうどこの方向だね。少しは探していく?」
イーリスがアクィラに言った。祠の場所はたまたま帰りの方向と重なるらしい。
「へぇ、そうだったのか。でもまあいいさ。本格的に探しに来るのは、リッチキングをぶっ飛ばしたあとってことでな」
時間は切迫しているというほどでもないが、そうそうのんびりもしていられない。
リッチキングがどれくらいの精度で領土内の情報を得ているのかはわからないが、侵入者たちが健在であることや、差し向けたイーリスがその侵入者たちと同行していること、オークゾンビの一団が消えたことくらいは把握しているだろう。
そこに討手が来るとしたら次は確実にもっとやっかいな者が来る。無益な戦いを避けるためにも急ぐ必要があった。
「薬の賢者様の祠、一応このあたりだったはずだけど」
昼に差し掛かった頃イーリスが言った。だが辺りを見回してもその祠は影も形も見当たらない。探すとするとまた時間が必要となるだろう。アクィラは何も言わずにそのまま歩を進める。
「本当に探さなくていいんですか?」
セラがアクィラを慮って問いかけた。
「ん。ああ、今はお前らの安全の方が優先だからな」
アクィラは珍しく優しげに笑うとセラの頭を撫でた。
そんな二人に目をやったルドルフの視界の端っこに別のふたつの人影が映った。はるか遠くにゆらゆらとただよう何者かがいる。死んだ人間の残滓、ゴーストである。それはこの中ではリッチであるルドルフのみに見えていた。
あのようなゴーストは戦場跡では珍しくなく、実は死霊国に入ってから毎日のように出会っていた。だがいちいちかまっている時間も必要もないので誰にも言わず、何も反応しないで来ている。
今回もルドルフがノーリアクションを決め込んだその時、バルドが不意に言った。
「前の方から何か来るようです。なんだかたくさんの大きな動物の足音のような。こちらにまっすぐ向かってきます」
前方には魔物たちの領域と死霊国の境目がある。つまり前線の方角だ。果たして来るのは何者か。バルドの地獄耳のおかげで、先手を取って考える時間があるのは助かる。
「動物の足音ってんなら四足の魔物のアンデッドどもだろうな。なら率いてるのはそんなに大したやつじゃない」
アクィラはそれが討手であることを確信しているようだった。おそらくリッチキングの通達が魔物との前線にいる将にも届いていたと思われる。ルドルフは隠れてやり過ごすことも考えたが、そこでアクィラが前に出た。
「ここはアタシに任せてもらおうか。だいぶ面倒をかけちまったしな。おい、イーリス。やるぞ」
「おっけー。すごく久しぶりだね、このかんじ」
迎え撃つべくアクィラとイーリスが並び立つ。それ以外の者はルドルフが魔術で生み出した岩の影に隠れた。
そのまましばらく待っていると、丘の向こうからきらびやかな鎧をまとって馬に乗った騎士風の男と、それに率いられた巨大な魔物の群れがぞろぞろと現れた。キマイラ、グリフォン、巨大猪、巨大熊、毛むくじゃらの牡牛、魔物の種類はさまざまで名前のわからぬものもあるが、それぞれに威容を放つ魔獣である。すべてが人の背丈を優に超える大きさをしている。そして馬と男を含めて、すべてが生気のないアンデッドだった。
顔がわかる距離まで来ると男はトサカの付いた兜にチョビ髭の風貌であることがわかった。
「チョビ髭か。よしよし、やっぱり雑魚だな」
アクィラが誰に聞かせるでもなく言った。知り合いのようだが見た目通りにチョビ髭と呼ぶらしい。
「これはこれは。そこにいるのは裏切り者のアクィラか。出奔したお前といっしょにいるということは、そこの頑丈な体しか能のない女も寝返ったようだな」
声が届く距離まで来ると、気取ったチョビ髭は名前も名乗らずアクィラとイーリスを見下して言った。
「無理矢理従わされてただけで、最初からそっち側についた覚えはねえ。裏切りとか人聞き悪いこと言うな」
「そうよそうよ。寝返ってもいないんだから」
アクィラが不敵な笑みを浮かべる横で、イーリスは緊張感に欠けた声で抗議する。
「まあいい。貴様がいつかこうして牙をむくであろうことは、我が王はとっくにお見通しだ。すべては王の掌の上。無駄な強がりはやめて大人しく投降するなら、私から王に取り成しやってもかまわんぞ?」
「へぇ、チョビ髭の分際で今日は強気じゃねえか」
「チョビ髭」と呼ばれてチョビ髭は顔をこわばらせた。どうやら蔑称と理解したらしい。
「その軽率な一言を取り消せば、まだ私も寛大な心を示すことができるぞ? お前もこいつらの強さは嫌ほどわかっているだろう。私はこのような結果の見えた争いはしたくない。つまらぬことで王から賜った大切な魔獣たちに傷ひとつもつけたくないのだ」
