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エージャとガリャンイー 2

 ガヴルナにとって、ランカ族の里は記録すべき宝物にあふれていた。ランカ族は鳶色の髪をしていて、男も女も年齢に関係なく髪を伸ばし、それを高く結いあげて棒を二本差す。その棒はフミリと呼ばれていて、材質は赤い漆で仕上げた樫の棒だが、婚礼や祭礼などのときは珊瑚でつくられたものを差すこともあった。エージャもフミリを差すべきだとよく言われたが、髪はおかっぱっぽくしてあまり伸びていなかったので、いつもかぶっている三角帽に飾るように差すことで認めてもらった。

 ランカ族の人びとはゆったりとした麻の上衣の腰を帯で締め、たいていは上衣と同じ色の細い袴をはいていて、革靴のかわりに底を少し厚くした柔らかい靴下のような履物を、帽子のかわりに藺草いぐさで編んだふたつ折りの笠をかぶっていた。

 だが、一番の特徴はランカ族の顔を隠す文化だろう。簡単な覆面、叩くと金属っぽい音がする陶物のマスク、戦士たちが使う顔の下半分にぴたりとして喉元まで隠す覆面、それに家ごとに模様が違う仮面などいろいろある。最初は気を許せる人だけに素顔を見せるのかと思ったが、由縁を調べているうちに面白いことが分かった。そのとき、イルククがやってきていて、外の世界では魚釣りをするとき魚が釣り針にかかるようどんな祈りをするのだときかれていたのだが、突然、火災を知らせるようなカーンカーンという鐘の音がきこえてきた。すると、イルククはさっと覆面を引き上げて顔を隠した。後で知ったのだが、旅人がランカの里に迷い込んだらしい。そして、よそ者を見つけるや、里じゅうの鐘が鳴らされ、里のもの全員が顔を隠した。

「ボクが来たときもこんな感じだったのかい?」

「はい、エージャ。里の外の人間が来ると、里のものはみなガリャンイーから顔を隠します」

「ガリャンイー?」

「はい、ガリャンイーです」

「ガリャンイーというのは何なんだい?」

「ガリャンイーはガリャンイーですよ」

 会話の脈絡からすると、ガリャンイーはよそ者という意味になりそうだが、もう少し掘り下げると面白いかもしれないと思ったガヴルナは早速この言葉を調べてみることにした。いくつかの社をまわり、土地の古老や巫術士たちの話をきき、そうして集めた膨大な情報を整理して分かったことはガリャンイーはガリャンイーだということだった。

 これはランカ族が感覚的に把握していることであって、言葉にするのが難しかった。近い意味としては『この世のあらゆる邪悪なもの、あるいはそうなりそうなもの』といった感じで、それは人間を顔で識別する。だから、顔さえ隠していればガリャンイーにはランカの人びとがただの石や草にしか見えなくなる。ガリャンイーを『根源』という意味で使う古文書もいくつかあった。また必ずしも悪い意味が続く言葉でもなく、数人の村人からはエージャはガリャンイーだとも言われた。きっと時代と状勢で意味の変わる生きた言葉なのだろう。試しにイルククに「ボクはガリャンイーかい?」ときくと、イルククは少し考えて、「いえ、エージャは違いますね」とこたえた。別に遠慮したわけでもなく、普通に考えて、そう思ったのだろう。だが、そのガリャンイーが来ると里じゅうの鐘が鳴り、老若男女が顔を隠すのだ。何かの疫病避けの意味もあるのかもしれない。ガリャンイーについて調べているうちにガヴルナの感覚がだいぶランカの人びとに近づいたらしくガリャンイーときけば、頭のなかで言葉ではない形づけのようなものが行われて、すんなり理解できるようになった。論文に掲載することを念頭に置かない調査研究というものは本当に面白く、こうした謎に対して、学府では考えられないアプローチをすることができる。

 初夏が木々の花をさらって緑葉と木漏れ日を残して暦の彼方へ去っていくと、本格的な夏がやってきた。外では七月一日、ランカの里では双子鈴の月の一日目。山肌に雛壇のように生える青い稲がガヴルナの家の裏から見えた。風が吹くと、せっせと〈タニシづけ〉をしている女性たちの姿が緑のなかに隠れ、しばらくしてまたあらわれるとときどきかがむのをやめて、腰に手をやり、背伸びをする。ガヴルナはシャツにズボンと簡単な姿でクラヴァットも結ばず、棚田の女性たちを眺めていた。タニシを一匹ずつ稲につける彼女たちの姿はときどき風が揺らす稲のなかに隠れたが、その動きは少しも乱れず、タニシをつけ続ける。田植え歌のようなものを歌って拍子を合わせているのだろう。タニシは稲の生えた泥に暮らし、目に見えない害虫や雑草の種を食べてくれる。

 風が彼女たちの唄を少しでも流してくれないかと期待して窓際で目をつむっていると、外で子どもたちの声がした。イルククとターカがやってきていて、外出を誘うので、麦わら帽子をかぶってついていった。

