エージャとガリャンイー 3
イルククの家は代々影術士を輩出した名門であり、ターカはその従者の家柄だったが、ふたりの少年の付き合いを見ていると、むしろ元気なターカのほうが主のようで、ふたりは仲が良い。確かに旧家や名家はあるが、ランカの里ではそこまで階級が厳しくない。ただ、長老たちはひろく尊敬されている。長老たちのほとんどはその昔、影術士だったか巫術士だった人びとでランカ随一の知恵者と呼ばれる人たちだ。全ての長老たちが顔を隠して集まるのは里が本当に困ったときだと子どもたちに教えられたガヴルナは自分が来たときのことを思い出し、自分の出現は里にとって本当に困ったものだったのだなと苦笑した。
ターカはイルククのクジャ家に仕える家柄であり、ヌズを育てていた。ヌズという植物の繊維からイバリノミの材料となるヌズ布をつくる。伸縮性があって耐久力もあるヌズ布は光を吸い込む性質を持っていて、夜戦や攪乱、敵陣への単独侵入などを行う影術士たちの死命を決める重要な装備として、ランカの誇りを支えている。
「ねえ、ターカ。ヌズ布を織るところはどうしても見られないかなあ」
「こればかりはエージャでもダメさ。おれだって見せてもらえてないんだ」
「ターカ、お前はきっと影術士になるさ」
「父ちゃんはおれのイバリノミをつくるのに使うヌズを決めてあるんだそうだ」
「ふたりとも選ばれたらいいね。そうだ、イルクク。きみのお兄さんはもうルンビエの社に?」
「はい。兄上は社で身を清めています」
「今年は三人が社に参るそうだけど」
「そうですね。みな武術と戦術では兄上にひけをとりません」
「カシャギの儀式を見てみたいものだなあ」
「駄目ですよ、エージャ。長老たちに叱られますよ」
「残念だなあ」
「外で待つくらいならできますけど」
その晩、里じゅうのものがルンビエの社に集った。この社はランカの里の宗教生活に欠かせない祭礼の場であると同時に非常時の砦として機能できるよう作られていた。山肌にあり、濠と橋、塹壕でつながった分社が四つあって攻めてくる敵を死角から投擲武器で攻撃できるようになっていた。平和な時代が続いたランカの人びとは影術士を通じて戦を知り、慢心しようとはしなかった。
そうした武の一面も持つ社が影術士の輩出に関わるのはランカの人びとの考え方では当然のことだった。すでに神官と巫術士たちが本殿に入っていて、イルククの兄サヅタヤと少年と少女がひとりずつ、カシャ神の宿る鏡を覗いているはずだった。
門前では大きな篝火が焚かれ、里のものたちは新たな影術士に降りかかるであろう災厄を除けようと祈願の舞を踊り、笛と太鼓が鳴らされる。今年の結果が分かったら饗する予定の料理や酒も用意されていて、イバリノミを着た影術士たちはおそらくサヅタヤが選ばれるだろうと言っている。教育をした立場から分かるらしいが、サヅタヤは百年に一度の影術士になるとのことだった。他のふたりも優秀だが、サヅタヤに比べると負ける。だが、マンバレイは薬学の知識があるから薬師たちが欲しがっているし、ヴァジャルはルンビエの社が巫女に欲しいと言っている。だが、全てはカシャ神の御心のままだ。
そのとき本殿の扉が開いた。顔を隠しているものが影術士であり、顔をあらわにしているものは選ばれなかったものたちだ。そして、影術士たちの予想通り選ばれたのはサヅタヤだった。
それからは社で酒宴が行われる。普段は飲まないガヴルナだったが、飲まなかったらみな顔を隠すぞと言われたので苦笑しながら、ドゾ米でつくった濁り酒を口にした。引退した老術士たちがその痩躯のはっきりわかるイバリノミ姿で若いころの手柄話をし、ターカの父親は誰かから借りた剣で剣舞を踊っている。イルククの喜びは大きく、サヅタヤに抱きついている。結い上げた髪から簪が何本も抜け落ちていて、どれが誰のだか分からなくなった。篝火はその光がアメイ山頂の雪に反射するくらいに大きく焚かれ、星空の海を燻した。
ガヴルナは昔から誰かが別の誰かに視線を注いでいることに気づくことがある。このとき、見つめているのはサキリという少女だった。キノベ川の向こうに住む少女でときどきガヴルナの家に来ることがあった。そして、彼女が来るときは決まってサヅタヤがやってきているときなのだ。
しかし、憧れるのは無理もない。端正な顔立ちで、イバリノミをまとった引き締まった体は神話に出てくる偶像のような美貌を司る。そして、生真面目なその性格ゆえ、こうした乙女たちの視線に気づかない。それが歯がゆくも面白く、若いなあと思い、自分にはないことだとがっくりする。がっくりすると、酒を勧められ、断ると顔を隠して会うと脅されるので飲む。
だが、ガヴルナのどこかには不安があった。篝火を見ていると、彼は幻覚を見ることがあった。フェルトの三角帽に布の目印をつけた若者たちが燃え上がる炎の山へ次々と本を投げ捨てる光景が見え、それから全ての国境が燃え出し、戦火があらゆるものを飲み込んで、残った灰に革命の理想を描こうとする歪んだ画家たちの姿が見える。革命のガリャンイーが見えた。人びとが奇妙な機械から顔を隠す。その機械は人間の首を易々と切り落とす。百も二百も。人びとはその機械に睨まれないよう必死になって顔を隠している。