画面端で変な動きしてる奴、誰?
『”試練”で得たものは、世界を変える力となるだろう』──名もなき英雄
遥か昔、世界に”門”が開いた。
虹色に輝く光の膜、その先には異空間が広がっていた。
我先にと、人々は門の奥へと進んだ。
ある者は廃人となり、またある者は亡骸すら帰らなかった。
それでも、勇気ある者は死地へと向かった。
いつからか、彼らはこう呼ばれた。
挑戦者、と──
------
「つまらない」
挑戦者ひしめく通りで、一人の女が愚痴をこぼした。
彼女の名はリュゼ。
人々が薄汚れた重装備で全身を固める中、肌を露出させ、傷一つない軽鎧が一際目立つ。
「全員、深部に進む気すらないわね。門のおこぼれにたかってるだけだわ」
長い銀髪を揺らしながら、リュゼは歩く。
軽蔑したような目を周囲に隠そうともしない。
しかし、声をかけられることはなかった。
それは、彼女の鎧に付けられた紋章の意味を皆知っていたからだ。
門の近く、古びた建物の前で、リュゼの進路を二人の大男が塞いだ。
一人は値踏みするように彼女を見る。
そしてもう一人は、顔を赤くして怒りに震えていた。
「英雄の子孫様が、護衛もつけず散歩とは……呆れちまうな」
男は眉を小刻みに動かし、右手を剣にかける。
「こいつを攫っちまえば、わざわざ門で稼ぐ必要はないですぜ」
値踏みをしていた男が、下卑た笑いと共に、リュゼに手を伸ばした。
リュゼは心底興味が無さそうに、魔法を使おうとした。
ここまでの道中、何度も起きたことだ。
瞬間、男たちが吹き飛ばされる。
彼らはそのまま、向かいのゴミ置き場まで吹き飛ばされ、気を失った。
今、男たちの足元を何か、人のような……
あり得ない。
地面すれすれを高速で移動する人間がいるはずがない。
リュゼは首を振り、現実から目を逸らすことにした。
きっと、魔法の暴発でもしたのだろう。
実力に見合わない魔導具を身に着けていたことだ。
リュゼは気を取り直し、目的地の建物の中に入る。
ここは挑戦者たちが情報を交換する場、ギルド。
壁にはパーティの募集や、門から得られる素材の相場が張られている。
「ここも、つまらないわね」
中にいる挑戦者たちを見て、リュゼは落胆した。
全員が素材を集め、それを売ることに目的が移っている。
かつての英雄が求めた挑戦は、どこにもなかった。
リュゼは、受付で座っていた職員らしき女に話しかける。
せめて、”門”の情報だけでも聞いておこう。
「ようこそギルドへ。どのようなご用件でしょうか?」
受付嬢は作られた笑みで、リュゼに対応した。
「ここからはどこまで行けるの?」
「そうですね、現在は第二段階まで確認されています」
リュゼは歯ぎしりをする。
ここの門が比較的新しく現れたものだということは知っていた。
それでも、たったの二段階……
かつて祖先が踏破した第七までは、遠い道のりだ。
「ありがとう。挑戦の印を置いておくわね」
リュゼは一枚の紙を差し出す。
それは誓約書、挑戦者が門へと進む際に申請する決まりとなっている。
門の奥で不都合が起きた時の念書みたいなものだ。
「お一人で挑戦するおつもりですか。いえ、あなた様の実力は分かっているのですが……」
受付嬢は何かを言いたげだが、リュゼの目力に負け、身を引いた。
リュゼはそのままギルドを出る。
先程から、壁際でひたすら屈伸運動をしている”誰か”がいたが、気にしない。
門の内部、ここは第一段階と呼ばれる広大な空間だ。
この世界のものとは思えない程高く、天まで伸びる木々は視界を遮り、木漏れ日差す空が辛うじて青色だということが分かる。
どこまでも広がる森の中、時折、周りからは叫び声が聞こえた。
「この程度でやられるなんて、最近の挑戦者の実力も知れてるわね」
木々から伸びる蔦が、リュゼの首を刈り取ろうとするが、彼女は埃を払うがごとく自然な動作でいなす。
本来ならば、地面に設置されている仕掛けを踏むことで発動する罠なのだが、彼女はそれを気にする素振りなく、淡々と進み続ける。
しばらく森の中を歩き続け、リュゼは草原へと辿り着いた。
道中、攻撃してくる敵、いわゆる魔物に襲われたが、第一段階程度で止められる彼女ではなかった。
リュゼは開けた空を見上げ、腰に下げたアイテムポーチから水を取り出した。
多量の物資を保管できるこの魔導具も、門の試練で報酬として得られるものだ。
これがなければ、第二段階以降に進むことはできない。
