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予兆 2

 チェスの勝負はまた決着がつかないまま残された。

 郵便馬車で出発する前、ガヴルナたちは青年貴族派の行列を見た。馬にまたがった侯爵だか子爵だかを先頭にマスケット銃を肩に担って職人や商店主といった支持者が練り歩き、君主制国家の首都で「共和主義万歳!」と叫んでいた。サーロイの言う通り、厄介なことが起きそうだった。イルククにはなぜ職人や商人が革命を支持するのかさっぱり分からない。この貴族たちは、ランカを襲った、あの傲慢な議員たちとどう違いがあるのか。

「絶対にろくなことになりませんよ」

 馬車は青い郵便袋の後ろの〈小遣い稼ぎ〉でふたりを揺らしながら、東へ進む。太陽は高く、道は埃っぽく、草原は乾いていたが、水のあるそばには豊かな果樹園や葡萄園があった。貴腐ワインの醸造所があり、小さな集落が茂みに隠れて、道を伸ばしている。午後五時をまわるころ、まだ初夏らしい照りつけが斜めに差し、道の端まで影が伸びていた。馭者が喉が渇いたといい、道の脇にある宿屋の前庭に馬車をまわして止め、スタスタなかに入っていった。ガヴルナとイルククもそれについていき、じゃがいもとチーズの簡単な食事をとった。宿屋には調理用のテーブルが暖炉のそばにあり、厨房室はなかった。そのそばに地元のワインが甕に入っていて、ブリキのカップですくって客に出している。ワインはどろっとしていて、温めのお湯で割って飲むのがこのあたりでは一般的だった。都市部のワイン専門家には信じられないが、こうした田舎では新しいワインと古いワインを混ぜた。そうすれば、新しいワインも味がこなれてくると信じられていたのだ。

 外も少し薄暗くなり、空は朱の光をまとい、夜への支度を始めている。ガヴルナとイルククはとっくに食事を終えていたので、そろそろ出かけるべきではないかと思っていたが、馭者はブリキのワイン壺に四杯目のワインを注がせていた。

 ときどき、運命がささいなディテールに左右されることがある。この場合はワインだった。ワインの割り方は宿屋によって、薄すぎたり濃すぎたりする。熱すぎたりするし、油で割ることもある。ある旅行作家はワインの割り方で宿屋の成否が決まると言うが、ガヴルナはそれはさすがに言い過ぎだと言うだろう。この宿屋のワインは割り方が薄かった。馭者が四杯のワインを注文したのはワインが薄かったからで、もし、ワインの割り方がちょうどよく、従って三杯のワインで満足して出発していたら、ガヴルナたちはドラジャル公国をめぐる動乱に関わることはなかったはずだ。

 馭者が四杯目のワインを飲み終わる直前に、ドアが突然開いて、小柄な男、あるいは少年が飛び込んできた。三角帽をかぶって顔にマフラーのようなものを巻いていたが、いくら日暮れとは言えども、六月のドラジャルの荒野、暑すぎるだろう。店主がその男に何か言おうとしたとき、またドアが荒々しく開かれて、今度はガリャンイーが入ってきた。ガリャンイーは三人の青年貴族の姿であらわれた。それぞれ馬を駆ってやってきたらしく、乗馬ズボンの尻と腿の内側が汗で黒くなっていた。ひとりは青年、というには少々齢をとり過ぎている気がする白髪混じりの貴族、ふたり目はツバが分厚いトップハットをかぶった若い貴族で緑のコートの右腕に青いひし形を縫いつけていた。そして、三人目だが、この男をガヴルナたちはルダネストで見たことがあった。職人や商人の義勇兵を従えていた貴族だった。茶色の燕尾服に豹柄のチョッキ、二角帽に革命家の三色印を止めていて、首がすっかり隠れるスカーフを伊達男風に巻いている。この伊達男はちょっとした武器庫だった。他の二人がレイピアとピストルをひとつずつしか持っていなかったが、伊達男はピストルを三丁、大きなナイフ、レイピアと儀礼用の細い剣、それに大きなこぶのあるステッキを手に持っていた。

