騎士団を辞めたい、俺。
「はあ……疲れた……」
日が照り付ける騎士団の訓練場。
その隅で呼吸を整えているのは、俺だ。
ギリギリだった。
数少ない休みで、急いで”門”へと向かい、速攻で試練を乗り越え、帰る。
一番近い門ですら、この疲労だ。
騎士団に入って、そして騎士になって早五年。
師匠アルムから戦いを教わっていた時期を含めると、それ以上になる。
俺はこの世界でいうところの立派な大人となり、今では日々の任務に辟易としていた。
「どうしてこうなったんだろうな……」
思わず出てしまった愚痴。
前世の”俺”が抜けず、なあなあで日々の仕事をこなしていたら、もうこんな年齢だ。
俺も成長し、女性としては高い身長と、胸すらスラっとした体型は、戦闘に最適化されている。
長い黒髪は後頭部で一つに結ばれ、いわゆるポニーテールだ。
切ってしまおうと考えた事もあったが、時間というものを忘れないためにわざと伸ばした。
ただ、流石に邪魔だからまとめた。
「昨日の光景を思い出せ。目的を見失うな」
自分にそう言い聞かせ、記憶を取り出す。
……
ここは”門”のある街。
肩で息をしながら、俺は急いで門へと向かう。
「時間は……大丈夫か」
スライディングを繰り返し、加速する。
ギルドと呼ばれる建物に入った時、何かにぶつかった気がしたが、気にしない。
「変更点はなし、と」
そして壁に載せられた門の内部の情報を確認しながら、スクワットをする。
俺の癖だ。
少しでも時間を無駄にできない。
先ほど確認した門から流れ出る魔力の波。
それによると、まだ時間に余裕がある。
ひたすら屈伸運動をしながら、情報を仕入れた。
少しの時間の後、ギルドを出て、門へと飛び込む。
「成功だ……」
地面へと着地した両足の感覚、視界に広がる草原。
俺の想定通りだ。
数々の試行の末、俺が見つけた門の仕様。
門の内部に入った時点での初期位置は、ランダムだ。
ただ、第一段階の森のステージを進んでいては間に合わない。
邪魔なトラップに、死角から襲ってくる挑戦者狩り、対応が面倒なのだ。
あと単純に、俺は方向音痴だ。
門から流れる魔力の波を分析することで、ある程度初期位置を調整できる、という事実を見つけた時は嬉しかった。
いつも森の中の脱出地点から、渋々帰っていたのだ。
着地地点、足元に人の気配がしたが、気にしない。
俺はスライディングの加速で、急いで草原の中央へ向かう。
今日こそは、ボス戦まで進みたい。
草原の中央に見えるのは、ボス戦へと続く穴。
俺は、周りに隠れていた挑戦者狩りに殺気を当て、気絶させる。
時間がない、今日はいけそうなんだ。
それから穴に張る黒い膜に飛び込み、洞窟へと続く通路へ降り立った。
「おお……ついに、だ……」
洞窟の天井付近に出た通路の先から、下を眺める。
鎮座しているのは重騎士。
あいつを倒せば、この試練は終わるだろう。
周りにいる複数の気配を無視して、俺は準備を始め……
「……てる場合じゃないな。当たって砕けろ」
そのまま出口から飛び出した、俺。
ぐるぐると回り、背負ったアイテムポーチで装備品を出したり入れたりする。
それから頃合いを見計らって、空中に浮いたまま、右人差し指にはめた指輪から金属の塊を出した。
これは、第三段階装飾型魔導具”鋼”。
高硬度の金属塊を生成することができる。
最大でも小指程度の大きさしか出せないため、使いどころが難しく、王城の倉庫に眠っていた。
俺がありがたく使わせてもらっている、というわけだ。
俺は、出した金属塊を人差し指の先で弾く。
あまりの加速に閃光を発しながら、それは重騎士の……頭上を大きく外れた。
金属塊は重騎士の背後、岩肌に当たり、大きな窪みを作った。
俺は地面に着地し、大きなため息をつく。
「はあ……計算がズレたか……」
高さにタイミング、回転の数に金属塊の射出速度、考えなしにやってしまった結果だ。
重騎士は動かない。
このボスは敵意に反応するタイプだ。
俺は長年の鍛錬によって、自分の殺気を完全にコントロールしていた。
それに関しては、師匠に念入りに教えられていたからだ。
トリックショットに無関係のため興味がなかったが、役に立つみたいだ。
「ちがうな。ボット相手に決めても、つまらない」
俺は岩肌をよじ登り、元居た天井付近の通路出口へ戻る。
途中、他の出口で身を潜めていた挑戦者と視線が合ったが、すぐに目を逸らされた。
試練の初期位置へと戻った俺は、胡坐をかいて条件を整理する。
「装備の出し入れは、あと一回追加できるな……もっと地面に近い位置で最後の……」
下から戦闘音が聞こえるが、気にしない。
もし倒されても、どうせ新たな敵が現れる。
焦っていては同じ失敗するだけだ。
「これで、完璧なはず」
計算が終了した俺は、出口付近へと歩き、殺気を出す。
重騎士から、こちらに向かう魔力の流れを感じた。
「ふん、ふふふふーん、ふ、ふふふふーん、ふ、ふふふふふんふふーん……」
俺の中で、確定演出が始まった。
前世で見たトリックショットの編集動画に使われる音楽が、脳裏を流れ始める。
ゾーンに入った。
全てがゆっくりに見える。
「ふ、ふふふん、ふ、ふふふふふふ、ふーんふふーん……」
音楽が小休止に入り、溜めが作られる。
