侵攻 9
「おい、起きろ」
脚絆をつけた脚を軽く蹴られ、イルククはまぶたを開けた。
「――もう、朝か?」
「ああ、お前が一番寝てた」ターカが笑いながら言う。
大楡の幹から背を離して、立ち上がり伸びをすると、葉先に結んだ朝露がバサッと、まとめ上げた髪に落ちた。
イルククの隊はテンチャが率いていたころは三十余名の大部隊だったが、戦いに継ぐ戦いでその数は七名まで減っていた。
イルククとターカ、セイハ村の薬師ユレシ、ホマダリ谷の炭焼きトゥーシ、シヤンヤ村の剣術家シヤイン、ライコウ村のムータ、それに知らず知らずのうちに家を地獄師団の司令部にされているダンバレイ村の南集落に住むリクニ。
最高齢は炭焼きのトゥーシで六十二歳、最年少は十三歳のムータ。
このうち女性はシヤインとリクニでシヤインはガッタナ岩で討ち死にしたウースールの従姉だった。カシャの御心によって影術士には選ばれなかったが、その剣術はランカ随一ともいわれ、彼女より若い影術士のほとんどがシヤインから剣を教わっていた。いまも背に太刀を背負い、これまでに二十人以上を討ち取っている。
ムータはまだ子どもだが、革紐を使ったつぶて打ちに自信があり、矢が尽きても石があれば、飛び道具には困らない。
砕いた米と落花生でつくった兵糧丸を食べて朝餉を済ませると、隊は南へと下った。
そこは峠道で麓のセイハ村とライコウ村が燃えるものもなくなって、幾筋かの細い黒煙をたなびかせるだけになっているのが見えた。そして、小高い山の上のルンビエの社を共和国軍が十重二十重に取り囲んでいる。豆を炒るようなパチパチという銃声がしきりにきこえ、雲よりも濃い白煙が大砲陣地から大きな塊となって流れ出る。煙でよく見えないが、ルンビエの社は五つの出城に支えられて、なんとか持ちこたえていた。
影術士というのは現実から取得できる最良の選択を選び取れるよう訓練を受けている。そういう人たちがいわゆる現実主義者と呼ばれるわけだが、もはや村を守ることに意味はなく、ルンビエの社にも合流できない以上、イルククたちは少しでも包囲軍から兵と火力を引き剥がせるよう、後方を脅かすしかない。ルンビエの社が陥落すれば、もはやシヤンヤ村からアメイの山を越えるしかない。生粋のランカ生まれのランカ育ちでもそれは厳しい。
「敵の補給線を脅かし、少しでも兵をこちらに向けさせる。ルンビエへの圧力をあらゆる手を使って減らすんだ」
しばらく森のなかの山道を下ると、先頭をいくトゥーシが軽く握った拳を頭の横に掲げた。
全員が茂みのなかに伏せる。
それほど離れていない場所にチグー川から分かれた浅い流れがあり、その湾曲した川原に日に焼けた黄色いテントが十ほど張ってあった。
それは共和国軍の竜騎兵隊の野営地だった。無帽の男が緑の上着の前を開けたまま、小川のそばにしゃがみ、ひげをあたっていた。小さな陶器の入れ物にはブラシで泡立てた石鹸があふれていて、それを岩のあいだに置いた小さな錫製の鏡を見ながら、口ひげと伸ばしたもみあげ以外の顎と頬に塗っていく。
茂みは少し高い位置にあったので、野営地を見渡すことができた。
鍋が焚火にかけられ、白い羽根と野戦口糧の包み紙があたりに散乱している。鍋のなかに煮えているのはどこかの農家から略奪した鶏らしい。
武器はというと、カービン銃は野営地の中央に叉銃してある。その数二十一。サーベルはテントの支柱に吊り金具ごとかけてあり、半分以上が丸腰でうろうろしていた。
テントと銃の数から考えれば、約二十人。馬はどこか別の場所にいるらしく、いななきはきこえてくる。
そのとき、タビツグミの鳴き声がした。ターカの笛の音だ。
毒ニンジンの茂みを揺らさぬよう匍匐してターカのそばに行くと、ターカが野営地の端を指差した。
樫の木にガヴルナが縛りつけられていた。
そのそばには大柄な騎兵がいて、口を上に開け、山葡萄を握りつぶして、その果汁を垂らしていた。
イルククは蹄鉄型の川原を囲むように隊を分け、最初の一矢を放った。
矢は野営地の上を飛び過ぎて、ガヴルナの前に立っていた山葡萄の騎兵の背に突き刺さった。
叫び声が上がるよりはやく、第二、第三の矢が静かに風を切って、ふたりの騎兵を手際よく射止める。
「敵襲!」
小柄ですばしこい男が叉銃に飛びついたが、革紐でまわして勢いをつけた石つぶてがその頭蓋を捉えると、そのまま前につんのめり、銃がバタバタと音を立てて倒れた。
二連式カービン銃を腰だめに構えた男がテントから飛び出すが、立て続けに三本の矢を胸に受け、後ずさりしながらテントのなかへ戻った。銃が暴発し、間もなくテントがめらめらと燃え出す。
イルククたちはそれぞれの剣を抜き、猿のように小川の石を飛びついで、野営地に斬り込んだ。
顎の半分がシャボンまみれなまま、騎兵がサーベルの突きをイルククの喉目がけて送り込んだが、小太刀を返しながらそれを受け、右にいなしたかと思えば、鞭のようにしなる体から真上へと放った蹴撃が相手の顎をとらえ、その体が一瞬だが宙に浮いた。そのまま続けて踵落としが入ると体にめり込んだ首から鈍い音がして、シャボンの男は膝をつき、動かなくなった。
ターカの手から錐のような手裏剣が放たれ、真鍮と豹の皮で飾った兜のすぐ下の左目にささると、馬にまたがった竜騎兵が鞍からもんどりうって落ちる。
シヤインは太刀を抜き、車斬りに振り回し、ふたりの竜騎兵が自在に落ちる上段打ちを食らって地に伏し、三人目には担ぐように胴を巻き打ち、片づける。
全てが終わったころには小川は真っ赤に染まり、落命した竜騎兵たちが野営地に散乱した。
「エージャ、しっかりしてください」
ガヴルナの縄を切り、水筒から水を飲ませる。
「……水を断たれるのはつらいね」
「エージャ。ご無事で何よりです」
「ノエルに会ったよ」
敵の総大将の名が口に出る。
「相変わらず――いや、前よりも激しくテロルに傾いていた。革命も彼の理想を叶えてはくれなかったらしい」
「そんなことより、エージャ、もはやルンビエの社には入れません。だから、落ち延びてください。シヤンヤ村の先のアメイの山を越えるしかありません。常人には辛い道ですが」
「大丈夫だよ。以前、ケルケル鳥の巣を探して登ったことがある」
「それでは大丈夫ですね」
深い草むらへガヴルナを逃がすと、砲声がルンビエの社から響いてきた。