 伊達男はツンと鷲鼻を上げているのだが、どうやらまわりの人間が――もちろんこれにはガヴルナとイルククも含まれていた――小柄な男をひっとらえるのを期待しているようだった。しかし、そんなことは露とも知らない客たちは黙って見守っていた。そこで、ふたりの青年貴族が小柄な男に飛びかかり、取り押さえようとしたが、若いほうが「ギャッ!」と叫んだ。見れば、その腕を細いナイフが貫いていた。すると、伊達男がステッキで男の背中を思いきり殴った。小柄な男が床に倒れて、帽子とマフラーがとれた。

 小柄な男は少女だった。

 革命志向の青年貴族が男装の少女を追いかけまわす理由は何だろうとその場にいた誰もが思ったが、どうも関わるととんでもない面倒事に巻き込まれそうだと思い、カメみたいに首を縮めていた。

 ところがイルククはいつものように我関せずの態度を取り切ることができなかった。革命家が振るう暴力を見て、冷静でいられるわけがなかった。怒りの振動がテーブルをカタカタ鳴らせている。そんなイルククを爆発させる魔法の言葉がある。それが――、

「革命に逆らう反逆者は全員処刑だ!」

 正確には「革命に」までしか言えなかった。それだけで十分だった。飛びかかったイルククは手刀を伊達男の首に叩き込んだ。だから、「革命にゲェッ!」となったのだ。

 息を求めて、あえぎながら倒れた伊達男の頭に蹴りを見舞って沈めると、残りふたりのうち、若いほうに襲いかかった。手を蹴飛ばすと、握っていたピストルが暴発し、その銃口の先にいた年かさの青年貴族が胸を撃たれて、ひっくり返った。背後で銃声がして、ふり返ると、伊達男が硝煙が上がるピストルを握っている。イルククはつかつか歩み近づくと、伊達男のベルトからピストルを無理やりもぎ取り、こめかみにぴったり押しつけて、引き金を引いた。三人が倒されるまでほんの十秒。というのも、腕を刺された若い貴族はどうも自分でナイフを抜いたのだが、その刃には毒が塗ってあった。意識を失って、よく分からないことをぶつぶつつぶやきながら、死の坂を転がり落ちていた。

 宿屋はちょっとしたパニックになった。よく考えなくても分かる。青年貴族がついに革命を起こして、国を乗っ取ったのだ。そして、新たな支配階級が三人も殺された。もし、この殺人事件に関与していると思われたら、どんな災難が降りかかるのか、考えただけでも恐ろしい。客たちはみなちりぢりになって逃げ、宿屋の主人すら、裏口から逃げた。達者なのは郵便馬車の馭者で、彼は最初に伊達男が倒れたときには椅子から飛び上がり、飲み干したワイン壺を投げ捨てながら、馬車に飛び乗り、もう逃げてしまっていたのだ。

「エージャ、しくじりました。馭者に逃げられましたよ」

 ガヴルナは少女を気づかったが、もう立ち上がり、自分のナイフを回収し、刺した相手のハンカチを胸ポケットから引っぱりだして血糊を拭っていた。

「たぶん、ただの女の子じゃないのだろうけど」

 イルククは、いきなり袖に隠しているナイフを抜き様に真横から少女に斬りかかった。

 少女が咄嗟にかわし、逆に手首を閃かせて、突きかかる。

 それを払って、飛びのき、お互い、抜いたナイフと同じくらい不吉な光に目をきらめかせて、構えたが、すぐイルククが解けて、

「ふん。それなりにやるようですよ。こいつ」

 と、ナイフを鞘にしまいながら、ガヴルナに報告した。

 少女は顔は整っているが、表情らしいものはなかった。ガヴルナはどこかで見た覚えがあるなと思っていたが、少女の帽子が落ちて、短く切った淡い銀の髪があらわれると、あっ、と言って、手帳を取り出し、