俺は出口から飛び出した。
勢いそのままに体を回転させる。
アイテムポーチから剣、杖、盾、ポーションを飲ま……ずに地図。
「ふふふふ、ふーふ、ふ」
流れる音楽の盛り上がりが最高潮に達した時。
俺は指先で金属塊を撃った。
それは重騎士の額を貫き、地面を爆発させる。
俺の視界に、大量の歓声が色とりどりの文字列として流れる。
それと同時に、ラッパの音、そして叫び声にも似た周囲の喜びが、心地よく耳に響いた。
俺は地面に降り立ち、天を仰ぐ。
計算し尽くされた、美しいトリックショット。
最高、だ──
……
「よかった……」
昨日の成功を脳内で再現し、俺は愉悦に浸った。
興奮が冷め止まないのか、体が震えている。
あの後、挑戦者狩りに襲われ余韻を台無しにされたが、それはそれだ。
そもそも俺は、対人戦闘に特化するように育てられた。
あの程度、宙に舞う埃を払うがごとく対処できる。
「でも、疲れた……」
口癖なってしまった言葉。
門から脱出した後、騎士団の本拠地まで全力で走って帰った。
碌な睡眠も取れず、今に至る。
このままでは過労死してしまう。
前世の二の舞は勘弁してほしい。
行動するしかない……
「これはなんだ?」
小さな執務室で、俺は師匠兼上司のアルムから鋭い目を向けられていた。
「退職届です」
「ふざけてるのか?」
机に置いた一枚の紙、それは騎士団を辞める意思を伝えるものだ。
「いえ、本気です。私に夢を追わせてください」
「却下だ」
アルムは躊躇することなく退職届を燃やした。
すごいな。
こんなブラックな職場、今時珍しい。
俺はその光景を淡々と見つめていた。
「私は魔法を使えません。それに、ここには優秀な騎士が揃っています。もはや、私の存在理由はないかと」
続けて、もっともらしい理由をつけてみる。
俺は最後まで、魔法を使うことがなかった。
魔導具を使った物理攻撃のゴリ押しが最適解だと、師弟共々で結論を出したのだ。
「”試練”を受けたいのか?」
アルムは俺の意図を見透かしたように聞いてくる。
「はい」
俺は誤魔化すのが無理だと判断し、正直に答えた。
夢を応援してくれる師匠だ、きっと分かってくれる。
「騎士では物足りなくなったか……」
いや、違う。
流石の俺でも、現実世界で人間相手にトリックショットを決めたりしない。
それくらいの分別はついている。
哀愁を帯びたアルムの目に、俺は困惑した。
「だが、却下だ」
「そうですか……」
「ああ、今の挑戦者に”挑戦”の志はない。足の引っ張り合い、実にくだらない世界だ」
「はあ……」
俺は視線を落とし、自分でも分かるくらい落ち込む。
「だが、良い機会だ。長期の休暇をやる。満足したら帰ってこい」
「ありがとうございます……」
きっとそんな俺を哀れんだのだろう。
アルムの気遣いに俺は頭を下げ、執務室を出た。
期間のない休暇、それはそれで怖い。
帰らないといけない恐怖に怯えながら、俺は夢を追わないといけないのだ。
「せんぱーい、羨ましいなー」
今後のことを考えながら歩いていると、廊下の角で話しかけられた。
波打つような金髪に、俺の視界は遮られる。
「休暇なんて、羨ましいなー」
「レーヴ、君ならいつでもとれるだろ」
俺に高い声をかけてきたのは、姫騎士レーヴ。
イディル王国の第三王女で、この騎士団の一員だ。
まさか発案者自ら、騎士として前線に立つとは思っていなかった。
『皆にだけ汚れ仕事をさせたくない』という何とも高貴な思想の元、ここにいるらしい。
彼女は魔法を巧みに操り、戦闘能力に関しては問題ない。
姫騎士って本当に存在するんだ、と感心したのは良い思い出だ。
「先輩、逃げるつもりですか?」
「聞いていたのか」
レーヴの目が怖い。
彼女が俺に向ける視線は、いつも謎の光を含んでいた。
そもそも年齢は同じで、俺の身分の方が遥かに低いのに、先輩呼びだ。
俺は最初こそ礼節を持って、レーヴに応対した。
しかし、途中から面倒になって、普段の自分で接するようになった。
そうしたらなぜか、彼女は俺に対して距離を縮めてきた。
「ねえ、逃げるんですか? ねえねえ……」
レーヴの声がどんどん低くなっていく。
「それは無理だ、諦めた」
「ですよねー。先輩は、私の騎士ですからね!」
確かにそうだが、そうではない。
俺は、イディル王国の第三王女から騎士の叙任を受けた。
その事実がある以上、レーヴの騎士ではある。
だが、彼女の言い方には、何か、含みがあるように感じた。
「ああ、そうだな。俺は用事がある、話なら後にしてくれ」
俺はレーヴを置いて、足早に去って行く。
彼女から発せられる魔力の流れは、なぜか俺に向かっていた。
魔力に関する謎は増えるばかりだ。
そして何より、怖い。
背後から聞こえた『逃がしませんよ』という声に、背筋を凍らせる。
俺は建物から出て、空を見上げた。
青く澄んだ綺麗な空だ。
俺の苦悩がちっぽけに見える。
悩みがあったら、一旦落ち着こう……
よし、やめよう。
絶対に辞めてやる。
俺は気合新たに、進みだす。
長期休暇からの自然なフェードアウト、これでいこう。
「退職の自由は、労働者の権利だ」
そう自分に言い聞かせると、気分まで晴れやかになった。
明日から俺は、挑戦者だ──