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使命 1

 少女はイリカと名乗った。

 フェレンツ公子付きの諜報員であり、その任務は公子の護衛と公子に対して企まれる陰謀に対する防諜活動。

 そもそも、彼女があの踊りをしていたのは踊り子に変装して、あの店を常連にし始めた青年貴族たちに近づくためだった。そして、いよいよクーデターが近いとなったとき、イリカはフェレンツ公子を迎えに走ったが、その途中で青年貴族に補足され、それからはふたりも見ている通りだ。

 少女が自分の名前を名乗ったのは、ガヴルナとイルククを臨時協力諜報員にしようとしたからだった。

「とんだガリャンイーを呼びこまれた。なんで、おれたちがそんな面倒なことしないといけないんだ」

「報酬は用意できる」

「ふん。金には困っていない」

 イリカはちょっと唇を噛んだ。イルククのような戦闘技術を持っている人間が金に転ばないパターンは今回が初めてなのだ。あの手の技を持つ人間はだいたい金銭目的で傭兵契約を結ぶか、どこかの正規軍か諜報員に安くない報酬と引き換えに宮仕えをする。では、金が目的ではないイルククはいったい何者なのだろうか?

 睨みあうふたりのあいだにガヴルナがそっと割って入る。

「こんなときになんだけど、キミの踊りを見せてもらえるかな?」

「は?」

 金で籠絡されないイルククもそうだが、ガヴルナはもっと分からないだろう。

「そんな暇はないのが分からないの? 殿下を一刻もはやく救出しないといけないのに」

「つまり、公子殿下を救出したら、踊りを見せてくれることもやぶさかではないと?」

「……そう、なるかもしれない」

「ということなのだけど、イル――」

「エージャ、すぐに公子の救出に向かいましょう」

「すまないね、イルクク」

「いいんです。エージャのためですから」

 イリカは頭のなかをクエスチョンマークだらけにしている。

「えーと、イリカさん。きっと理解できないと思いますが、民俗学的興味に突き動かされてのことですので、まあ、あまり難しく考えないでください」

 青年貴族派が公子をさらったのは、そう悪い兆しではない。革命政府はまだ、大公一族に使い道があると思っている。もちろん、時間に限りはある。そのうち、革命政府のなかで内輪揉めが起きて(これは絶対に起こることだが)、その果てに君主一族の首が景気よく飛んでいくことだって絶対にないとは言い切れない。ただ、革命というのは発生した後、穏健派の革命家と過激派の革命家があらわれて、どれだけ斬首すればいいか、どれだけ財産を没収するか、そして、農民に土地を無料でばら撒くかで揉めるのだ。もちろん、反革命派にも穏健派と過激派がいて、おそらく革命家たちは反革命穏健派を取り込むために大公から正式にドラジャルの支配を受け継ぐという形をとるだろう。

「じゃあ、おれは反革命の過激派ってことですね」と、イルクク。

「そうなる、のかなぁ」

 夜、イリカが選んだ農道や林道をたどって、北東を目指す。それにガヴルナとイルククがついていく。馬はちょっと休んで、鞍から降りたところでまんまと逃げられた。ガヴルナはキャンバス地の安いカバンを肩から下げて、てくてく歩き、歩いた果てにたどり着いたのは夜明けのクラーネンヴァールだった。先ほどの砲兵隊の要塞がウサギ小屋に見える城塞都市で、角ばった濠が市街地を完全に囲い込み、砲台は死角を生まない絶妙な位置に発射口を切っていた。既に砦からは赤と黒の革命旗がはためいている。要塞司令官の首が街の出入り口の近くに槍に刺されて飾ってあった。さりげなく街道へ降りて、道を曲がる。道は城門のひとつにのまれているが、赤と黒の目印を帽子に縫った兵士たちがやってくる人間をみな「同志」と呼んでいた。怒れる反革命のイルククは感情を操って、革命ってよく分からないが革命万歳的な若者みたいに石を生首に投げつけたので、感激した兵士たちから革命軍に入るように再三勧められた。こんなことよその場所で言われたら、すぐにまわし蹴りだが、イルククは自分にその名誉はまだ早すぎるとか何とか言ってうまくはぐらかした。