それほどまでに、門の中での挑戦は長期間となる。
「気づいてないとでも思った?」
リュゼは振り返らずに問いかけた。
巨大な木の陰から、二人の大男が出てくる。
街で彼女に絡んでいた男たちだ。
「さっきはよくもやってくれたな」
頭に包帯を巻いた男が、剣を構える。
「命までは取るつもりはなかったんだぜ?」
もう一人の男も無骨な剣を肩に置き、威圧してきた。
リュゼは呆れた。
本当につまらない男たちだ。
こいつらが同じ挑戦者だという事実すら、苛立ちへと変わる。
もういい、殺してしまおう。
どうせ挑戦の印を出していないだろうし、事故として処理してしまえばいい。
男たちはゆっくりと進む。
それから二人は同時に駆け出し……
空が光り、男たちが立っていた地面が爆発した。
リュゼは、杖を前に掲げ警戒し、状況を把握する。
土煙立ち込める中、人影が一つ。
「成功だ……」
満足気な声と共に人影は消えた。
開けた視界の先には、大穴の中で横たわる男が二人。
リュゼは無視をして、草原を歩き出す。
土煙から飛び出た”誰か”。
足を突き出し、地面を滑るように進んだかと思えば、体を起こす。
そしてまた、地面を滑り、起き上がる。
あまりにも変な動作をしていた、人間だった。
いや、あんな移動方法を持つ人間などいない……
「きっと魔物ね、絶対そうよ」
リュゼは頭を振り、記憶の中の光景を改変する。
こうして、不運にも魔物に襲われた男たちが出来上がった。
リュゼは再び歩き出す。
何事もなかったように、気にしたら負けだというように。
草原では、魔物に襲われることは少ない。
それ以上に他の挑戦者から狙われる。
複数の視線は感じていた。
襲ってこないということは、実力差を理解しているということだ。
草原の中心、小さな穴が見える。
黒く淀む光の膜が張ってあるそこを落ちれば、第一の試練が待っているだろう。
穴の周りには死屍累々の山があった。
「全員、気を失っているわね……」
第一段階には不釣り合いの装備を使っている男女は、いわゆる挑戦者狩りだ。
門から出るには二つの方法がある。
空間内でランダムに現れるの穴を探すか、試練を乗り越えるか、だ。
確定の脱出手段である、試練へ通じる穴。
その周囲には、素材や装備を横取りしようとする卑怯者たちが待ち構えていた。
「さっきの人……いや、あれは魔物よ」
記憶がぶり返しそうになったのを、直前で止めた。
リュゼは思考を切り替え、穴に落ちる。
どうせ第一段階、ただの予行練習だ。
両足が地面を踏む。
薄暗い通路を進み、開けた場所へと出る。
リュゼが辿り着いたのは、巨大な洞窟内だった。
松明が点在するその場には、地面から天井まで、通路の出口が複数確認できる。
「あれが、試練ね」
リュゼの目の前には、剣を地面に突き刺し、片膝を着く重騎士。
まるでお手本のような騎士の見た目から、強いオーラが溢れていた。
それはいい、想定内だ。
「なんなの……」
思わず漏れた言葉。
洞窟の奥、重騎士の背後、ごつごつとした岩肌には大きく開いた窪み。
それは自然にできたものではない。
門の内部は常に修復され、新しくなっている。
それは試練の場でも例外ではない。
試練が乗り越えられたその時から、場は元通りになろうとする。
そういった事実から、試練は始まっており、この場に他の挑戦者がいるということが分かった。
「誰か居るの!? 時間も無いから攻撃するわよ!」
リュゼは叫んだ。
洞窟内に声が反響する。
反応はない。
彼女は諦め、魔法を使おうとアイテムポーチから杖を取り出した。
反応した重騎士が動き出す。
「攻撃三段階、火」
低く冷静な声の後、杖から火球が発動された。
火球は重騎士を包み、天井まで昇る火柱を上げる。
魔法とは、過去の英雄が持ち帰った”力”だ。
試練の報酬として稀に得られる魔導書、それを読み解くことができた実力者は、理外の力を行使できる。
リュゼが使ったのは第三段階の魔法。
現在判明している最高位、第七には程遠いが、それでもこの世界では上位に位置する。
普通の挑戦者では、生涯かけても第二までしか使えない。
「自力で得たわけではないのが、悔しいわね……」
家の書庫にあった魔導書を読んだだけだった。
先祖の努力を勝手に借りたことに申し訳なさが残ってしまう。
リュゼは終わったことだと気持ちを入れ替え、小さくなる火柱に向けて歩き始めた。
さっさと次へ行こう。
先は長い、長すぎる。