獣型の魔物を時に魔獣と呼ぶ。この魔獣たちは極北の大戦の折に大挙して侵攻してきたもので、個々の強靭さとその膨大な数でアクィラたちを苦しめたものだった。そのすべてが最後にはアンデッドと化して死霊国に取り込まれたが、そのごく一部をチョビ髭は王から授かり、信任の証として大切に率いている。
「ちょうどそいつら目障りだからいつか燃やし尽くしてやろうと思ってたんだよ。ある意味探し物は見つかったな。お前のほかにそのクソ魔獣ども賜ってる奴は誰だ? 全員の居場所を教えて、そいつらを置いていくならお前は見逃がしてやってもいい」
もしかすると自分の従士たちをバラバラにした魔獣もこの中にいるかもしれない。この戦いを弔い合戦の一環と位置づけたアクィラの目が鋭く光った。
「ならばこの場で散れ。愚か者め」
チョビ髭が右手を振り下ろして号令を下した。その右手側に控えていた数十体の魔獣たちが地を揺らしながら突撃してくる。その膨大な質量の波に巻き込まれればアクィラと言えど粉々になってしまうだろう。だが到底そうはならなかった。
「イーリス」
「任せてよ!」
アクィラが声をかけると、イーリスが両手を前に出して何かを仰ぐように大きく広げた。その前に巨大な障壁が展開する。半透明に光る様は魔術で作り出したシールドやシェルに似ているが、それとは似て非なる何かだ。まるでそそり立つ城壁のように広い範囲を覆っている。
魔獣たちはそれにかまわず突進するが、重量級の魔獣が次々に激突してもその障壁はビクともしなかった。魔獣たちは弾き返され、自分たちの作り出した勢いと重量によって大きく傷ついている。牙や爪が折れ、顔や手足が砕けているものもある。
「なんだこの奇妙な壁は? アクィラ……ではなく、頑丈女? なぜこんな力を持っている!」
イーリスの名前を憶えていないらしく頑丈女と呼ぶチョビ髭が想定外にうろたえている。
「私だって本気を出す時と場所は選ぶんだから」
アンデッドでいる間、イーリスはずっとこの力を見せたことはなかった。彼女がリッチキングから下される命令は、いつも「敵を撃滅しろ」であって「味方を守れ」ではなかったからだ。
「そら、何もできずに燃えちまいな」
アクィラの炎が燃え上がった。障壁の向こう側でひたすらに体当たりや引っ掻きを繰り返している魔獣たちを一方的に襲う。魔獣のアンデッドたちは、それぞれが元はかなり高位の魔物だったようで、アクィラの炎でも容易には焼き尽くせなかった。しかし焚火にくべられた生木もやがて火を噴くように、さほど間を置かずして炎に包まれ勢いよく燃え始めた。
「バカな……王から賜った我が魔獣たちが……」
チョビ髭の思惑ではアクィラの炎が魔獣らを焼く前に、魔獣たちの方がアクィラを蹂躙しているはずだった。頑丈女の体は壊れないだろうが、あれにこちらを攻撃する能力はないので、アクィラを片付けてからゆっくりと捕まえればいい。そう考えていたに違いない。だが実際はこの有様だ。
「お前も燃えとけ」
突撃してきた魔獣たちがほとんど動けなくなると、呆然としているチョビ髭を炎が包んだ。それがチョビ髭を逆に正気に戻す。アクィラの炎はチョビ髭とまたがっている騎馬になんの影響も与えていない。どうやら強力な耐火装備に身を包んでいるらしかった。リッチキング謹製の魔道具といったところだろうか。
アクィラとイーリスの連携にいいようにやられたチョビ髭だったが、彼も一応はリッチキングに一団を任される将だ。この場は打つ手なしと見るや素早く次の判断を下した。
「魔獣どもよ、あいつらを足止めしろ! 私はこのことを王にご報告しなければ」
チョビ髭は残り半分の魔獣をけしかけると、自分がやってきた方向に向けて一目散に逃げだした。悪くない判断の早さだった。
「逃がすわけねーだろ。イーリス、いったん守りを解け」
「はぁい」
だがアクィラの判断も早かった。
すぐさまチョビ髭に向けて右腕を突き出す。赤竜の炎の構えである。一拍の間をおいて放たれた白い光はチョビ髭を乗騎もろとも飲み込み蒸発させた。そのままアクィラが腕を横に振ると、その炎は突撃してくる魔獣たちをも余波で薙ぎ払い消滅させる。あとには焼け焦げた大地が残るのみである。リッチキングの与えた耐火装備も、赤竜の炎の前では何の意味もなかった。
「やったねっ」
イーリスがアクィラとハイタッチする。
ルドルフはかつて対リッチキングにと送り込まれた二人の神子のコンビネーションの凶悪さにない舌を巻いていた。これは軍勢を相手にするにはまさしくもってこいの二人だ。