「よく我慢できたね」

「このくらいは初歩ですよ」

 イリカはというと、いつの間にかスカートを手に入れて、どこにでもいる町娘に変装していた。こうして三人の革命的庶民になった一行はクラーネンヴァールの市内を歩いて、公子の居場所を調べる。だが、どうも市内では反革命派の兵隊と革命派の激しい戦いがあったらしく、あちこちで興奮した演説家たちが居酒屋のテーブルに乗って、人間は自由である!と叫んでいた。徹夜で革命に酔った人びとはいかに反革命の兵士の胸を銃剣でグサリと刺してやったかを大声で言いふらし、ある通りでは砦をめぐる戦いで死んだ市民たちの死体が並べてあって、破ったシャツの切れ端にその血を浸して、小銭を稼いでいる男がいた。売上は遺族たちに渡されるというが、怪しいものだった。

 針子娘たちを大勢乗せた馬車が店の外を通る。華やかな声を上げる少女たち。兵士たちは帽子を取って高々と掲げたが、まるで一番高く掲げたものが少女たちを全部独占できるみたいに熱心に跳びはねた。

 教会からはエプロンをした主婦たちが銀でできた皿や儀式用の燭台を持ち出していて、アライグマの帽子をかぶった年寄りが居酒屋の二階席から顔を出し、やってやれ!やってやれ!と叫んでいた。

「そりゃあ、わしらの若いころはそんな不届き物がおったら、削った丸太を尻の穴から刺してやって、串刺しにしてやったもんだ」年寄りがテーブルを叩いた。「いい世のなかになったじゃあないか、ええ、同志! 同志なんて言葉は初めてきいたが、そりゃあいいもんだで。おれも同志、てめえも同志。かかあも同志で、ねえちゃんも同志。挙句の果てには公子殿下も同志。同志が嫌なやつにはじゅ、じゅ、銃剣を、こう、こう、こうとぶち込んでやればいいんだ!」

 公子。その言葉にイルククはさりげなく年寄りに近づく。

 二階席まで上がると、老人は血糊がべっとりとついた歩兵用の軍刀を自慢気に見せてまわった。

「わしはよ、あの男爵夫人の馬鹿女にこいつをぶち込んだんだ。頭を一発ざくってな。そうしたら、こう、足を上げてひっくりけえってよ、でも、わしもクネルクの牛飼いで知られた男だからよ、足が真上にひっくりけえったくらいでビビったりせず、こう服を全部引っぺがしてやったのよ。てめえ、人民の金で贅沢しやがってってよ。それをまた、こう、こうと突いてやって、気づいたら、女衆が『ぶっ殺すのはいいけど、服を切るんじゃないよ』って言ってよ、宝石だの靴だのを全部持っていってよ、革命万歳と来る。女どもには困ったもんだぜ。いい時代になったもんよ」

「やあ、同志の旦那!」イルククは笑いながら、年寄りの肩を馴れ馴れしく叩いた。「革命とあんたの長生きのために一杯おごらせてくれよ」

「おう、若いのにできてるじゃあねえか。おーい、ブドウ酒を一杯くれ」

 年寄りは喉をぐびぐび鳴らしている。

「ぷはぁ! こたえられねえなあ! いい時代になったもんだ。革命ってのはよ!」

「そうだ、そうだ。ルダネストへはいつ攻め込むんだろうなあ?」

「そんな必要はねえのさ。なんたって、こっちは――いや、これは言えねえや!」

「なんだよ、教えてくれよ!」

「いやいやいや。こればっかしは言えねえんだよ!」

 すると、反対側からお針子らしい少女があらわれた。

「なんさね、じいさま。なんぞ知っとるんか? 教えてくれろ!」

 それはイリカだった。

 こうして変装のプロふたりに左右からいい塩梅におだてられ、年寄りは市役所にある重要な人物が幽閉されているとほのめかした。

「相当な大物らしくてな。こいつをおさえれば、革命はもう成功したも同然ってわけだ」

「大物っていうとフェレンツ公子くらい?」

「それもあり得るなあ。とにかく大物だって話よ!」

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