束の間の休息 2
ガッタナ岩のそばにある古い砦に若い影術士たちが集まっていた。
小太刀を使った剣術は影術士の戦闘の基本であり、いかに相手の虚をつく太刀筋を打ち合いのなかに潜ませるかを型を繰り返し、ときにその身につけた型を破ることで新たな技を身につけようとする。
影術士の技は学び、そして壊すの繰り返しなのだ。ひと通り学べば、その技の自分に合わない無駄な動きが分かってくる。そこで壊し、そして、またつくる。
指導役の年長の影術士ムエンがそこまでと命ずると、木刀の芯の通った打ち鳴きが止み、イルククたちは清水の湧く石のまわりに集まり、喉を潤した。
空を仰げば、夕染めの雲のあいだを夏鳥が渡っていく。
「もうじき刈り入れだな」サヅタヤよりふたつ上のムエンはその家が代々豪族ということもあり、カマン池に大きな水田を持っていた。ムエンと弟のムイリのうち、ムエンが影術士に選ばれたため、水田はムイリが継いでいた。
「ムエン先生も駆り出されるのですか?」
「それはそうだ。使えるものはみな使って刈り取りだ」
「うちの麦はまだ青いからなあ」
「そういえば、このあいだカマン池にエージャが来たな」ムエンが思い出したように言う。「釣りに来たのだが、四半刻もしないうちに岩の上に仰向けになって昼寝していた」
「あの人はいろいろ自由ですから」
「パナシェの連中が言う自由とは違うものらしい」
「ムエン先生。やはりパナシェはまた来るのでしょうか?」
「大人衆が情報を集めているが、あのブロエとやらはまだ懲りておらず、残りの軍勢とともに侵攻の機会をうかがっているらしい」
「ちえっ、影術士の技なら、そんなやつ暗殺するのは簡単じゃないですか」
「そうかもしれないな」
「あの人たちもわたしたちのことは放っておいてくれればいいのに」
そのとき、砦の下方から「おーい、兄者!」とムエンを呼ぶ声がした。
「では、今日はこれまでだ。ゆっくり体を休めるがいい」
「はい」
みなが家路につくなか、ターカがイルククを買い食いに誘った。
ガッタナ岩には道祖神が彫り込まれていて、それを参りに来る村人相手にリム爺が食べ物屋を開いていた。砦の反対側のガッタナ岩の陰に竹小屋をかけて暮らしていた。もう七十を越えていたが一度も妻をめとったことがなく、もちろん子どももいない。気ままな一人暮らしで、店を出さないときはイワナ釣りにいくか、火縄銃を担いでキジを撃ちに行く。あるいはガッタナ岩のてっぺんに登り、甲羅干しをしていた。こんなリム爺だが、若いころは優れた影術士だったのだが、任務の最中、何か悲恋があって、影術士をやめたのだという。
リム爺の食べ物屋は屋といっても、ござを敷いて、油紙の大傘を立てただけのものだが、小さな蒸籠を置いていて、松の実ともち米を砕いて蒸した菓子を売っていた。ランカの里ではクリュムと呼ばれる菓子で小さな丸い餅のように柔らかく、熱いうちに食べる。
イルククとターカはござに座り、鍛錬ですっかり減った腹を夕餉で満たす前にクリュムを食べることにした。
「イルクク。大変なことになったぞ」ターカが言う。
「まあ、大変だろうね。なにせ、パナシェはまた攻めてくるだろうし」
「違う、そうじゃない」
ターカはちらりとリム爺を見た。リム爺はキセルを吹かして眠ったように目を閉じていた。
「サキリのことだ」
「サキリの怪我はひどいのか?」
「違う、そうじゃない」
「それはさっききいた」
「お前が違うことばっかり言うからだ。いいか、サキリはサヅタヤが好きだ」
「そうだろうね」
「なんだ、気づいてるんじゃないか」
「兄上はサキリを優れた影術士だって」
「やっぱり分かってないな」
「なにが?」
「サキリはサヅタヤが好きなんだ」
「それはもうきいたよ」
「恋してるんだよ、サキリは!」
「ええ!」
「ばかっ。声がでかい」
「ご、ごめん。でも、それ、本当なのか?」
「あの目、見ただろ」