「見てくれるかい、イルクク。この子は旅巫女だよ。ほら」

「本当だ。おい、お前、踊れ」

「いきなり凄いこと言うね。キミ」

「でも、エージャ、この踊りが持つ意味を知りたいんですよね?」

「まあ、そうだけど」

「じゃあ、踊らせましょうよ」

 少女はちょっと頭を傾げた。

「あなたたち、馬鹿なの?」

「おい! おれはともかく、エージャは違う! 取り消せ!」

「いや、さっきのやり取りはそう思われても仕方ない。ところで、キミは――」

 だが、少女はそれにこたえず、ただ、

「ついてきて」

 と、だけ言って、表へ出る。

「やりました、エージャ。きっと踊りを見せるんですよ」

「そうではないと思うけど。とりあえずついていこうか」

 少女は青年貴族たちが乗ってきたらしい馬にまたがると、走り出した。自転車には乗れるが馬に乗れないガヴルナはイルククの後ろにくっついて、少女を追い、いつ切れるとも分からない夕暮れの光のなかを南西へと進んだ。麦畑を出て、荒野に入り、馬は赤い空に黒々と影った雲のあいだに道を見つけ、走り続けた。こんな薄闇を走るのが馬は好きなのだ。それにイルククとガヴルナのまたがる馬は先頭を走るよりは誰かの後ろについていくほうが気楽でいいらしい。馬が言葉を使えれば、素晴らしい走りだった、と言ってくれることだろう。

「あいつ、いつまで走るんだろう?」

 イルククは不思議そうに言う。どうも、彼のなかではまだ、踊りを見せてくれるという考えが生きているらしい。影術士らしく知恵がきき、機転も働くし、何かを知ろうとするときの熱心さと記憶力は抜群だが、ときどきお馬鹿なところがあらわれる。結局、少女の馬は夜になるころに、なだらかな谷の麓の町へやってきた。ひと通りはなく、蒸し暑い。古い造りの居酒屋が一件だけ蝋燭の黄色い光を吐き出している。町外れに楡か何かの並木道があり、そこに入ってから、六本目の木を左に曲がる。イラクサや牛蒡の茂みに馬一頭がかろうじて通ることができる幅の道が隠れていた。その先には砲兵隊の小さな要塞を見下ろせる崖がある。さすがにイルククも相手が踊りを見せるつもりがないことを悟り、おい、どういうことだ?と詰め寄るが、少女はただ人差し指を唇に近づけて静かにしろと仕草をする。

 崖の下には街道があり、そこに向かって、要塞から橋がひとつ濠をまたいで降りている。

 これまで冷静だった少女が初めて、狼狽したような調子で舌打ちをし、

「遅かった!」

 と、言いながら、鞭を打って、崖を下り始めた。

 ついていないことにイルククとガヴルナが乗っている馬は前の馬の尻を追いかけるのが好きな馬だったので、気づけば、イルククは手綱を背筋いっぱいに引きながら落ちるように崖を下らないといけなくなった。見れば、要塞の門が開いているのが見えるのだが、そのランタンのかかるなかに騎馬の男が数人、そのうちひとりは鞍の後ろに大きな荷物を積んでいたが、それが意識を失って後ろ手に縛られた銀髪の少年にそっくりだった。

「おのれ!」

 少女がそう言いながら、意識を失って後ろ手に縛られた銀髪の少年にそっくりの荷物を運ぼうとしている騎兵へ駆けていったが、民間人の服を着た剣士が青毛の若馬を御して、その道に割り込もうとした。

「邪魔だ!」

 少女は鞍に差してあったピストルを相手の顔に至近距離で発砲した。半狂乱になった青毛の若馬は鐙に頭を吹っ飛ばされた男を引きずりながら街道を突っ走っていく。

 それから数発の騎兵銃が乱射され、同士討ちでひとりが落馬したが、例の荷物の騎兵は橋を渡り切って、街道を北東へと走っていく。それに他の騎兵も続く。少女の馬は首を撃たれて倒れていた。落ちた騎兵銃で先頭の馬を狙った少女が発砲をためらったのを見て、〈意識を失って後ろ手に縛られた銀髪の少年にそっくりの荷物〉はまさに銀髪の少年であり、しかも少女が悔しそうに「殿下……」とつぶやくのをきいた限り、あの荷物はやんごとなき御身分の少年らしい。

 ただ、こうしたことを考えたのはもう少し後のことだ。要塞の革命派の砲兵たちが少女やガヴルナ目がけて十二ポンド砲をぶっ放し始めたので、まず逃げないといけない。イルククの馬はついていく馬の尻を失った上にさらにもうひとり背中に乗せ、大砲の射程圏内から逃げるために狂ったように走るはめになった。

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