火柱が消え、無傷の重騎士が現れた。
「な!? 防御二段階、土!」
投げられた両手剣を、土の壁を出して止める。
土壁が崩れ、重騎士が剣を地面に落ちる前に握り、駆ける。
リュゼはアイテムポーチから、剣の魔導具を取り出し、慌てて受け止めた。
剣戟が続く。
彼女は剣士ではない、完全に押されていた。
「くそ、雑魚共が……迷惑ばかりは一丁前ね……」
考えられる理由は、一つ。
第一段階程度の重騎士がここまで強いはずがない。
つまり、試練の仕様だ。
同一試練への参加者が増えるごとに、難易度は上がっていく。
複数人での攻略を防ぐための措置だと思えば当然かもしれない。
洞窟内に点在する通路の出口から、リュゼは複数の視線を感じた。
最悪だ。
重騎士が弱った、または倒された瞬間、全員が出てくるだろう。
報酬の横取りだ、目的は分かっている。
「どれだけ隠れているのよ!?」
リュゼは重騎士の攻撃を何とか躱しながら、悪態をつく。
この重騎士は、攻撃の意思を感じた相手に襲い掛かる。
挑戦者狩りの全員が息を殺し、彼女の戦闘を見ていた。
魔法を使おうにも、隙はない。
防戦一方のリュゼは、ついに壁際へと吹き飛ばされてしまった。
「幸先が悪すぎる、わ……」
口から血を吐き、リュゼは剣で体を支えるように立ち上がる。
重騎士は動かない。
周囲から一斉に放たれた敵意に反応ができず、固まったようだ。
今の洞窟内の状況は、大体のところ予想ができた。
横取りしようとした挑戦者が多すぎて、試練の難易度が上がり、彼ら自身出るに出られなくなったのだろう。
びくびくと通路で身を潜めるだけ。
くだらない、本当にくだらない……
挑戦の真逆と言ってもいい醜態に、甚だ呆れる。
リュゼは奥の手をアイテムポーチから取り出そうとした時、ある違和感に気づいた。
試験を一時中断させてしまうほどの敵意、いや、殺気が一ヶ所から発せられていた。
リュゼは殺気の出所を探る。
首を痛めてしまったのか、顔を上げることができない。
そえでも洞窟の天井近くから、何やら鼻歌が聞こえた。
閉鎖された空間に、この世ならざる軽快なメロディが流れる。
『ふん、ふふふふーん、ふ、ふふふふーん、ふ、ふふふふふんふふーん……』
歌なのかどうなのか、上手いのか下手いのかすら判別不能だ。
『ふ、ふふふん、ふ、ふふふふふふ、ふーんふふーん……』
謎の溜めが作れられ、通路の出口から”誰か”が飛び出す。
地面までの距離は長い。
誰かは、空中でぐるぐると回る。
意味が分からない。
誰かは回転しながら、背負ったアイテムポーチから装備を高速で出し入れする。
剣、杖、盾、ポーションを飲ま……ずに地図。
何がしたいの?
『ふふふふ、ふーふ、ふ』
そして、再開された鼻歌のが盛り上がりの最高潮に達した時。
誰かが伸ばした右腕から、一閃の光が撃たれた。
その光は重騎士の頭部へと延び、爆音と共に地面を抉る。
リュゼは啞然とした表情を隠そうともしない。
口を半開きに、視界の右上から右下に落ちた誰かを追っていた。
重騎士の眉間に穴が開いている。
試練が終わった。
誰かの顔が露になる。
被っていたフードが、地面に落ちた衝撃で脱げたようだ。
「美し……い?」
目の前の光景に、リュゼの脳は混乱していた。
洞窟に立つ、誰か。
サラサラの黒髪を後頭部で一つにまとめ垂らす、誰か。
長い切れ目の凛々しい顔を恍惚と輝かせる、誰か。
美人というより、カッコいい。
そんな人が、あんな奇行をしたのか……
重騎士が消え、報酬の魔導具が浮かぶ。
それと同時に複数の挑戦者狩りが、通路出口から一斉に”誰か”を襲った。
誰かは、アイテムポーチから剣を取り出し、目にも止まらぬ速さで振る。
放たれた斬波が、襲った愚か者の首を一つ残らず刈り取った。
そして誰かは気にすることもなく、地面に現れた二つの穴の内、脱出用の方に向かった。
「待って!」
リュゼは声を振り絞って呼び止める。
それでも誰かは、彼女にも報酬にも興味を示すことなく、穴に落ちて行った。
「本当になんなの……」
リュゼはポーションを飲み体を回復させ、空中に浮いた魔導具を手に取った。
報酬を受け取らない挑戦者なんて、聞いたことがない。
「べ、別に、届けてあげるだけなんだから」
そう言った彼女は、迷いなく脱出用の穴を選んだ。
街の門へと続く、長い暗闇。
落下していく浮遊感を感じながら、疑問が再燃する。
──視界の端で変な動きをしていたあの人、誰?