砦での鍛錬でサヅタヤを見ていたサキリの姿。それを見れば、一目瞭然なのだが、イルククは自分が打ち合うときを除いて、サキリを見ていなかった。
「でも、兄上を。うーん」
「そこでだ、イルクク、お前に任務を与える」
「任務?」
「だから、サヅタヤに好きな人がいるかどうか、調べるんだよ」
「そんな無茶な」
「優れた影術士はそのくらいのこと簡単にこなせないといけないんだぜ」
「そんなこといっても、そんな任務きいたことがないよ」
「とにかく調べるだけ調べろ。まったくお前ら兄弟そろって、あれだな。まあ、そんなあれなお前に貴重な情報を教えたんだ。ここの払いは任せた」
あ、待て、と呼び止めようとするが、ターカの姿は風にさらわれたように消え去っていた。
イルククは帰り道、まったくターカは調子がいいんだからとぶつぶつ言いながら家へ戻った。サヅタヤの部屋へ行ってみると、イバリノミを外し、ゆったりとした家着に着替えるところだった。イルククを見ると、優しく笑いかけ、
「お前も早く着替えろ。今日は母上がお前の好きな栗の炒め煮をつくってくれたぞ」
「はい。……あの、兄上」
「ん?」
「あー、いえ、何でもありません」
部屋に行き、家着に着替えて、藺草の円座に座り、栗の炒め煮に箸を進めているあいだもサキリがサヅタヤに恋をしているということが頭のなかを占めていて、ぼうっと栗を口のなかで噛んでいる。
「どうした、イルクク?」ケナクがたずねた。「母さんの栗の炒め煮ときたら、お前、噛まずに大急ぎで飲み込んで喉を詰まらせてるのに。ははぁん、分かった。お前、恋しているな?」
「そうなのか?」サヅタヤがたずねる。
「いえ、違います」
兄上は気楽なものだ、とイルククは囲炉裏にかかっている鍋から粥を取った。
食後にサヅタヤの部屋に行くと、兄は縁側でくつろいだ格好で横になり、蚊遣り皿の松葉から上る細い煙を眺めていた。
いつも折り目正しい兄上にしては珍しいなあ、と思いながら、
「兄上、イルククです」
「ん」
よほど気分が緩んでいるのか、サヅタヤは横になったまま、喉の奥で声を鳴らした。
「おたずねしたいことがあります」
「なんだ?」
「兄上には将来、契りを交わしたい相手はいますか?」
「妙なことをきくのだな。やはり、イルクク、お前は恋を……」
「僕ではありません」
「では、誰が?」
「兄上がですよ」
「わたしが? わたしは恋はしていないぞ」
「つまり、いまは相手がいないのですね」
「さっきから何の話を」
「いいですか。僕は兄上の弟です。父上の子ですが、それ以上に兄上の弟です。こういうことをうまく言えないのは血筋とあきらめてください。サキリは兄上が好きです。優れた影術士だから、とかじゃないですよ。サキリは兄上に恋をしているのです」
瞬きする間にサヅタヤは起き上がり正座していた。それだけでは足りないとハッと気づき、衣桁にかけたイバリノミに突進したが、そこまでしなくても大丈夫ですとイルククが止めさせた。
サヅタヤのうろたえぶりは相当なもので頬と首筋には赤く熱い血がのぼっていて、目が常に伏せられている。
「イルクク、それはサキリ殿から直接きかされたのか?」
「いえ、ターカからききました」
「ターカ? あれは少し急いで物事を考える癖がある。間違いではないのか?」
「ターカだけではありませんよ。母上からも言われました」
「母上から?」
「ここに来る途中、呼び止められて、母上もサキリが兄上に恋をしていることを見抜いていたそうです。それもずっと前から。知らないのは兄上だけですよ」
「そ、そうは言われても。サキリ殿がそうだと言ったものをきいたことがないなら」
「兄上。おききしますが、サキリが兄上を恋い慕っていないほうが兄上にとってはよろしいですか」
「そ、そんなことは言っていない。言っていないが、物事には順序があろう」
「兄上。ターカには兄上はサキリは嫌いだと伝えますか?」
「駄目だ。それはならぬ」
「では、好きだと?」
「――――」
サヅタヤは紅潮した顔でうなずいた。




