Aegu
「さよならだ、エルシー」
︎︎男がそう呟くと「蓋」が崩れ、鉄と瓦礫の雨が街全体に落ちていく。
︎︎雨は建築物に降り注ぎ、その破片がまた雨となりさらに下の建築物へと降り注ぐ。
︎︎下層では雨が地面に落ちた音と、人々の泣き叫ぶ声が入り交じり、地獄のような光景が脳裏に浮かぶことはそう難しくない。
︎︎その光景を作った男は世界が終わりゆく流れをほんの数分ほど見たあと、満足したかのように足場から身を投げ出し、1つの雨粒となった。
︎︎降りしきる雨の中、とうとう私たちがいた場所も崩れてしまう。
︎︎片翼では空も飛べるはずもなく、奈落の底へ突き落とされていく。
「エルシー!」
︎︎重力に殺されようとしてる最中、1人の青年が私の名前を叫んだ。
「覚悟はもう決めてる、だから!」
︎︎青年の瞳に一切の迷いはなく、むしろ早くしろと言わんばかりに私に訴えかけてくる。
︎︎だからこそ私はしたくなかったのだ。
なぜなら私は
彼の信念を知っているからだ。
彼の覚悟を知っているからだ。
彼の笑顔を知っているからだ。
彼の愛情を知っているからだ。
もう、彼を傷つけたくなかったのだ。
︎︎それでも私は彼に口付けを交わした。ここでしなければ過程も結果も全て無駄に終わってしまう。
︎︎それは彼に与えた「祝福」であり、「呪い」。
︎︎だからこそあのときよりも永く、深く、私だけでも思い出を忘れないように口付けをする。
︎︎口付けが終わり、涙を浮かべながら私は秘めていた彼への想いを告げた。
「愛してる」
︎︎瞬間、目の前が真っ暗になり、私たちが住んだ世界、超巨大地下都市ハナゾノは終焉を告げた。
■□□
(ここは…)
︎︎目覚めた私は虚ろな目で現状を分析する。
︎︎床はコンクリートで部屋というより独房のようにな雰囲気であり、生活感など一切なく、目の前は硝子で覆われている。
︎︎床には普通の人なら食べないようなペースト状の食事がぶっきらぼうに置かれていた。飲み物は灰色の袋にパック詰めされており、中身は外から見ただけじゃ分からないようになっている。右足は鎖に繋がれていて逃げることはできない。そして何より
(背中が焼けるように痛い…)
︎︎背中に今まで感じたことないような痛みが襲っている。今まで実験による痛みを受けてきたがその治癒能力で回復してきた。だが今回の痛みはその能力を使っても癒すことが出来ない。不思議に思った私は翼を前にして確かめる。
(やっぱり無い…)
︎︎私の背中に右翼が無く、背中に力を入れると増帽筋が引き裂かれるような痛みが襲ってくる。
︎︎すると、私の意識が戻ったのを知ってか仮面を被った人々が私の周りに集まってきた。集まった人たちはノートで私のことを記している。私は「前回」と同じように質問する。
「ねえ、私の翼はどこにあるの?」
︎︎質問に対する答えは返ってこなかった。まるで聞こえなかったかのように黙々と人々はノートをとっている。
(返って来ないのね、となると…)
︎︎「前回」と一緒だ。きっと仮面の下の目は感情がこもってないのだろう。私をケージに入れられた実験動物であるかのように接している。
︎︎静寂の中にノートをとる音だけが聞こえてくる中、彼らとは違う仮面を被り、ローブに包まれた1人の男が2人の従者を連れて私のところにやってきた。
「やっと起きてくれたのかい、エルシー!」
︎︎久しく会えなかった恋人に会えたように嬉しそうに言い、そのあと男は私の片翼だけになった背中を見た。
「いやあ、生きててよかったよ!いちばん強い麻酔はしているはずなのに暴れたから本当に困ったらありゃしない!お陰様でうちの手術室が大変なことになってしまったよ」
「あなた、私の翼はどこにやったの?」
「君の翼か?ここにある。」
そう言うと男はローブを従者に脱がせ背中を見せる。
「………ッ!」
︎︎男の背中には私の翼があった。まるで産まれたときから生えていたかのように縫合は綺麗にされており、私のとは違い、血や汚れなど一切ない。
「本当に美しい翼だ。君も鳥籠に閉じ込められてなければ今頃『大空』を飛んでいたんだろうね」
男は私の一部だった翼を新品のHERMESのシルクのように愛撫する。
「ふざけたこと言わないで!」
怒りに任せ左翼から『力』を放つ。私より前の床はひび割れ、正面の硝子は発泡スチロールのように粉々に砕け散った。砕け散った硝子は散弾のように男たちに向かっていき、身体を撃ち抜いていく。
「鳥籠に閉じ込めたのはあなた達でしょ!?まるで私が最初からここにいるかのように言わないで!あなた達はどうして私たちを襲っているの!あなた達の目的は一体なんなの!!」
︎︎肉塊だけが残る部屋で私は泣き叫ぶ。もうどこにも向けることができない怒りの矛先を収めることが出来なかった。
︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎否、居る。
︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎ただ1人を除いて。
︎︎私から一番近く、最も硝子を浴びたであろう男が無傷でヘラヘラしながら呟いた。
「痛ってえ〜危うく死ぬところだったわ」
︎︎「よいしょ」と言って男は立ち上がり、大股で私に近づくとすぐに両肩に手を置き思いっきり前後に揺らす。
「エルシー!君の力は本当にすごいよ!仲間たちはもうただの肉になっちまったけど僕だけが生き残ることが出来た!やはり君は都市の救世主だ!」
興奮した彼は勢いのまま両腕を掴んで私を投げ飛ばす。
「ーーーーーーッ!!!!」
服を着ているとはいえ、諸に背中から受けてしまった。名状し難い痛みが私を襲う。痛みを乗り越えようとしている矢先、男が右翼があった部分を踏みつける。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「あぁ、ごめんねエルシー。痛かったよね?でも肉になっちゃった仲間はもっと痛かったと思うんだ。なんせ即死だからね。だからこのぐらいは我慢できるよね?」
そう言いながら傷口を硝子が刺さった足でえぐり続ける。
︎︎抉り続けて約5分。呻き声も出なくなったのを確認したのか男は足を退け、出口へと向かう。
(助けて……ケイ……)
︎︎意識が朦朧とする中で私を、この世界を救う英雄の名が脳裏をよぎる。
彼はまた、私のもとにやってくるのだろうか。
私はそう思いながら泥のように眠った。