「今日はカシャギの日ですよ、エージャ」

「今年はきみのお兄さんが儀式に出るんだったね」

「はい」

 年に一度、双子鈴の月の十日にはランカの主神であるカシャを称える大きな祭り、カシャギが催された。カシャギが近くなると、十六歳の少年や少女はそわそわと落ち着かない。大人たちもまたそうだった。カシャギはカシャ神が宿る鏡の前で十六歳の少年と少女たちが戦士に選ばれるかどうかを判じる儀式だった。カシャの鏡に顔が映らないものは戦士として選ばれ〈影術士〉となる。一般的にランカの傭兵で知られているのはこの影術士だった。

 ランカの里では誰もが武術と影術を習うが、外の世界へ行くことができるのは影術士の号をもらえたものだけだった。影術士となったものは普段から忍び装束で暮らすようになるので、村にいてもすぐに分かる。戦において乱をおこし、暮らしに乱を持ち込まぬ戦い方を極めたものという意味のこの戦士たちの忍び装束はイバリノミと呼ばれている。どうやって仕立てたのかと思うほど体にぴったりとした服で衣擦れというものがなかった。イバリノミをまとった影術士たちが崖を上ったり、狩りに参加したりするのを遠目に見ていると黒い豹のように動きがしなやかだなあと思うものだった。普段から着ないだけで影術士ではないものたちもそれなりの武術が使え、イバリノミも持っているが、彼らがイバリノミを身につけるのは里に有事があったときだ。そんなときが訪れなければいいがと思いながら、ガヴルナは昨晩のことを思い出していた。

 昨晩、影術士のふたり、サヤトとレイェガがやってきた。どちらもアーデルヘイト北部十一州の独立戦争に影術士として参加したのだが、腑に落ちないことがあるということだった。

 アーデルヘイト北部十一州はアルブケルケ王国から独立しようとし戦っていた。北部十一州は自由のために戦うと標榜していて、そこにパナシェ帝国が独立勢力の側に立って戦ったのだ。

「これは分かる。敵の敵は味方だ。北部十一州が独立すればパナシェ帝国は隣国アルブケルケの勢力を削ることができる」

「我らが理解しがたいのはパナシェ帝国自体が独立側の理想とは程遠いことだ」

 パナシェ帝国は東大陸最大の版図を持つ国だが、その権力と富は皇帝と一部の貴族が完全に支配していて、国民の九割以上の暮らしが困窮している。

 ふたりの影術士が言うのは、そうした民たちが兵として戦に駆り出され、北部十一州の自由と権利のために戦うということに矛盾を覚えないかということだった。

「あなたたちはパナシェの側で戦ったのですね」

 ふたりは覆面で顔を隠した。これから話すことはガリャンイーなのだ。

「多くの兵士が前線で死んでいくなか、貴族たちは贅を尽くす。戦ではよくある光景だ。しかし、今度の兵士たちは自由のために戦って死んでいる。士官でも兵たちといる時間が長い下級士官は兵たちがいまだ国で自由を奪われていることに心を痛めるものもいる。そうした若い士官たちから、ある言葉をきいたのだ。革命という言葉だ。エージャよ。きいたことはあるか?」

「パナシェではその言葉を唱えると鞭打ち、ひどいときは死罪にされるそうです」

「それはガリャンイーなのか?」

「ガリャンイーでもあり、そうではない。革命は簡単に説明すると王と貴族を倒し、民が国を支配することです」

「そんなことができるだろうか。アーデルヘイト北部十一州でも指導者は貴族だった」

「不可能ではないでしょう。民が自分で自分の土地を耕し、作物を自分のものにできる。それはいいことです。ただ、政治がそれを面倒なものに引きずり込み、ひどい戦争、いや、戦争よりももっとひどいことが起こる可能性もある。つまり、人民による独裁です」

「民はひとりではない。どうして独裁ができるのか?」

「もし、このランカの里の人の誰かがガリャンイーになったら、ランカの人びとはそのガリャンイーを排除しようとする」

「我らはそんなことはしない。それにそもそもガリャンイーはそんなものではない」

「そうです。革命というのは王と民をひっくり返す。そして、その過程でいろいろな言葉や習慣もひっくり返される。悪い習慣がひっくり返されることもあれば、いい習慣がひっくり返されることもある。いいほうに転がってくれればいいと思いますが、革命が起きている最中ではそれが分からない。そうなると、あなたたちの仕事が増えるかもしれません」

「しかし、エージャよ。影術士とは戦を乱すもの、影より動き、戦を乱し、乱を営みに持ち込ませない。影術士の使命だ」

「すいません。勉強不足でしたね」

「エージャ。また革命についてききにきても、いいだろうか?」

「もちろんです。ボクもちょっと気になりますので。ところで、アーデルヘイト北部十一州は独立できそうですか?」

「早々にも独立するでしょう」

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